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 空を見上げる
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 ひさしぶりに空を見上げました。今週の火曜日、時刻は午後6時半すぎ。日中は秋のようなカラリとした日で、湿気に弱い私としては最高のコンディションでした。

 首都圏から少し離れたところにいて、空がひろびろと見渡せる場所だったことも幸いでした。とくに見上げるつもりはなかったのに、何かの気配を感じて空をみたら、秋の空のようなうろこ雲が北西から一気に流し込まれたように、一面にひろがっていたのです。

 なんとなくただごとではない気配の、だいだい色の雲。夕日を浴びていない部分には雲の白さも残っている。それらがひとつもぎくしゃくすることなく、完璧ななだらかな景色をつくっています。人間が描こうとしても描けないもの。つまりこの空間のひろがりと、雲と自分とを隔てている距離感、そしてその雲がほんの少しずつ動いている感じ。

 ひとりで歩いていたので、言葉はなにも口にしませんでしたが、内心では「わあ」と声が出ていました。その「わあ」を、もう少し言葉らしく置き換えると、「すごいなあ」なのですが、その「すごい」には100パーセント、プラスの感情だけがつめこまれていたわけではありません。ほんの少し、「こわい」も入っていたような気がします。

 小学生の頃、ほんの半年ぐらいの間だったと思いますが、夜が来るのがこわかった時期がありました。テレビで「ひょっこりひょうたん島」が始まる頃、まもなくご夕飯という時間帯に、なぜか「夜がくる。夜がこわい」という気持ちがピークに達するのです。頭の半分は「ひょっこりひょうたん島」をたのしんでいるのに、残りの半分は、こわさで頭が縮まるぐらい呆然としている。親にはけっして言いませんでしたが、いまでもありありと、当時の恐怖心を甦らせることができます。

 夜を迎えるとき、たとえば縄文時代の人々は、今の私たちよりも、どこか身構える気持ちを持っていたのではないでしょうか。いまのような季節ならまだしも、冬の夜を迎えるとき、ぐんぐん下がってゆく気温とともに、全身にはある種の緊張が強いられたにちがいない。だからこそ火を囲み、暖をとる親密さが生まれもしたのでしょう。

 風邪をひいて熱を出し、横になって休んでいるだけなのに、夕方になると、日中せっかく下がりかけていた体温がスッと上昇することがあります。これはからだが夜を迎える態勢をとろうとしているせいではあるまいか。少し体温をあげて、何かに身構えようとしているのでは──そんなことも想像したりします。

 何から何まで快適であるにこしたことはありません。ストレスなんてないほうがいい。本音ではそう思います。でも少しずつ「こわい」も目にし、感じとり、味わって、生きてゆくほうが、幅とか奥行きが、いざというときの「のりしろ」が、自分のなかに育ってゆくのではないか。そう考えると、ここしばらく、自分のなかに「こわい」を迎え入れてこなかったような気がしてきます。

 滅多にないような夕暮れの空の下、最寄りの駅に近づくと、西の地平線にくろぐろとシルエットをみせているものがありました。富士山です。これもまた冬の日のシルエットのようにクリアにきりとられたような富士山の影。こうしてみると、富士山もこわいなあ。

「考える人」編集長 松家仁之(まついえまさし)
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