ちょっと品揃えの面白い古書店を覗くと、50年代や60年代の「暮しの手帖」が大切そうにビニール袋に入って売られている場面によく出くわすようになりました。やはり50年代の「暮しの手帖」がいい、という人もいれば、60年代前半の「暮しの手帖」がいい、という人もいて、人それぞれなのですが、いずれにせよ、60年前半を考えるとき、「暮しの手帖」という雑誌は欠かせない題材です。なにしろ1962年当時、発行部数は80万部に届こうとしていた「国民的雑誌」なのですから。

 編集者である津野海太郎氏に、当時の「暮しの手帖」の「マネのできない」魅力について特集のなかで分析してもらいました。津野氏はこう書きます。

「なぜ私たちには『暮しの手帖』がマネできないのか。私たちとちがって花森安治がトテツもない天才だったからだと、おおくの人がいう。たぶんね。でも、おそらくそれだけではない。花森のような人物を生んだ時代の空気というものがある。具体的にいうなら、たとえば『暮しの手帖』は同時代のロゲルギストのスタイルによく似ているとおもう。私が館長役をつとめる大学図書館の書庫で一九六二年前後の『暮しの手帖』をめくっていて、あらためてそう感じた」

「ロゲルギスト」? ご存知の方もいらっしゃるかもしれません。津野氏によれば、「寺田寅彦、中谷宇吉郎、藤原咲平らの流れをくむ東大物理学教室系の、七人の中堅(当時)学者たちが共同でつかっていたペンネームである。かれらが一九五九年に中央公論社の雑誌『自然』ではじめた連載エッセイが、六三年に『物理の散歩道』(岩波書店)としてまとめられ、のちに発行所をかえて『新物理の散歩道』(中央公論社)となり、八三年までにあわせて十巻が刊行された」──。最年長が1958年生まれの私たち編集部は、恥ずかしながら「ロゲルギスト」の存在を知りませんでした。

 物理学者と「暮しの手帖」とはまた実に意外な取り合わせです。それではどこがどう「ロゲルギスト」なのか。津野氏の分析は実になるほどと唸るような話なのですが──ぜひ本文でご一読くださればと思います。