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 メジロ
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 四月の半ばを過ぎたあたりのことです。玄関に向かう外階段の途中に、白いものが落ちていました。垂れて、落ちて、小さな丸を描いたようなもの。かがんでみたら、鳥のふんでした。外階段の脇には、トネリコの木が並んで植えてあり、春になってからぐんぐんと若い枝をのばし、葉をしげらせています。昼間は郵便局員ぐらいしか訪ねて来ない家の、静かなトネリコの木は、鳥が羽を休めるのにふさわしいのかもしれません。最初はそう思っていました。

 次の日の土曜日、トネリコの落ち葉を掃いていたら、やはり昨日と同じ場所に、あたらしいふんが落ちている。見上げると、外階段の上空は、思っていた以上にトネリコが鬱蒼としています。トネリコは曲げ木を使うウィンザー・チェアの材料にもなる、ねばりのある木です。だから新しく伸びてくる枝にも弾力性がある。樫の木のようにかたく上を目指すのではなく、少しだけ頭を垂れ、雨風にはしなうような生長をします。

 そろそろ枝をはらわないとあたりが薄暗くなってしまう。大雨が降れば、生いしげる葉のふくむ水滴の重みで枝全体がうなだれてしまい、外階段を歩く人の傘や頭をじっとり撫でることになる──のですが、ああ、また雑草抜きと剪定を繰り返すシーシュポスの季節が始まったのか、とやや微妙な気持ち。

 日曜の朝、また同じ場所に盛大にふんが落ちています。「?」と思い、トネリコの木を見上げます。見上げたあたりから、チーと警戒音のような鳴き声を立てながら小さい鳥の影が飛び立ちました。さらに小さい複数の鳴き声がして、またいっせいに、とつぜん静かになりました。「……?」見上げた先の視界の、トネリコの繁みのなかに、鳥ではないモノが焦点を結びます。あ。鳥の巣。私の握りこぶしぐらいの鳥の巣が、トネリコの若い枝にぶらさがるようにしてある。

 玄関の前にしゃがみこんで、しばらく待っていたら、鳥のはばたく音がして、またいっせいに小さな鳴き声がわきたちます。雛たちが親鳥にえさをねだる声です。巣のほうを見上げると、親鳥が握りこぶし大の巣のなかにひょいと入る瞬間でした。そしてまた巣から顔を出し、あたりをうかがって飛びたっていく。メジロでした。

 メジロはスズメやシジュウカラよりひとまわり小さいからだをしています。枝のあいだをわたる様子も軽やかで、敏捷。体重が軽いので、はばたく音も軽く静か。メジロは都内では珍しくない野鳥ですが、巣を見るのは初めてでした。全体にきなり色の、犬の毛や細い糸のようなものをぐるぐると編み上げたような、メジロらしい軽やかな巣です。

 それからは雛の成長にしたがって、巣から落ちるふんが日増しに多くなり、階段の一段分は石灰を落としたように白くなっていきました。部屋のなかにいても、耳を澄ませば、雛たちの鳴き声がかすかに聞こえてくる。

 鳥の種類によっては、ひな鳥のふんを親鳥がくわえて運び出し、巣から離れたところに捨てる場合があります。巣が汚れれば虫もわき、雛の健康にもよくありませんし、だいいち天敵に気づかれる危険性が増すからです。メジロは意外にも、ふんについてはのんきなもので、巣の底から、ふんが垂れ落ちているように見える。

 近くにはカラスもよく姿を現します。雛を見つければ、あっという間にくわえていくでしょう。しかし巣がぶらさがっているトネリコの枝は、カラスがとまるには細すぎて、おそらく襲いかかる足場を確保できないはずです。トネリコの繁みに上手に隠れていることもあり、襲われることはたぶんないだろうと思いました。

 五月の連休は東京を離れていました。雛たちはどうなっているだろうと思いながら一週間ぶりに東京にもどると、見上げた巣は静かでした。しばらく見上げていても、なんの音もしない。メジロも現れない。巣にはいきものの気配がありません。どうやら連休中に雛たちは巣立っていったようでした。

 いまも、使用済みの巣はトネリコの木からぶら下がっています。人間ならなつかしいと思い様子を見に来ることもあるでしょう。メジロは──というか鳥たちは──そのような意味での「帰巣本能」はないのかもしれません(よくわかりませんけれど)。さみしいような、あっけないような、クールなような。もう春から夏に向かう季節なので、メジロが大好きなミカンの輪切りをえさ台に置くのは、「自力更生」の観点から考えると、はばかられます(冬であれば、ミカンの輪切りをえさ台に置けば、どこからか三〇分以内にメジロは現れます)。

 いま巣立ったメジロたちはどこでどうしているのでしょう。子育てを終えた親鳥たちは自分のえさを自分でとって、自分で食べればいいサイクルにもどったのか。メジロの巣はトネリコの木にあいかわらずぶらさがったまま、トネリコの葉といっしょに風に揺られています。

「考える人」編集長 松家仁之(まついえまさし)
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