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 カエルの判断
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 今日のお昼に食堂で、次号の特集「アメリカの考える人たち」を担当しているSさんから、アメリカの投資銀行やベンチャー・キャピタル、エンジェル、投資ファンド、といったものがどのように蠢めき世界を動かしているのかのレクチャーを受けていました。文学部を卒業した私としては、すべてを理解するのは困難ですが、しかし要するにこういうことなのかな、とぼんやり思い描いたのは、私の頭のなかに記憶されている、田舎の夏休みで見た小さな光景でした。

 畳ふたつ分もあるかないかの小さな池には、トノサマガエルの夫婦が棲みついていました。ヒキガエルと違って小さなカエルなので、最初はカエルの子どもかなと思っていたのですが、そうではありませんでした。図鑑で調べるとトノサマガエルの体長はオスではせいぜい4センチから8センチぐらい。それほど大きなカエルではないらしい。

 池に棲むカエルというのは、いつも水面に顔を出しプカプカと浮かんでいて、ときおり長い両脚を蹴ってスイスイ泳ぐ──私にとってはその程度のイメージしかありませんでした。でも、池に何度か足を運んでみると、そのイメージには収まりきらないトノサマガエルの行動もかいま見えてきて、驚かされることも少なくないのです。

 まず、トノサマガエルは、ふだんはあまり池のなかにいないのではないか、という疑いがありました。トノサマガエルを見に行こうとして池に近づくと、池のフチまであと1メートルぐらいのところで突然何かが「ポッチャーン」と池に飛び込みます。こちらも一瞬ビクッとする。池をのぞき込むとトノサマガエルが浅い池の底あたりをかすめるようにグイグイと潜水して、池の奥の暗がりへと消えてゆく。

 池を離れて、しばらく時間をおいてふたたび池に近づくと、またもや「ポッチャーン」。5回のうち3回ぐらいは、この「ポッチャーン」があります。どうやらふだんは、いつでも飛び込めるぐらいの池の近くに潜んでいるらしい。「古池や蛙飛こむ水の音」。あまりに芭蕉の句のとおりなので、笑ってしまいます。

 今度は椅子まで持ち込んで、池のふちに陣取り観察を続けてみました。池にはヤゴ、メダカ、ミズスマシ、マツモムシといった小さな生き物が生息しています。図鑑を読むとヤゴはメダカを捕食することもあるらしい。しかしこの池では水底のヤゴが泳ぐメダカに襲いかかっても、間際のところでスイッとかわされてしまう。メダカはヤゴの水中でのジャンプ能力の限界を知っていて、池の水深を巧みに利用しながら身を守っているようです。なかなか賢い。メダカは水面に浮かんでいるらしい小さな有機物や、池のなかの藻をつついて食べているようですが、何が主食なのかよくわからない。

 ミズスマシもたくさんいます。池の水面はミズスマシが移動するたびに波紋が出きて、時間差で生まれる波紋と波紋がぶつかりあい通過してゆく幾何学模様がきれいです。虫も食べるはずのトノサマガエルは、水底からプカリと水面に顔を出し、すぐ目の前にミズスマシがいても知らん顔です。痩せぎすで脚ばかり長いミズスマシは栄養分としての効率が悪いのでしょうか。何があったのか、池に落ちたらしいジバチの仲間が、水面でもがいていても、トノサマガエルは見向きもしません。ときおりミズスマシが水面でもがいている虫に近づいてチョンチョンとちょっかいを出していますが、すぐに離れてしまう。

 トノサマガエルの目の表情をよくよく見ていると、何かを待っているようにも、ただぼんやりしているだけにも見えて、視線の意味合いを分析するのは難しい。でもなんだか独特の威厳があって、なにか深いお考えをお持ちのようにも見えて、見れば見るほど興味深い生き物に思えてくるのが不思議です。

 しばらく池の観察から離れて、2時間ぐらいが経過してふたたび池を訪れると、さきほどとはちょっと違う事態が池で展開していました。それぞれ単独で動いていたはずのミズスマシが、群れをなしている。ワサワサと折り重なるように、池の中央部で団子のようになっているのです。よくよく見てみると、その団子の真ん中に、さきほどもがいていたジバチの仲間らしき虫がいる。どうやらミズスマシはしばらく水面でもがいていた虫が弱ったところで、集団で襲いかかって食べ始めているようなのです。

 トノサマガエルはどこにも姿が見えません。今回は池に近づいてもポッチャーンと飛び込むこともなく、不気味な沈黙が……と思っていたら、池の向こう岸から突然トノサマガエルがスイスイと泳いできて、団子状のミズスマシに近づいてくる。へえ、けっこう物見高いところもあるんだ、と思った瞬間、後ろ脚がパッと伸びて、同時に口も開いてピンク色の口蓋が見えたと思ったら、ジバチ入りのミズスマシ団子が丸呑みされてしまったのです。

 2時間前には見向きもしなかったものなのに、ジバチ入りの団子になったのをめざとく見つけるや否や、待ったなしで丸呑みする。いやあ……凄い。動きにまったく無駄がない。非情なまでの判断と行動力。トノサマガエル、あなどれず。

 食堂で聞いたSさんの投資銀行というものは、たとえばこういうものなのかなあ、と連想したりもしてみたのです。が……しかし、次号の特集に登場するのはそのような経済分野の人ばかりではもちろんありません。西海岸の文化ならではの、独特の自由な発想から生まれた興味深い仕事もあり、トノサマガエルもいれば、メダカもミズスマシもヤゴも登場するのではないか、と思います。この週末に第一稿をあげる、と宣言したSさんの原稿が待ち遠しい。

 虫の団子を丸呑みしたトノサマガエル。その後の行動も興味深いものでした。一度丸呑みして閉じられた口は、微動だにしません。咀嚼するわけではなく、何事もなかったかのように、水面に顔だけを出して、プカプカと浮いているばかり。消化を待っているのか、のどや胃袋を通り過ぎた「騒ぎ」の余韻を味わっているのか、あるいは何も考えていないのか……。思慮深くも、何も考えていないようにも見える。30分待っても動きにまったく変化がないので、私はしびれを切らして池のほとりを離れました。

「考える人」編集長 松家仁之(まついえまさし)