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 猪苗代湖のほとりで
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 甲子園の高校野球の決勝が終わると、夏休みもあと僅かだなと残り日数が気になり始めた時代があります。

「考える人」のスタッフもそれぞれの夏休みをあらかた消化したところです。パリで羽を伸ばした人もいれば、北海道や九州へ行った人、自宅近辺でノンビリ過ごした人など、さまざまです。私は2泊で温泉へ行ってきました。温泉めぐりはずっと意識的に続けてきているのですが、なぜか縁遠かったのが、比較的近場の北関東、福島、山形といった「温泉銀座」です。そこで、今回は磐梯山方面に出かけてみました。

 お湯は申し分ありませんでした。湯船に浸かっては部屋に戻ってウトウトし、食事をしてはまた風呂へ行き、というのを繰り返して、いい休日でした。期待していた夜空の星にはめぐり合えませんでしたが、帰路、猪苗代湖の近くで眺めた田園風景には心が安らぎました。きれいに生育した緑の稲穂の上を風が渡っていくだけなのですが、その波の広がる様子を見ているだけで夢のようでした。変化のめまぐるしい時代ですが、少なくともこの眺めは「故郷の風景」として何世代にもわたって見つめられ続けてきたのだろうな、と感じさせられるものがありました。

 その近くに野口英世記念館がありました。1000円札に敬意を表したわけではありませんが、いい機会なので訪れてみました。野口については、以前から気になっていたことがいくつかあります。ひとつには、彼の業績について否定的な評価しか聞かれなくなったこと、人柄についても同様です。それから「野口英世伝説」に必ず登場するのは母親のシカさんですが、そこに父の影はまったくありません。そのあたりが、生誕地の記念館ではどのように解説されているのか、という関心がありました。いずれもゴシップ的な興味ではありますが、1000円札の偉人と実際の人物像とのギャップをどこかで解消しておきたいと思っていました。

 記念館の隣に生家跡がありました。幼い日、左手に大火傷をしてハンディキャップを負った囲炉裏(復元されたもの)、床柱に刻まれた「志を得ざれば再び此地を踏まず」という若き日の決意表明、母親が信心を欠かさなかったという観音様などは、彼の立志伝でおなじみのものでした。記念館には母親が、アメリカに渡って医学研究生をしている英世に宛てた、有名な手紙もそのまま展示してありました。年老いた母親が、幼いころに覚えた字を必死で思い出しながら切々と綴った、英世に帰国を促す手紙。それは母の近影とともに英世のもとへ届けられました。

〈おまィの。しせ(出世)にわ。みなたまけました。 わたくしもよろこんでをりまする。 はるになるト。みなほかいド(北海道)に、いてしまいます。 わたくしも、こころぼそくありまする。 ドかはやく。きてくだされ。 はやくきてくたされ。はやくきてくたされ。はやくきてくたされ。はやくきてくたされ。 いしょ(一生)のたのみて。ありまする。 にしさむいてわ。おかみ(拝み)。ひかしさむいてわおかみ。しております。 きたさむいてわおかみおります。みなみさむいてわおかんておりまする。 はやくきてくたされ。いつくるト。おせて(教えて)くたされ。 これのへんち(返事)ちまちてをりまする。ねてもねむられません(抜粋)〉

 猪苗代町では、2002年から全国のお母さんがわが子に宛てた「心の手紙コンテスト」を行っているそうです。「母と子の絆を強くし、あるべき親子関係の姿を見いだすために企画されたものです」とあります。やはり、「母と子」であって英世と母はくっきりとした輪郭を持っていますが、父親像は漠としたままです。婿養子で生活力に乏しく、酒好きの好人物。土井晩翠作詞、古関裕而作曲の「野口英世」という歌でも「四海にひびく英名は 母の慈愛と信とより」とあるのみです(知人の証言によると、ある演歌の歌詞には「頼りにならない父だけど 母の苦労に報いたい」というのがあったそうです)。

 母の痛切な手紙に動かされて15年ぶりの「凱旋」をした英世は、生家の前で母との感動的な再会を果たします。そして連日の休む間もない講演と歓迎のスケジュールの合間を縫って、母を関西旅行へ誘い出します。伊勢神宮に参拝して二見ヶ浦(ふたみがうら)に1泊。そして大阪・箕面「琴の家」で開かれた宴席では、出された珍味をひとつひとつ説明しながら、「これは鰹の刺身ですよ、美味しいですか?」「さあ召し上がれ、松茸のお汁ですよ、その蓋がお椀になるのだそうですよ」と自ら箸でとって母の口へ運ぶ英世の姿が、居合わせた一同を感動させます。全国紙にも大きく報じられたそうです。しかし、この旅に父の姿はなく、「母と父への、英世の尽し方は対照的だった」(渡辺淳一『遠き落日』)とされます。このあたりの親子関係は、同書には赤裸々に描かれています。

〈父の佐代助など、家にいないほうがましで、帰ってくると朝から酒に浸り、シカが夜も寝ずに働いてえた金をくすねては博打に使うといったありさまで、家族を苦しめるためにだけ存在したといったほうが当っている。後年、英世が外国へ渡り、郷里の母や知人へ送った手紙の、どの一片にも、父について書かれていないことでも、そのあたりのことは想像がつく。 これにくらべて、母のシカという人はよく出来た人であった。この人については、野口に関する伝記のすべてが絶讃して止まないが、たしかにその努力と忍耐は並みのものではない〉

 インターネットで調べると、父・佐代助の「名誉回復」を図る動きもあるにはあるようです。彼がなぜ酒と博打に溺れるようになったのか。それには戊辰戦争時のトラウマが決定的だったというのです。「根っからの優しい人」だった父は、そこで心に深い傷を負ったのだといいます。また、英世の並外れた語学力は「学者組」と呼ばれた一族出身の父の血を引く才能に他ならず、「英世のユーモアのセンスと追い詰められた時の柔軟な思考は間違いなく父譲り」であって、「英世の人間的魅力のほとんどは父から譲り受けたものだ」という指摘です。

 英世が金銭的には一種の性格破綻者であったこと。普通の神経ではできないような桁外れの借金を重ねて、それをまた踏み倒す。その一方で、考えられないような浪費癖や金遣いの荒さを持ち合わせている。研究生活においては、功を焦るあまりの「データ捏造」や、強引な業績作りに走った可能性などが指摘されています。しかし、そうした人間的な欠陥や学者としての誤りを認めてもなお、人間ダイナモ(発電機)と呼ばれるほどに激しく自らの生を燃焼した英世は、とんでもなく魅力的な人間であったことも確かでしょう。傍にいるとたまらなく迷惑な存在だが、その人の強烈な個性にはつい引きつけられてしまう何かがある、といった例は、程度の差こそあれ、われわれの周囲にも見出すことができます。

 記念館には2000年10月23日の「朝日新聞」が飾られていました。この1000年間、日本で最も傑出した科学者は誰か、という企画で、読者の人気投票が行われていました。結果を見て驚いたのは、英世は圧倒的な得票(5146)で第一位でした。以下、湯川秀樹(3636)、平賀源内(1411)、杉田玄白(1330)、北里柴三郎(913)、中谷宇吉郎、華岡青洲、南方熊楠、江崎玲於奈、利根川進、鈴木梅太郎、西澤潤一、高峰譲吉、寺田寅彦、志賀潔、関孝和、御木本幸吉、牧野富太郎、朝永振一郎、長岡半太郎、福井謙一、宮島利七、山脇東洋、広中平祐、仁科芳雄、今西錦司、貝原益軒、青木昆陽、木村資生、南部陽一郎といった30人です。

 記事には、「やけどで不自由になった左手、金も学歴もない。耐えて勉学に励み、細菌学者として世界中に名をはせる。野口英世の物語は教科書や偉人伝に何度も取り上げられ、だれもが知っている。そんな日本の英雄も二十代は、悩みもがいた苦い時を過ごしている」、「英世は何にでも没頭するタイプ。毎朝三時ごろまで医学書を読み、六時には起きる。一度口にしただけで単語を覚える。でも、勉強のほかは無とんちゃく。何カ月も床屋にいかず。あかだらけの着物でも平気。遊興は常軌を逸していた」とあります。「経済観念は全くなかった。ハチャメチャですよ。でも憎めない。つい助けたくなる人物なんですね」(中山茂)とも。人生の節目で必ず誰かが手を差し伸べてきたのは、飾らぬ人柄の魅力に加えて「夢を追いかける英世の姿に自分の果たせなかった夢を重ねたところもあったんでしょう」(同氏)と。

 英世の人間的魅力は「父譲り」だと言われれば、どこか似通ったところが感じられなくもありません。そんな気もしてきます。しかし存命中、父は英世にすっかり見放され、一顧だにされませんでした。父・佐代助が本当のところどういう人物であったのか、依然、霧は晴れません。記録によれば、1918年(大正7年)、英世との再会の3年後に65歳で没した妻のシカよりも長生きし、1923年(大正12年)、佐代助は72歳で亡くなったそうです。

 西アフリカへ黄熱病の研究に赴き、そこで英世が客死したのは、1928年(昭和3年)5月21日でした。いま英世の墓は故郷の長照寺にあり、「かつて孝養を尽くした母と、憎みきった父の墓石の間に墓標が立てられて」います(『遠き落日』)。

「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
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