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 終わり良ければ
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 前々回のメールマガジンで「東京マラソン出場」の話を書いたところ、思いがけず、いろいろな方から激励の言葉を頂戴しました。また、前の晩に服用してみてはどうかと漢方「勺薬甘草湯」を送ってくれた“走友”や、俊足の神様「韋駄天(いだてん)」をまつる日本橋人形町の「大観音寺(おおがんのんじ)」の「お守り」をもらってきてくれた知人など、多くの人の厚意にあずかりました。「これでいよいよ後に引けなくなったな」と覚悟を新たにするとともに、今回は大きなことは望まず、目標はシンプルに、ミニマムに、ともかく「完走」をめざして走ろうと、頭をスッキリさせて当日を迎えました。

 幸い、いつにない快晴でした。気温10度前後、ほぼ無風。ランナーにとっても、応援する側にとっても最高のコンディションに恵まれました。そこで、さっそく結果をご報告しますと、何とか無事に目標を達成できました。3万6000人の参加者のうち、男女合わせて3万2416人というフルマラソン完走者の一人になることができました。フィニッシュ・タイムは、ネット・タイム(スタート・ラインを通過した瞬間からの個人記録)で4時間57分15秒。記録的には2年連続で自己ワースト記録の大幅更新という結果になりましたが、いまの自分としては「まあ満足」という内容です。

 中間点(21.1キロ)を過ぎたあたり(本来であれば最も高揚感を感じるはずの銀座通り)から後の苦しさ。残りの距離を考えると気も遠くなりそうでしたが、どうにかここで踏みとどまることができました。すると不思議なことに、最後の最後で僅かに持ち直すことができました。それが今回の最大の収穫でした。「終わり良ければすべて良し」ではありませんが、この締めくくりが「達成感」につながりました。

 改めて感じたこともいくつか。今回は「無謀だ」と言われても仕方がないほどの練習不足でしたが、それでも何とか完走できたのは、過去の蓄積があったからこそだと思いました。42.195キロという距離全体をイメージできていたことが、苦しさの中にあっても強みになりました。同時に、マラソンはつくづく正直者だと思いました。努力をした人にだけ、マラソンの神様は祝福を与えます。

 野口みずき選手の名言「走った距離は、裏切らない」、瀬古利彦さんの師である中村清監督の「天才は有限、努力は無限」を、走っている最中に何度も思い出しました。「祝古希」という襷をかけた女性ランナーに25キロ過ぎで抜かれました。大会最高齢ではなかろうかと思われる男性に30キロ過ぎであっさりかわされました。厳しい現実ですが、日頃の努力が足りないわけですから、当然のことと潔く認めるしかありません。いっそ気持ちがいいくらいです。

「完走」を目標にしましたので、スタートしてから自分に言い聞かせたのは、「冷静に、冷静に」ということだけでした。3キロ過ぎで、左足のシューズの紐が解(ほど)けました。スタート前に点検していましたから、びっくりしました。これまでに一度も経験したことのない出来事です。コースの端に出て、しっかり結び直しながら、これはきっと「焦るな。飛ばすな」という天の声に違いないと解釈しました。すると7キロ地点で、また同じように紐が解けました。信じがたい話です。さらに丁寧に締め直しながら、これはおそらく、さっき沿道の知人から声をかけられて気を良くしている様子を見たカミ様が、「ここで調子に乗るなよ」という戒めのメッセージを送ってきたのだと受け止めました。

 こうして基本的にはジョギング・ペースを心がけながら、抑えて、抑えて走りました。ところが、予想していたこととはいえ、23キロ過ぎあたりから「スタミナ切れ」を感じ始めました。走り込み不足がてきめんに効いてきました。25キロあたりからは左腿の裏側が痙攣してきました。右足の中指にもいやな違和感が出始めました。身体のあちこちが少しずつ悲鳴を上げているようです。さらに暑さのせいもあって、頭がややモーローとしてきました。ここからの10キロが“最悪の旅”となりました。ゴールまでの距離はまだ十分過ぎるほどに残っています。「完走」の目標に危険信号が点った時間帯でした。

 ただ、こうしてもがきながらふと思い出したのは、以前トライアスロンの試合で、あまりの暑さに熱中症寸前までいった時のことです。あの時、どうやってピンチを切り抜けたかを思い起こしながら、まず塩分の補給に努めました。そして給水所では焦らずに立ちどまってゆっくり水を飲み、足のストレッチを丁寧にやりました。中途半端に歩いたりするのは止めて、「急がば回れ」で覚悟を決めて、身体のケアをしながら回復の時を待とうと判断しました。エイド・ステーションでは初めてアンパンを手にしました。マラソンのレース中にものを食べるなんて考えたこともなかったのですが、今回ばかりは身体が欲していました。

 こうやって「騙し騙し」の状態で走り続けました。やがて東京マラソン最大の難所とされる36キロ地点、佃大橋の上りが近づいてきました。いつもこのあたりでガクッとペース・ダウンする鬼門です。ところが、ここで予想もしなかった展開が待ち受けていました。上り勾配を見た途端に「心が折れるか」と恐れていたら、身体のほうから「まだいけるぞ」というサインが送られてきたのです。「まだ足が残っているぞ」というメッセージでした。先ほどまでとは打って変わった反応です。となれば、ここは「身体のいいなり」(内澤旬子さんの本のタイトルではありませんが)に走ってみるかと、少し気持ちが明るくなりました。身体の言い分に従って、行けるところまで思い切って行こう。走れ、メロス! ここであきらめるな。友は待っている!

 そこから先は、いい形でこの日を締めくくろうという思いだけで走りました。5キロごとのスプリット・タイムを見ると、25~30km、30~35kmがそれぞれ43分、44分とガタ落ちになっているのに対して、35~40kmは38分台に戻っています。それをさらにペース・アップ。何とかゴールに辿り着きました。自分に対して、小さくガッツ・ポーズです。

 これまで「終わり良ければ……」の格言は、結果オーライを奨励しているようで、いかがなものかと思っていました。ところが、今度の体験で少し感じ方が変わりました。途中でいろんなことがあってギクシャクしたにせよ、最後をいい形で締めくくることができれば、次に向かう前向きな達成感が得られるものです。勝利の感激とはだいぶ違いますが、燃やし尽くすべきものはそれでも燃やし尽くしたかな、という手応えです。来年のことはまだ白紙としか言えませんが、少なくとも気持ちだけはつながったかな、という感触は、昨年以上の満足度です。

「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
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