須賀敦子さんは生前、『ミラノ 霧の風景』『コルシア書店の仲間たち』『ヴェネツィアの宿』『トリエステの坂道』『ユルスナールの靴』という5冊のエッセイ集を出されています。静かで洗練されていながら強靭さをあわせもつ美しい文章で綴られた作品は、たくさんの読者を魅了しましたが、残念なことに、1998年に69歳で急逝され、その作家生活は10年に満たないものでした。

 著者の湯川豊さんは、たくさんの本の誕生に関わってこられた元編集者です。『ミラノ 霧の風景』を手にして、このような文章を書く人に会ってみたい、話をしてみたいという思いに駆られ、須賀さんが勤められていた上智大学の研究室を訪れたのだそうです。そして、2冊目の本『コルシア書店の仲間たち』を担当することになりました。
 この連載では、須賀さんの作品をていねいに読みこみながら、書くことは「私にとって息をするのとおなじくらい大切なこと」といわれていた須賀さんの、文業の意味を明らかにしていきます。06年春号の第1回は、『もう一度、コルシア書店を生きる』です。

 芦屋市に生まれた須賀さんは、聖心女子大学卒業後、パリのソルボンヌ大学に3年間留学します。帰国後、知人から送ってもらった会報誌などによって、イタリア・ミラノのコルシア書店のことを知り、強く惹かれていきました。コルシア書店は、二人の神父を中心にしてできたグループで、書店を拠点として、出版活動、講演会、ボランティアなど、多岐にわたる活動をしていました。須賀さんはイタリアに留学すると同時に、コルシア書店のふところに飛び込んでいきます。やがて、書店の運営を担当していたジュゼッペ・リッカと結婚することになるのですが。

 コルシア書店の仲間たちを書くにあたって、人物の思想や信仰をたどったり、活動の実態を報告するのではなく、エピソードやゴシップをつなげて人物を再現することによって、その文章のひとつひとつから人間の物語が現われてくるような、独創的なエッセイが紡がれていきました。
 湯川さんは作品とじっくりと対話し、さりげない一節に隠された大切な秘密を、私たちにそっと教えてくれます。