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 さくら
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 さくらが散る頃になると、杉浦日向子さんのことを思い出します。

 杉浦さんは私と誕生日が一週間と違わない、同じ東京生まれの東京育ち。杉浦さんには5歳上のお兄様がいて、私にも4歳上の兄がいました。杉浦さんの実家は、たしかもともとは日本橋の呉服屋さんだったと思います。私の母方の父親は新橋で蕎麦屋をいとなんでいました。

 最初にお目にかかったのは「小説新潮」編集部時代です。杉浦さんの初めての本『合葬』が刊行されてまもない1980年代の前半のことでした。まだ新人気分が抜けない私には、デスクワークから抜け出す口実になるありがたい仕事だった「小説新潮」の人物ルポのページで、「新進気鋭の漫画家」として取材させていただいたのです。

 郊外のマンション(最寄り駅は私の兄が通っていた都立高校のそばにありました)を訪ねると、杉浦さんは、なんとなく困ったような含羞の笑顔で迎えてくれました。話しているうちにお互いが同年であること、それぞれ兄に影響を受けてロックを聴くようになったことがわかり、ライ・クーダーのアルバムについて話が弾んだことをよく覚えています。

 新潮社には私の大先輩のTさんという担当編集者がついていたので、杉浦さんとはそれ以降、ときおり社内や何かの会合ですれ違う程度のおつきあいでした。ちょうどさくらが満開の頃、どこかでお目にかかったときに、「さくらは散ったあとがいいんですよ」と杉浦さんが話してくれたことがあります。「江戸時代の人たちは、さくらが散って、黒い地面に散った花がひろがっているさまを、うつくしいと感じていたんですね」とおっしゃるのです。

 この話は著作のどこかにもお書きになっていたと思うのですが、手元の本をぱらぱらと探してもちょっと見つかりませんでした。たしかに東京の土は、関西の土にくらべるとかなりダークな色で、雨が降ったあとは「黒い」といってもいい色合いをしています。ですから散り落ちた花びらの白に近い淡いさくら色とのコントラストが、いっそう映えたのかもしれません。

 川沿いのさくら並木もいいものです。これも杉浦さんの本で読んで知ったことですが、川沿いにさくら並木が多いのは、江戸時代には氾濫したり決壊したりすることの多かった川の堤防を、さくらの根をめぐらせて補強したためで、花見に集まってくる人々によって地面がさらにふみかためられ、堤防はいっそう頑丈になった──のだそうです。さくらは川の水を浄化する作用もあると信じられていたらしい。

 昨日、今日あたりは、川の上にもさくらが散って、ゆるやかな流れにのってゆくでしょう。江戸時代の人々は、地面に散ったさくらをめでるのとおなじように、川面にひろがり動いてゆく花びらを、飽かずに眺めていたのにちがいありません。杉浦さんに江戸時代の花見についてふたたびおたずねしたくなってきますが、もううかがうことはかないません。この夏がくると、杉浦さんが亡くなられて四年になります。

「考える人」編集長 松家仁之(まついえまさし)
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