『神も仏もありませぬ』で小林秀雄賞を受賞し、また「波」で注目の連載「シズコさん」をスタートした佐野洋子さんに、1962年当時の思い出をぜひ語っていただきたいと思ったのには理由がありました。

 1938年生まれの佐野さんはその頃24歳。武蔵野美術大学デザイン科を卒業し、デパートの宣伝部で仕事を始めていた時期です。女性が意志的に働くことのできる職種も、立場も、まだまだ狭く低かった時代に、当時最先端であった広告デザインの仕事と、いったいどんな気持ちで取り組んでいたのか。圧倒的な観察眼の持ち主である佐野さんの記憶には、強い興味がありました。

 お話は想像以上に面白いものでした。とにかく読んでいただきたい、としか言えないぐらい。その面白さを要約してご説明するのでは隔靴掻痒を逃れ得ません。なので、文脈を抜きにして、いくつかの発言を抜き出しておくことにします(ここに掲げた写真は、当時スタジオ撮影の仕事でカメラテストに立った佐野洋子さんです)。

「とにかく町中が雑駁な感じだった。丹下健三の代々木の競技場なんて、まわりに木一本と生えてない、なーんにもないところに突然ドーンと建っちゃってさ。ちょっとヘンだったわよ。巨大な入れ歯みたいで」

「宣伝部にいると、『何か新しいものはないか、新しいものは』『アチラではどうのこうの』っていう。『アチラ』っていうのはアメリカとか、ヨーロッパのことでやっぱりヨーロッパやアメリカの最新の広告事情にガツガツしているわけ。あれが何だか嫌だった。さもしい感じだった」

「六〇年代はまだものに直接さわれる事が現実だった。手で写植切ったりはったり、自動車の模型手で作っていたし図面も手で描いていたと思う。今見えないことが現実で、気味悪い」

「やっぱり豊かさがもたらすものがすべてを薄くしてるのね。貧乏って濃いのよ。それに、貧乏って面白かった」