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 手書き
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 このところ気になるのは手書きの文字です。その人の書く文字が、その「人となり」と重なって見える。それはそうだろうと思う部分と、どうしてそうなんだろうと思う部分とが、ふたつ並んでいて、すべてを見渡せない謎の部分が奥のほうに残っているような気がするのです。

 ペン習字のようにきれいな文字であれば「うまいな、いいな」と素直に思うとはかぎらないのが手書き文字の不思議なところ。へたくそとしか言いようのない文字に、その人の人となりが二重写しになって、味わいを感じる場合もあります。

 小学校高学年の書道の時間に、ふだんは無口でドッジボールの天才だったU君が、かな釘のような、くさび形文字のようなものをかいて、先生にほめられたことがあり、教科書のお手本とは程遠い文字をどうしてほめるのだろうと頭のなかに「?」がいっぱい浮かんだことがあります。ちょっとしたハネやハライに朱を入れている先生が、まったくそれからは外れている文字をどうしてほめるのか。

 いまでも思い出すことのできるU君の文字を、つまり「書」として先生は褒めたのだと想像します。しかし当時は深い謎でした。そしてそのかな釘流の書は、U君そのものだ、ということについて、言葉にはならなかったものの、たぶん小学生の私も気づいていたのだと思います。

 うまいしきれいだけれど、なんとなく痛ましい感じのする文字もある。三島由紀夫の字を見るといつも複雑な気持ちになります。なにか、つくり上げていった文字、というたたずまい。白い色紙の四角のなかに野菜と一緒に並んでいる武者小路実篤の文字も、なんとも答えに窮するような、目の前に立っているのにどこを見ているのかわからない人の、不思議な表情を見ているような気持ちになります。

 三島由紀夫の手書きの文字を見て痛ましいと思うのは、あのようにして亡くなったことを知っているからでしょうか。たぶんそうでしょう。構築性のある力強い筆運びが、どこか行き止まりの、息を詰めたまま書いたような苦しさを感じさせます。最後の「夫」の払いの部分は、空を切り、消えてゆくようなはかなさがある。

 同僚に伝言メモを残すときぐらいで、あとはほとんどキーボードばかり叩いていると、手書きでは文字を書かなくなってしまいます。手紙もよっぽどのことがないかぎり、パソコンで打ち、プリントアウトしたものに宛名と自分の名前だけ手書き、というのがスタンダードになりました。だから日々刻々と文字がヘタになってゆくような気がします。

 次号の特集で取り上げる須賀敦子さんも、ワープロ、パソコンの導入が早かったようで、未完の遺作になった『アルザスの曲りくねった道』も手書きの生原稿ではありません。手紙は残っています。担当編集者に宛てた『アルザスの曲りくねった道』についての手紙を見ると、やはり須賀さんという人がそのまま伝わってくる文字が並んでいます。

 須賀さんの妹さんである北村良子さんに先日お目にかかってインタビューをさせていただいた折に、須賀さんからの手紙をお見せしたとき、北村さんが思い出したような表情をされて、「姉の書く“須賀敦子”という字は、本を出すようになってから、ちょっと変わったような気がします」とおっしゃっていたのが印象に残りました。

 同じ人の同じ文字であっても、その日の体調や気持ちによって、あるいは手にする筆記用具によって、そして人生のある過程によって、変化していく。須賀さんの場合は、どのような変化があったのでしょうか? 特集の取材を少しずつ始めながら、そんなことも考えています。

「考える人」編集長 松家仁之(まついえまさし)
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