数学者でありエッセイストでもある藤原正彦さんの著書の愛読者には改めての説明は不要かと思いますが、藤原さんは直木賞作家・新田次郎氏の次男です。そして、藤原さんのお母様は、1949(昭和24)年に刊行され戦後空前の大ベストセラーになった『流れる星は生きている』の著者・藤原てい氏。ある世代以上の方には、『流れる星は生きている』は知らない人のない本ですが、若い読者にはあるいは馴染みのない書名になりつつあるのかもしれません。

 現在は「中公文庫BIBLIO20世紀」の一冊として刊行されていますので、未読の方にはぜひご一読をおすすめしたいと思いますが、ここに少し内容を紹介させていただきます。
 1918年長野県生まれのていさんは、39年に同郷の新田次郎氏(本名藤原寛人)と結婚。43年に新京(現・長春)の気象台に赴任する夫とともに満州に渡ります。三児に恵まれ幸せに暮らす一家にとっての運命の日は、45年の8月9日ソ連参戦の日でした。深夜突如の引き揚げを敢行することになった日本人街の混乱の中で、夫はまだ仕事が残っている、必ず追いつくから、といって、ていさんと、5歳の長男、2歳の次男、生後まもない長女の四人を先に行かせます。その後夫と合流することなく、三人の幼子を連れた一人の小さな母は、想像を絶する困難の中、三児を守り抜き、朝鮮半島を陸路縦断というコースで、翌秋に郷里に辿りつきました。精根使い果たして病の床についたていさんは、愛する幼子たちへの遺言の覚悟で、その奇跡の引き揚げ記を驚異的な記憶力で書き上げました。それが『流れる星は生きている』でした。
 その後遅れて帰郷した新田氏が、一躍ベストセラー作家になった妻の姿に発奮して作家になったことは、正彦さんのエッセイでも何度か紹介されていることです。

 当時、藤原正彦さんは2歳。凄絶な体験の記憶はほとんど残っていません。ていさんは一度テレビの取材で満州を訪ねたことはありましたが、正彦さんは生まれ故郷でもある満州を訪ねたことはありませんでした。そして去年の夏、奥様と三人の子息とともにお母様を連れて、満州を再訪しました。正彦さんにとっては実に56年ぶりの再訪でした。

「考える人」創刊2号(秋号)で、藤原さんはこの特別な旅の一部始終を書いてくださることになりました。56年という時の流れは、中国の街も激変させたはずです。その見慣れない光景の前で、お母様の記憶はどのように甦ったのでしょうか。そして藤原さんは、自分の生まれた場所を確認することはできたのでしょうか。

 どうぞご期待ください。