三島由紀夫「美しい星」
 北杜夫「楡家の人びと」
 野上弥生子「秀吉と利休」
 吉本隆明「丸山真男論」
 杉森久英「天才と狂人の間」
 中村真一郎「恋の泉」
 大江健三郎「不満足」
 深沢七郎「庶民烈伝」
 安部公房「砂の女」
 山川方夫「親しい友人たち」
 瀬戸内晴美「かの子撩乱」
 木下順二「オットーと呼ばれる日本人」
 河野多恵子「美少女」
 芹沢光治良「人間の運命」
 島尾敏雄「出発は遂に訪れず」
 谷崎潤一郎「台所太平記」
 安岡章太郎「花祭」
 阿部昭「子供部屋」
 高橋和己「悲の器」

 1962年当時、まだ14歳だった批評家の加藤典洋さんは、ほどなくして「文學界」で連載が始まった大江健三郎氏の長篇小説『日常生活の冒険』と出会い、文学の世界にひき寄せられていきます。「このときの驚きはいまも忘れない。こんなに素敵な、こんなに心をワクワクさせる日本語が、あるとは」。

 さらに倉橋由美子氏の「パルタイ」の冒頭も引用しながら、加藤さんはこう書きます。「この時期でなければ、そしてこのようなことばに出会わなければ、きっと現代日本の小説を、好きにならなかっただろう。とにかく筆者は一目見て、ステキで、ひきこまれるような文体の魅力というものに、この時期の日本の小説と外国文学の翻訳を通じて、つかまるのだが、六二年前後、広くいって東京オリンピックに向かう時期の六〇年代前半は、何かそういう都会性が、はじめて日本の文学に浸透した時期だったのではないかと思う」。

「1962年の文学」と題する加藤典洋さんの論考は、この奇蹟のような時代が64年あたりを境に終わりを告げる、と展開していきます。それはいったい何故でしょうか。私たちの現在にまで話の及ぶ1962年をめぐる文学論は、幸福な回顧にとどまらない微妙な苦さも含んでいます。