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 顔の話
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 年をとってきて、全体にたるんでしわしわで、うすくなったりもしてくると、朝晩歯を磨くたびに、鏡の前で少しだけあーあとおもいます。でもうんざりするということは、昔はまんざらでもなかったという意識がどこかに潜んでいるからで、人間というのは(いや「私は」かな?)おめでたい生きものだなとおもいます。

 若い頃の写真をみると、痩身でなかなかの色男にみえる色川武大さんは、短篇小説集『怪しい来客簿』を発表される40代後半には、すでにまるまるとふくらんで、あたまもうすくなっていました。そのしばらくあと、新米編集者だった私が、お使いか何かで初めてお宅にうかがったとき、色川さんは「色川さんの完成型」として私の前に現れました。

 色川さんは少年の頃から、自分のあたまのかたちに強いコンプレックスがありました。エッセイにくりかえしそのことを書いています。コンプレックスというものは、その渦のただなかにまきこまれ、翻弄されているときには、みずからそのことを語ったり書いたりはなかなかできないものです。やっぱりへんなあたまのかたちをしている私が色川さんの書くものにひかれていったきっかけのひとつは、この他人にとってはおそらくどうでもいいことへのこだわりでした。

 色川さんが自分のあたまのかたちについて書くことができるようになったとき、あたまのコンプレックスは湿度や温度を失って、乾いて固まって、片手で持ち運びできるぐらいのものにはなっていたのでしょう。あるいは、もうどうなるものでもないし、どうにでもしてくれ、と開き直っていたのか。色川さんのまるまるとした体型は、そんな気持ちがかたちになったもの、と見えなくもありません。

 食にまつわる色川さんのエッセイを読んでいると、とにかくお米のごはんをたべるよろこびがこぼれるほどに伝わってきます。ふりかけをかけてたべるごはん。冷や飯にしてあつあつのコロッケでたべるごはん。ごはんだけ、おかずなしでたべるごはん。読んでいるうちに、お米をとぎ、ごはんを炊きたくなってくる。色川さんのまるまるとしたからだの半分ぐらいは、ごはんでできていたのではないか、と思えるほどです。

 色川さんが六十歳のとき、心臓の疾患で急逝された要因のひとつに、この肥満があったことはまちがいないでしょう。さらに言えば、突然、発作のように睡魔に襲われ、半ば意識を失い、幻覚や幻聴に悩まされるナルコレプシーを患っていた色川さんの、不規則にならざるを得なかった食生活が、あのような肥満体をもたらした可能性もあります。

 ですから、色川さんが肥満であったことを、手放しで称揚できるはずもないのです。もっと色川さんの小説を読みたかった者としては、ますます気楽に体型をうんぬんできないところがある。しかし色川さんは若い頃の痩身より、中年以降のまるまるとした体型こそがふさわしい、と言いたくなる誘惑にかられもします。色川さんの書くエッセイや小説は、あのまるまるとした体型がなければ生まれてこなかった。そうおもうのです。

 途方に暮れたような目でもあり、何かを見てしまったあとのようなとろんとした目でもある。ぼうっとしているようでいて、あることについては絶対に譲れないとひそかに決心しているようにも見える。泣きだしそうな、憐れむような、すべてを見通したような目。色川さんの底知れぬやさしさは、色川さんの恐怖心にそのままつながっている、と感じられるような表情。色川さんの顔は、いつ見ても飽きない、深い顔をしています。

 ──と、色川さんのからだつきや顔についてあれこれと書き連ねましたが、「顔にはその人のすべての要素が複雑にまじりあって、あらわれてくるものなんだ」と、昨日の夜からつらつらと考えていたことが、いつしか色川さんの風貌を思い出すことへとつながっていったのです。

 次号「考える人」の特集「日本の科学者100人100冊」の表紙デザイン案が、昨日の夜にやっと決まりました。1965年にノーベル賞を受賞した朝永振一郎さんのポートレイトを、表紙に使わせていただけないかというアイディアです。どのようなポートレイトかは、7月4日の発売までお待ちいただくことになりますが、とにかく、朝永振一郎さんの顔がなんとも言えず、すばらしいのです。ひとことでは言い表せない、いくつもの要素がまじりあい、重なった深い顔。「考える人」という誌名が、ところを得た、といっているように見えてくる、力強い写真なのです。発売まであと約一ヶ月、いましばらくお待ちくださいますよう。

「考える人」編集長 松家仁之(まついえまさし)
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