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 干刈あがたさん
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 火曜日の朝日新聞(19日朝刊)を読んでいたら、来月が干刈あがたさんの十七回忌だと知りました。干刈さんが亡くなってからもうそれほどの時間が経過しているのかと、あらためてふりかえってみても、なんともまとまりのつかない感慨がわくばかりです。

 思い出すことはいろいろとあります。いちばんによみがえるのは、干刈さんの話し方や声、そのときの表情です。干刈さんの声は、あまり大きくない。そしてほんの少し、かすれている。いつも「そうかな?」「どうかな?」と考え考え話しているような感じ。でも訥々としているからといって、自信がないというのとはちがう。

 高をくくって断定することなど、一度もなかったけれど、誰にも譲り渡さない芯のようなものがある。だけどその芯をわかりやすく人に見せようとはしなかった。いや、隠すつもりなどなかったはずですが、何かの考えにしたがって、そうしていた気がします。疑問のようなもの、確信はないけれどそうかもしれないと考えるもの、これを伝えるにはどうすればいいか。はかなくて、あやうくもあるその思いや考えは、はかなくてあやういからこそ人と人をむすびつける何かでもあるはずで、だからなるべくそのかたちにそって書いておきたい──干刈さんは、たとえばそのように考える人だったのだと思います。だから書くことについてのコンパスの中心点は、はっきりしていた。  感情をはっきりと顔にあらわすことは、ふだんはあまりなかったけれど、本当に面白いと思って笑ったとき、子どものときもきっとこんな感じで笑ったんだろうな、という顔になりました。その瞬間をいまでもありありと思い出します。干刈さんにはきっといろいろな苦労や経験があって、それをふまえて意志的に大人であろうとしたけれど、自分のなかにある「子ども」を脱ぎ捨ててはいなかった。それはそのままに大切にしていた。そのような両義性を持ち合わせていた人だったのではないかと思います。

「小説新潮」の連載エッセイ「どこかヘンな三角関係」の二代目の担当編集者になったのが、干刈さんと仕事をご一緒させていただく最初のきっかけでした。「どこかヘンな三角関係」は、干刈さんと交流のある人物と、その交流を象徴するようなモノや出来事や言葉を選びだし、エピソードを中心にすえて書かれたものでした。「田中小実昌さんと〈おしんこ〉と私の関係」、「中上健次さんと〈スリッパ〉と私の関係」、「吉本隆明さんと〈泥舟〉と私の関係」というような、「なんだろう?」と気を惹くようなタイトルが毎回つけられていました。

 連載の原稿をいただくと、私が感想を伝え、干刈さんは原稿についていくつか私に伝えておきたいことを話す、というやりとりがありました。このやりとりがいつも待ち遠しかった。締め切りがきたからサササっと一筆書きのように書いておしまい、ではなくて、三日も四日も行ったり来たり、書いたり消したり書き加えたりでやっとたどりつく。たいていいつもそうであったらしく、原稿をいただいたあとにうかがう話から、その途中経過がなんとなく伝わってきて、干刈さんが原稿というものを、あるいは人と人との関係を、どれだけ大切に考えているのかがうかがわれたのでした。

 一度だけ、いっしょに取材旅行にいったことがありました。「小説新潮」の臨時増刊として出発した年2回刊行の雑誌「マザー・ネイチャーズ」の創刊号で、「自然をテーマに旅行記を書いていただけませんか?」とお声をおかけしたのです。行き先は、沖縄の西表島でした。どうして沖縄の数々ある島のうち、西表島を選んだのか、いまとなっては記憶もおぼろです。

 干刈さんは『どこかヘンな三角関係』で奄美群島(奄美は沖縄県ではなく鹿児島県に属しています)の沖永良部島のことを書いています。沖永良部島はお母様の故郷の島でした。干刈さんが生まれたのは東京都青梅市でしたが、沖永良部島をふくむ奄美の文化への関心はたいへん深かったらしく、かなりの資料を集めていたことが遺品によってわかっています。

 取材でたずねた西表島は、沖永良部島からは遙か遠く、南西へと下ったところにあります。奄美群島と八重山諸島は「本土」あるいは「ヤマトンチュ」の人間にとっては、大きくひとくくりにしかねない島々ですが、それぞれの島に暮らす人々にとっては、お互いに外国に近い、異郷の地のようなものであるにちがいありません。  カメラマンの垂見健吾さんと三人で、沖縄に向かう南西航空(いまはJTA)の機内にいて、これから始まる数日間への微妙な緊張感を共有しているときのことでした。長野県出身なのに取材で何度も沖縄に足を運ぶようになるうちに、ついに沖縄に移住してしまった垂見さんは、南西航空のフライトアテンダントも機長もほとんど全員顔見知りで(機内誌の「Coralway」のカメラマンでもありましたから)、いつの間にか話をつけていたらしく、小声で「あのサ、あとでコックピットに入れてもらうことにしたからネ」と言うのです(念のため申し添えれば、これは「9・11」以前の話です。今はもちろん、いかな垂見さんにもそれは不可能でしょうし、垂見さんも、もはやそんなことを頼まないでしょう)。

 機長と副操縦士の後ろに、私と干刈さんは小さくなって座り、前方の空と海を見ていました。それは、座席からの眺めとはまったく違うものでした。座席の横にある丸い窓から見る海や島は、横に流れてゆくもの。コックピットの前方にひらかれた窓には、遠くにあるものが、しだいに真っ直ぐこちらに向かって近づいてくるのです。飛行機が前方に向かって進むものなのだということがありありと、そして刻々と、実感できるのでした。

 干刈さんが身を乗り出して「あ、沖永良部」と小さな声で言いました。私にはどの島なのかがよくわからず「どれですか?」と聞き返します。「あのね、この手前の島の先にある、もう少し小さい、あの島なんだけど……」干刈さんの言葉をたよりに前方をよく見ると、小さな細いナスのような島が見えます。手前にヘタがあって、身の部分が向こう側へ横たわるように見える島影。たった今、上空を通り過ぎたばかりの奄美大島よりも、次に近づいてくる徳之島よりも、ぐっと小さい沖永良部島は、干刈さんのたたずまいとどこか似ているような気がしました。

 干刈さんの横顔を見ると、さっきまでの顔と微妙にちがっているのがわかりました。干刈さんのなかにある子どもの部分が、ぐっと前に出てきているような感じです。私の視線になどおかまいなく、干刈さんの目は沖永良部島に引き寄せられたままです。美しく、なつかしいものを見ている。干刈さんの表情は、そんな色をおびていました。沖永良部島の上を通り過ぎるまで、私はしばらく黙っていました。

 西表島での取材中、宿にもどったとき干刈さんが「ちょっと胃が痛いの」とつぶやくように言ったことを覚えています。けれどそのとき私は、事態を深刻なものとは受け止めてはいませんでした。取材を終えて、原稿をいただいてからしばらくのちに、干刈さんは病院で診察を受けることになり、胃に「大きな潰瘍」があるとわかったのでした。手術を受けることになり、40日間の入院があって、「どこかヘンな三角関係」は一回休載になりました。しかし退院後、連載は再開。入院前に書き上がっていた長篇小説『ウォークinチャコールグレイ』も刊行されました。

 干刈さんが創刊号に西表島の旅行記の原稿を寄せてくださった「マザー・ネイチャーズ」は第6号まで号を重ね、結局最後の号となった第7号の特集「イギリス式自然」の取材のため、私はイギリスへ出張することになりました。その頃、干刈さんの病状はかなり重いものになっていました。出張する数日前に、入院中の病院をおたずねしたのが、干刈さんと会った最後でした。ロンドンに着いてまもなく、同僚からホテルにかかってきた電話で干刈さんが亡くなったことを知らされました。葬儀に出席することもかないませんでした。1992年9月6日。享年49。

 朝日新聞の十七回忌の記事を読んだあと、書庫から『どこかヘンな三角関係』をひっぱりだして何気なく読み始めたら、結局腰をすえてしっかりと最後まで読んでしまいました。干刈さんの声が、すぐとなりから聞こえてくるような文章。独特のユーモアもあって、何度も笑い声をあげてしまいました。小説と地続きではあるものの、もっとなまなましい感情が伝わってくる。連載中に生原稿を読んでいたときとはまたちがって、干刈さんの言葉そのものがそのまま自分にしみてくるような経験でした。

 干刈さんがいなくなったことは、その後の日本の文学に大きな欠落をもたらしたかもしれません。しかし、そう嘆くこともないだろう、と初めて思えるような気がしました。私たちが干刈さんの小説やエッセイを読み返すことによって、干刈さんの遺したものは、ますます光り輝いてゆくにちがいない、と思えたからです。私はこれからまた、干刈さんの小説を読み直すことにします。

「考える人」編集長 松家仁之(まついえまさし)
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