「なぜ1962年なのか?」と問われると、なかなか一言では答えられないところがあります。60年安保と64年の東京オリンピックの間にはさまれた年は、キューバ危機など世界情勢を別にすれば、国内の大きな事件で鮮明な記憶が残る年、というわけでもないからです。実は、詳細に62年の出来事を追っていくと、「あれ」も「これ」もこの年だったのか、と、小さく声をあげたくなるものも意外とあるのですが……それはまた別の機会にご紹介することにして、今回はまず特集の巻頭グラビアページをご紹介させていただくことにします。

 新潮社写真部のアーカイブには1962年に撮影されたモノクロ写真のフィルムが大量に保管されています。今回の特集では、そのなかから、当時の人々の様子や、街の風景などを撮影した写真を厳選し、特集の巻頭で紹介しています。写真選びをしている時に強く感じたのは、とにかく都内は、銀座だろうが新宿だろうが、渋谷、池袋だろうが、どこもかしこも工事中だったのだな、ということでした。

 2年後の東京オリンピック開催を目指して、首都高速道路を建設し、地下鉄を掘り、競技場の工事をしている。たとえばこの写真は、環状7号線の陸橋工事が進行しつつあるところを空撮したものではないかと思われるのですが、陸橋が伸びてゆく先には、人家が立ち退いた後がまだまだ生々しく残っています。さらにその先には、まだ住宅がひしめいている様子もうかがえます。下の写真は、環7の工事が進んでいる途中を撮影したもの。もともとあったそれほど道幅の広くない道路を、三倍、四倍に拡幅する工事が進められていった様子がよくわかります。

 そして、62年の光景を見ながら新鮮なのは、人々の表情が今とだいぶ違っていることです。たとえばクリスマス商戦でにぎわうデパートの店内。写真を拡大しないと見えないと思いますが、エスカレーターに乗っている家族連れの子どもたちが、店内のクリスマス用のデコレーションを見て、ほんとうに目を見はり、輝かせているのです。1958年生まれの私も、都内での「お出かけ」で一番わくわくしたのは、デパートでした。デパートの食堂で食べる「洋食」のおいしさ、晴れがましさは、ちょっと他では味わえないものでした。だからこの子どもたちの気持ちがよくわかります。

 これは東京大学の卒業式のスナップです。なんと男子学生は詰め襟の学生服。この6年後の68年には安田講堂の占拠があり、東大入試が中止されるとは、ちょっと想像もできない大人しく真面目な感じが伝わってきます。デパートの人々にしても、この東大生にしても、なにか「すれてない」感じ、「初々しさ」がある、と言いたくなる表情ではありませんか?

 以上ここでご紹介した写真は、特集グラビアページの写真選びから漏れたものから選びました。12月28日発売の冬号には他の写真が掲載されますので、ぜひご期待ください。そしてもうひとつ……1962年当時の「動く映像」にはご興味はありませんか? 来る12月27日(火)に東京・赤坂の草月ホールでたった一回だけ限定上映される、伊丹十三監督の幻のデビュー作「ゴムデッポウ」には、1962年の晩秋から冬にかけての東京の風景が映っているのです。私鉄のなかから見る都内の風景、新橋・銀座あたりの風景、虎ノ門を走るバイクの姿。皇居前のデモ……。伊丹十三氏が、ニコラス・レイ監督の映画「北京の55日」の撮影を終えて帰国した1962年、映画の出演料で買ってきた16ミリ用撮影カメラ、アリフレックスを屋外に持ち出して記録された当時の東京。なんとも懐かしい東京が、映画の背景として登場してきます。

 1964年、草月ホールで勅使河原宏監督の「砂の女」と併映されて以来、上映されるのは実に41年ぶり。おそらく今後、映画館等で上映される可能性は極めて低いと思われます。今のところDVD化される予定もありません。たった一日、一回限りの上映です。当日の詳細については、こちらをご覧ください。