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 紫の峡谷
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 また株価が下がっています。株価は、歴史を大きく動かす原動力のひとつです。1929年の秋にアメリカでおこった株価大暴落は、ほどなく大恐慌へとなだれこみました。アメリカだけでも1000万人を軽く超える失業者を生み、1933年には銀行が営業をストップ、アメリカという国の機能そのものを危険水域まで追い込んだのは、ゼネラル・モーターズの株価暴落がきっかけでした。

 大不況によって仕事を失った人々のなかには、何らかの希望と可能性をもとめて、西へ、とくにカリフォルニアへと移動していった人たちがいたようです。ジョン・スタインベックが1939年に発表した『怒りの葡萄』は、大恐慌によって土地も仕事も失ったオクラホマの小作農民が「約束の地」カリフォルニアをめざし、しかしながら待ち受けていたものは苦難の連続だったという物語でした。スタインベックは翌年、この『怒りの葡萄』でピューリッツァー賞を受賞します。

 アメリカの大恐慌をテーマにして描かれた歌もいろいろとあります。たとえば、西海岸出身のライ・クーダーが、そのデビューアルバム「ライ・クーダー登場」で歌っていた「ドレミ」。やはり『怒りの葡萄』と同じシチュエーションで、仕事を失った人々が可能性を求めカリフォルニアまで来たものの……という歌。

 カリフォルニアへ向かう奴ら 砂漠の砂の海を渡り 埃の谷を抜け出して 砂糖壺にありつくつもりが 結局のところ…… 登記係の警官は言う アンタで今日は14000人目だ (Kuni Takeuchi訳)

 つまり、カリフォルニアも大恐慌の影響から逃れられるわけもなく、夢のような仕事はどこにもなかったのです。大資本家が経営する農場の日雇い労働者として低賃金でこき使われるのが関の山。そんな仕事にさえありつけない失業者が「乳と蜜のながれる地」であるはずのカリフォルニアにあふれ、うごめいていた、というわけです。

 ライ・クーダーはこのデビュー・アルバム(1970年)に続いて、「紫の峡谷」(1971年)、「流れ者の物語」(1972年)と、ハード・タイムズ三部作と呼ばれるアルバムを続けて発表します。1930年代の、大不況下の人々がどんな思いで暮らしを送っていたか──もちろんそのことばかりではないのですが──30年代の西海岸の普通の人々がいだいていた思いをブルースなどにも強い影響をうけた演奏スタイルで、あざやかに甦らせます。

 私はとくに2枚目の「紫の峡谷」が大好きで、大学生の頃にLPで買って以来、耳にたこができるほど聴いていました。ジャケットデザインも秀逸で、ややクラシックな淡いレモンイエローのオープンカーを運転するライ・クーダーと同乗する女性を撮影した三つのパターンの写真が、ジャケットの表、見開き(二つ折りジャケットでした)、ジャケットの裏と、3パターンであしらわれていました。表は、オープンカーでドライブに出てみたものの、一転にわかにかき曇り、雷雨にみまわれて、まさに青黒い紫色の空の下を不安気な表情で走ってゆく、というハリウッド映画のスティル写真ふうの演出。

 見開きでは町に到着し、雨のあがったところで車を降りた二人の記念写真。ただし、よく見るとタイヤはパンクしている。裏は快晴となった青い空の下を笑顔でふたたびドライブしています。70年代当時のジャケットデザインとしては、かなりウィットに富んだ秀逸なアート・ディレクションでした。

「紫の峡谷」に描かれているアメリカは、私たちが肌身をもって感じることのできるアメリカではありません。だからこそ珍しく、面白い。アメリカ人がこのアルバムをどのように聴くのか、いつか誰かに訊ねてみたい気もしますが、いわゆる「古き良き時代」ではなく、「古き辛き時代」のことが歌われているというのは、黒人のブルースを除いて、白人の歌うポピュラーミュージックの世界では珍しいことではないのか、と思います。

 いや、そうでもないか。やはりライ・クーダーと並んで、新譜が出れば必ず買ってきたランディ・ニューマンも、「古き辛き時代」を描くことにかけては、ライ・クーダーよりもより一層、深く濃い部分を持っています。ランディ・ニューマンが描くアメリカのアンビバレントな世界は他の追随を許さないものがあるのですが……それはまた別の機会に書くことにしたいと思います。

 考えてみれば、彼ら西海岸のミュージシャンは、夢と現実の往還を歌うことにかけては、ニューヨークを中心とした東部のミュージシャンよりも一歩先を行っているのではないか、と思わないでもありません。それはやはり、ある夢を抱いて遠路はるばる西へとたどりつき、現実をつきつけられた人々の記憶が彼らの仕事にも影をおとしている、ということもあるのでしょうか。

 次号の特集に登場する人々のなかには、「考える人」としては珍しい億万長者的な人も登場します。そして夢破れて一文なしに、という人は残念ながら登場しないのですが、しかしもちろん、「夢破れて」という話は今もなおカリフォルニアには続いている物語のようです。しかし、夢の破れ方が70年前とはだいぶ状況がかわってきているらしい。夢の破れ方についての、知恵、あるいはシステムのようなものが、大恐慌から半世紀以上も経て用意されているのです。その結果、たとえばシリコンバレーには今もなお頭脳と資金が流れ込み続けているようなのです。

 ライ・クーダーの「紫の峡谷」の原題はINTO THE PURPLE VALLEY。それにならって言えば、今回の特集はINTO THE SILICON VALLEY。シリコンバレーへ、ということになるでしょうか。どうぞご期待ください。

「考える人」編集長 松家仁之(まついえまさし)