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 内田樹さん
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『私家版・ユダヤ文化論』で小林秀雄賞を受賞した内田樹さんにお目にかかるのは、今回が二度目でした。小誌「考える人」で養老孟司さんとの対談に同席させていただいたのが二年近く前。この時が初対面です。対談当日は、養老さんの地方での講演の予定と、内田さんの大学教授としての仕事の終了時刻を担当編集者がすり合わせた結果、大阪府吹田市のホテルでセッティングするのがいいということになり、夕食としてはやや遅めの時間に、なんということのないホテル内の中華料理店で食事をとりつつ、対談は始まりました。

 内田さんの澱んだところのない基本的に前向きな姿勢が大きく作用して、対談は順調にすべりだしました。養老さんも予定調和的という言葉とは無縁の、淡々と短く、かつ刺戟的な「つっこみ」を繰り出され、それを迎え撃つ内田さんは笑顔で切り返す、「老師」と「壮年の達人」の一騎打ちの様相を呈してゆきました。

 いや、そう書いてしまうと、緊張感に満ちた対談を想像されてしまうかもしれません。実際のところはそうではなくて、笑顔が多い、ゆるやかな話題も取り込みつつの一見のんびりした感じの対談だったのです。とは言っても油断して適当にやっている、というのではもちろんない。目に見えるかたちでは現れない、それぞれの緊張感が深いところをささえているのではないかと思われる、独特の空気がありました。

 対談は中華料理店ではとうてい終わらず、続きはホテルのラウンジバーに移って、という展開になりました(後日、箱根にある養老さんの別荘で、さらにその続きの対談が泊まりがけで行われました。その連続対談を一冊の本にまとめたものが『逆立ち日本論』です)。

 対談というのは、基本的に編集者の出る幕はほとんどありません。対談なさるお二人にいったんは下駄を預けてなりゆきを見守るのが編集者の基本的な立場ですから、対談開始のきっかけをつくることと、終局場面を見はからって声をかけること、ぐらいが唯一の仕事です。もちろん、途中で話題の軌道修正や、新たな話題の呈示をしなければならない対談もあります。しかしあまり大きな声では言えませんが、編集者がたびたびあれこれと口をはさむ対談は、結局はそれほど面白いものになりません。

 内田さんと養老さんの対談は、編集者の出る幕はほとんどありませんでした。そしてつくづく感じたのは、お二人にとてもよく似たところがある、ということです。ひとつは、歴史についての認識が明確にあるということ。もうひとつは組織(お二人の場合はすなわち大学という組織ですが)というものが本来的に持っている害毒を骨身にしみて知っていること。さらにその上で、お二人が対人的なレベルにおいて、あるいは対社会的な場面において、きわめて寛容な態度をとられる、ということです。

 私は今の日本の社会、および組織に欠けているものは、「寛容」なのではないか、とつねづね考えています。寛容とは何か。これは実はなかなか一言では説明ができない、私にとっては両義性のある言葉なのです。寛容、と聞くと、にこやかで、こちらの緊張がやわらぐもの、というイメージもなくはないのですが、ひょっとすると「つける薬はない」と判断されて、つまりある種のあきらめのようなものから引き出される態度である可能性も含んだものなのではないか。

 今日もまた時間切れの状態でメールマガジンを書いていたら、最後にいたって我ながら妙なことを言い出してしまいました。この続き(?)は、来週HTML版で配信予定の、「考える本棚」にバトンタッチさせてください。私が内田樹さんの著作で、ひょっとすると一番「好き」かもしれない本、『先生はえらい』を取り上げることにし、「寛容」とは何かについて、もう少しお伝えしたいと思います。

「考える人」編集長 松家仁之(まついえまさし)