【考える本棚】
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 宮本徳蔵『力士漂泊 相撲のアルケオロジー』
 (小沢書店、現在は講談社文芸文庫)
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チカラビト讃歌------------------------------------------------------------------------ 大相撲の八百長メール問題は、ついに春場所の開催中止という非常事態を引き起こしました。過去、本場所の興行が取りやめになった例は、戦災で破損した旧両国国技館の改修工事が遅れた1946年夏場所だけだといいますから、不祥事による中止となれば前代未聞の黒星が刻まれたことになります。日本相撲協会の記者会見で、「相撲の歴史に最大の汚点を残す結果となった」と放駒理事長は述べましたが、奈良時代に五穀豊穣を願う神事として始まり、また怨霊鎮めの儀礼的役割を担ってきた大相撲の長い歴史を考えれば、他の近代プロスポーツの大会が中止になるのとは、根本的に意味が異なっていると思います。

 若手力士暴行死事件、大麻吸引事件、朝青龍暴行問題、暴力団員の本場所観戦問題、野球賭博関与、そして今回の八百長疑惑……まるで底が抜けたような角界の危機的状況ですが、日本相撲協会の対応能力の問題もさることながら、より本質的な意味で問われているのは、日本人の意識の深層に根ざしているはずの「相撲という文化的なシステム」を、変化する現代日本社会の中でどのように位置づけていくのか、ということではないでしょうか。今回の事件を大きく報じた新聞社会面の下段に、図らずも作家・宮本徳蔵さんの死を伝える記事が掲載されていたのは、その意味であまりに象徴的でした。

〈相撲の歴史を神話、宗教、民俗など多角的に考察した随筆『力士漂泊』で、1987年に読売文学賞を受賞した作家の宮本徳蔵(みやもと・とくぞう)さんが2日、死去した。80歳〉(読売新聞2月3日朝刊)

 私が初めて宮本さんにお会いしたのも、まさに『力士漂泊』を読んだことがきっかけでした。1985年暮に、いまはなき小沢書店から出たこの本を、書店でふと手に取ったことが始まりでした。さして熱心な相撲ファンでもなかった私が、未知の筆者が書いた冒頭の数行で、あっという間にその世界に引き込まれたのでした。

〈チカラビトはいつ、どこで生まれたか。 草原と砂漠のまじりつつ果てもなくつらなるアジアの北辺、現在の地図でいえばモンゴル共和国のしめているところだったであろう。 時はいつか。モンゴルは十三世紀にいたるまで文字をもたなかったので、しかと定めることはできない。しかしさまざまの徴表より見て、二、三世紀をさしてくだらぬころであったと思われる。 チカラビトの彷徨は、ほとんどその誕生と同時にはじまる。この広漠たる地域を吹きすさぶ冷たい朔風に乗るようにして、東へ、さらに南へと限りもなく流れてゆく。その足跡は、江上波夫のとなえる遊牧騎馬民族の大移動の方向とおおむね一致している。 むろんまったく反対に、西へ向かったものもあった。カスピ海の南をまわり、時をへだててトルコのレスラーとして現れるのがそいつで、ヨーロッパ格闘技の祖としての栄誉をになうこととなった〉

 いまこうして書き写していても、その時の胸の高まりが蘇ってきます。読売文学賞の選評で丸谷才一さんが、自分は相撲については不熱心な部類に属するほうだが、「そういう男が夢中になったという事実はこの本の質の高さを保証するものである。詩の理想は、薔薇の花の美しさを歌って薔薇嫌いの人を魅惑することだ、という誰かの説を思い出す」と書いているように、幅広い学識と文学的想像力を駆使しながら、相撲の歴史を探り、その宇宙論的広がりを浮かび上がらせたのが同書でした。そして作家的直観によって相撲に備わる身体的な技芸の性格と魅力を鮮やかに指摘し、幼時からの無類の相撲好きの情熱によって、このチカラビトをめぐる光と影のドラマを類まれな文学作品に仕上げていました。

「あとがき」がまたふるっていました。「相撲が国技だなんて、小さい、小さい。ユーラシアにまたがる数千キロの空間と、十数世紀におよぶ時間が背後に横たわっているのが見えないか。……強いばかりが横綱じゃない。負け犬のなかにこそ味のある力士がいる。……相撲場は円いとはかぎらぬぞ。四角な土俵で取っているところもある。エトセトラ」

 6、7世紀頃に海を渡ってきたチカラビトは、そもそもの初めから異境性、放浪性の刻印を鮮明に帯びた存在でした。ヤマト国家への「服属」を演劇的になぞる性質をもっていた相撲は、平安時代の四世紀を通じて盛んだった相撲節(すまいのせち)においても「まつろわぬものども(異界集団)」の「服属性のパフォーマンス」の論理を受け継いだといいます。それと併せて五穀豊穣を祈願する宗教的祭儀と結びつき、やがて江戸時代には見世物(興行)としての完成を見るようになります。神道、それ以前の素朴な民間信仰に加えて、行司の「はっけ(八卦)よい」の掛け声や、土俵を支える四本柱(いまは四つの房に簡略化されていますが、それぞれに玄武、青竜、白虎、朱雀の色があてはめられています)に見られるように、陰陽道の影響は明らかです。また江戸が都市化していく過程でさまざまな災厄の犠牲となった人たちを、宗派に関係なく集めて弔った両国・回向院で相撲興行が定着したように、京橋・日本橋の側から見て橋の向こうの地域――他界であり「死者」の象徴空間である向両国(むこうりょうごく)――での「鎮魂のパフォーマンス」という仏教的な要素も含まれました。

 また宮本説によれば相撲は金剛界曼荼羅とも結んでいて、土俵に上がるチカラビトはそれぞれ陰と陽の宇宙エネルギーの化身とみなされ、その最終的な勝者は大日如来の“神聖な力の具現者の徴(しる)し”として腰に注連縄(横綱)をつけることが約束されます。今日、私たちが当然視して眺めている四股(しこ)、柏手(かしわで)といった力士の所作は除魔の呪術であり、「力水」「水入り」の由縁、醜名(しこな)の由来、国技館の構造、土俵、徳俵の表象性など、同書で示される洞察や見解はことごとく新鮮でした。

 角界の制度、生活様式やしきたり、番付の哲学、決まり手という型、あるいは天皇と相撲の関係等々、相撲という世界はきわめてユニークです。つまり、ルールに基づいて勝ち負けを争う見世物である以上は“スポーツ”に違いないのですが、あくまで相撲は近代スポーツとは別のところで成立したものです。ユーラシアに始まる遥かな旅の記憶をかすかな痕跡として残しながら、宗教的、祭儀的な性格を持ち、歌舞伎にも通じる芸能の側面をも備えている相撲改革の難しさは、まさにそこにあります。近代化を焦って本質的な部分を根こぎにしては、何の変哲もない薄っぺらな格闘技に成り下がってしまうばかりです。

『力士漂泊』はそうした意味で、相撲の発祥に思いを馳せ、その醍醐味を明らかにし、力士の「気」が激しくぶつかり合う姿を目にすることで見物人もまた浄化されるという相撲の効験に気づかせてくれる書物です。八百長の根絶と再発防止に向けて、今後どのような道筋を引くべきか、本来であれば宮本さんにいまこそ語っていただきたいという思いがひとしおです。

 ところで、久々に読み返して改めて面白かったのは、高砂部屋の系譜でした。相撲界の横紙破りだった初代の高見山大之助から、名横綱・双葉山に対する悪役兼ピエロを演じた男女ノ川(みなのがわ)、モダニストで遊び人で、邪道の張り手を得意としたアンチヒーローの前田山、初代若乃花の引き立て役に終始した先代の朝潮太郎、見世物性で人気を博したジェシー高見山大五郎、そして朝潮、小錦と続いてきた高砂部屋ですが、言うまでもなくこの伝統の申し子がモンゴル人朝青龍だったわけです。相撲にはそもそもの始まりから異人性が不可欠であったという宮本さんは、アンチヒーローの系譜をこう評しています。

〈ヒーローのあるところ、アンチヒーローがいる。勝利と敗北が対概念である以上、どちらを欠いても相撲は成りたたない。そしてときとしてアンチヒーローは、なまなかなヒーローが足もとにも寄りつけぬほどの光芒を放つ。長い歴史のなかにともすれば埋もれがちな、いまひとつの個性ゆたかなチカラビトの系列があるのを見落としてはならないだろう。ヒーローにはない、「革新性」と「道化性」がかれを特徴づける〉

 朝青龍の悲劇は、本来であれば対抗軸となるはずだったヒーローの長き不在であったと言えるでしょう。いまや戦前の名横綱・双葉山の「後の先(ごのせん)」――「受け」の強さの極致を追求する白鵬は、その意味で正統的なヒーローの後継者です。「相撲がなくなってしまえば、この国は終わってしまうのではないかという、そういう強い気持ちが私にはあるんです」(「週刊文春」2010年12月30日・2011年1月6日号「阿川佐和子のこの人に会いたい」)という彼の言葉は、まさにその自覚を語っています。

 浮世絵や歌舞伎にも詳しかった宮本さんには、歌舞伎界の昨今、荒事の名門・成田屋の御曹司の一件についてもお話を伺っておきたかったと思いますが、最後に私的な謝辞をひと言。『潤一郎ごのみ』(文藝春秋)の著書もある宮本さんが、人知れず側面から支援して下さったのが『谷崎潤一郎=渡辺千萬子 往復書簡』(2001年、中央公論新社)でした。谷崎にとって「義妹の息子の若嫁」であった渡辺千萬子さんが、谷崎の死後36年間封印してきた293通におよぶ往復書簡(その後21通を追加発表)の公開を決断するまでには、長い道のりが必要でした。この本が成立した背景のひとつに、宮本さんの働きかけがあったことも、感謝をこめて書きとどめておきたいと思います。

「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
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