┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 日本のトイレ讃江
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

 荻上直子監督の映画「トイレット」をようやく観てきました。上映館が少ない上にロードショー公開が8月28日だったので、いつ打切りになるかと気が気ではありませんでした。

 舞台は米国東部らしきスモール・タウン。実際の映画づくりはカナダのトロントで行なわれたそうですが、もたいまさこ以外の出演者はすべて外国人。作中のことばも英語。したがって、字幕付きで日本映画を観るという、変わった趣向になっています。荻上監督の代表作「かもめ食堂」は全編フィンランドでのロケでしたが、使用言語は基本的に日本語でしたから、監督が自らのモチーフをいっそう鮮明にするために、新たなチャレンジをしたことは明らかでしょう。

「今日、ママが死んだ――ママが遺したもの、それは、ひきこもりの兄モーリーと、人を小馬鹿にした目で見る妹リサ、たいして大きくもない家、猫のセンセー。そして……」という次男レイの語りで物語は始まります。ママが遺したもうひとつのもの。それは“ばーちゃん”でした。“ばーちゃん”はママが亡くなる直前に日本から呼び寄せた母親、つまり3兄妹の祖母でした。ある企業の実験室に勤めるレイは、日本のアニメが好きな、ロボット型プラモデルのオタク。「人生は退屈の繰り返しに耐え忍ぶことだと思う」を信条に、誰とも深く交わらない生活を続けてきました。ところが、ひとり暮しのアパートが火事になり、母の葬儀からほどなくして、やむなく実家へ舞い戻ることになります。そこから、これまでバラバラに生きてきた3人の兄妹と、英語をまったく話さない“ばーちゃん”との奇妙な共同生活が始まります。

 あらすじは省略しますが、ことばを超えて心を通わせていく家族の絆の物語だと要約していいと思います。たまたま家族という枠組みになってはいますが、物語半ばで明らかになるように、血のつながりが決定的な意味を持っているわけでもありません。ことばがたとえ通じなくても伝わる何かがあるはず、というメッセージは「かもめ食堂」以来の荻上監督のモチーフです。

“ばーちゃん”はいつも不機嫌そうで、表情は硬く、動作はゆっくりしています。トイレが異様に長くて、出ると決まって深いため息をつきます。その“ばーちゃん”が、不思議なことに、いつしか兄妹たちの守護神のようになっていきます。彼ら本来の願いを引き出し、それを心でしっかり受け止め、鼓舞する役まわりを担っていきます。“ばーちゃん”ということばの響きがこれほど耳に快く、英語になじむものとは意外でした。ほのぼのとした温かみを感じさせることばであることを逆に教えられました。兄妹から“ばーちゃん”が発せられるごとに、次第に“ばーちゃん”の存在感そのものが大きくなっていきます。作品のチラシに「みんな、ホントウの自分でおやんなさい」というコピーが載っていますが、“ばーちゃん”によって背中を押されて、少しずつ自由になっていく兄妹たち。英語を話さない“ばーちゃん”の存在によって、ホントウに大切な何かをそれぞれが自分の中に探求し始める様子が、巧みな間合いの演出で、さりげなく展開されてゆきます。

 ここで思い出したのは、先日、第9回小林秀雄賞の授賞式で受賞者の加藤陽子さん(東京大学大学院人文社会系研究科教授)がスピーチで紹介していたエピソードでした。大学で教師をしていると、講義で自分が話すことの何に学生が強く反応するかがよく分かるけれども、いままで自分がしゃべってきた中で何がいちばん受けたか。それは「先生には友達が本当にいないの」と言った瞬間だった、という話です。ドカンと笑いが来た、というのです。「つまりそれくらい、みんな、友達がいないということに不安を感じているんですね。私の話を聞いて、あ、なんだ、友達がいなくてもだいじょうぶなんだ、と安心するみたいです」。「だから、友達がいなくてもだいじょうぶ。ひとりでもだいじょうぶ」というのは、いまの若い人たちに対する大切なメッセージです。しかし同時に、「でもひとりじゃないよ」と伝えていくのも教師である私の役割です、といった意味のことを話されていたと思います。

「トイレット」に出てくる兄妹は友達のいない人たちです。ピアノが上手なのにあるトラウマからピアノを弾けない状態に陥っていたモーリーは、偶然、昔ママが使っていた古い足踏みミシンを見つけます。その使い方を“ばーちゃん”に教わると、4年間外に出たことのなかった彼が、勇気を奮って布地を買いに外出します。そして自分で花柄のスカートを縫い、それをはいてピアノを弾きます。驚く家族を前に、「欲求に理由を求めるのは無意味だ」と言い、やがてスカート姿でピアノ・コンテストに出場します。

 リサはテレビでエア・ギターのパフォーマンスに見入っている“ばーちゃん”に刺激されて、自分がフェイク(にせもの)な存在でないことを証明するためにエア・ギターのコンテストに出場することを思い立ちます。“ばーちゃん”はモーリーに布地を買うお金を出したように、リサの真剣な願いに反応して、気前良く大きな蛇柄の財布からお金を取り出します。

 孤独な彼らが、あるひとつのきっかけから何か夢中になれるものを見つけると、“ばーちゃん”はひそかに微笑みます。「ひとりでもだいじょうぶ」。そして、見守られながら一歩を踏み出した彼らは、傍らにいる人たちとのつながりをこれまでとは違う形で意識し始めます。「でもひとりじゃないよ」

 この映画のもうひとつの隠れたキャストは、餃子です。ママがよく作ってくれていた餃子は、“ばーちゃん”の得意料理でもあります。「ギョーザはすごくクールだ」とレイは親指を立てて賞味しますが、本当においしそうです。焼き目を上にして並べられた餃子の表情が実に素晴らしい。4人が一緒に餃子を食べるシーン、さらには家族で一緒に餃子を作る場面はこの映画のテーマを象徴しています。慣れない手つきのリサが、皮に具をのせ、ふたつに折り、端からひだを作りながら、真ん中で最後にとめます。いろんな形の餃子ができあがって、「これは“ばーちゃん”、これはリサの」というようにひと皿に並んだ餃子の関係は、この4人が新たに手にしたつながりと距離感を物語っているようです。「かもめ食堂」はひとりで立っている女性たちの織り成す物語でしたが、「トイレット」はそこから「ことば」を引き算して、登場人物たちをさらに自らの内面へと向かわせた、よりポジティブな物語になっているような気がしました。

 最後に、タイトルにもなった「トイレット」ですが、荻上監督はインタビューに答えて、「かもめ食堂」の公開時に来日したフィンランド人スタッフが「日本のトイレって、なんでこんなに凄いんだ!」と感動している姿を見て、今回の着想を得たと話していました。歌手のマドンナを感動させたように、センサーによってフタが開き、温かい便座とお尻を洗う機能が付いていて、洗浄も自動的に起動する日本のトイレは「ただのトイレじゃない。日本の偉大なテクノロジーだ!」と、レイのインド系同僚が力説しています。「ウォシュレット」は日本の奇跡かもしれません。

 トイレは、まさにひとりの場所。人知れず泣きたい人の多くが選ぶ場所ですし、「友達がいない」ことに悩む日本の若者には「トイレ飯」が増えているというご時世です。でも、文脈が変わればウォシュレットの空間は、「快適な、いい感じの場所」にもなり得ます。エンド・ロールに「SPECIAL THANKS」として「TOTO」の名前が出たときには、客席に笑いが起きました。日ごろから、この空間への感謝を共有している人たちからの賛同の笑いだったように聞こえました。


「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
────────────────────────────────────
定期購読(1年間5,600円、3年間15,000円 税込み・送料小社負担)
バックナンバーのご注文
http://www.shinchosha.co.jp/kangaeruhito/backnumber.html
お問い合わせは下記まで。
新潮社「読者係」直通電話 03-3266-5111(平日10:00~17:00)
------------------------------------------------------------------------
Copyright(c), 2010 新潮社 無断転載を禁じます。
発行 新潮社
〒162-8711 東京都新宿区矢来町71
新潮社ホームページURL● http://www.shinchosha.co.jp