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 6・8・9が1位になった日
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 3・11の大震災後、しばらく休止状態だった企業広告が次第に「復旧」し始めた4月、あちこちで評判になったのが、サントリーの震災復興支援のCMでした。坂本九が歌った昭和30年代のヒット曲「上を向いて歩こう」、「見上げてごらん夜の星を」の2曲を、サントリー製品のCMに出演している歌手・俳優・タレントがリレー形式で歌い継ぐという、異色のメッセージ広告でした。出演者は大滝秀治、小雪、坂本龍一、水前寺清子、檀れい、トミー・リー・ジョーンズ、中村獅童、ベッキー、松田聖子、宮沢りえ、本木雅弘、矢沢永吉、和田アキ子ら総勢71人に及びます。ふだん歌声を披露することのない人が熱唱する姿もありましたし、同社がスポンサーをしている番組「チューボーですよ!」の司会、堺正章さんも出演していました。

 30秒と60秒のCMは全部で30種類あったそうです。商品宣伝は一切ナシで、ヘッドホンをつけた各人がマイクに向かって切々と歌う姿が流れ、最後に曲名と「SUNTORY」のロゴが浮かび上がるという心にくい演出です。これまで数々のCMの名作を生んできたサントリーの企業文化、宣伝の歴史にふさわしいアイディアだと思いました。それとともに、これだけの人たちが、なんとノーギャラで集まったというのも、3・11の衝撃がそれほど大きかったことだと痛感しました。

 コラムニストの天野祐吉さんが、朝日新聞朝刊(4月20日)の「CM天気図」で「被災地の人たちへのお見舞いCMであり、同時に東も西も含めた日本への激励歌でもある。が、それだけではない。これはまた、100%サントリーのCMでもある」と評しておられましたが、その通りだと思いました。そしてこの「しぶとい二枚腰」こそが、これから復興をめざそうという日本に必要なメンタル・タフネスかもしれないと感じました。

 折しも、いま朝日新聞夕刊では「ジャーナリズム列伝」で永六輔さんについての連載が続いています(書き手は、編集委員の隈元信一さんです)。言うまでもありませんが、上の2曲の作詞はいずれも永さんです。多彩な才能と持久力を兼ね備えた永さんを、あえてジャーナリストという切り口で取り上げるのも面白い試みだと思いますが、毎回何かしら知らないエピソードが紹介されているので、楽しみに読んでいます。

 6月3日には「上を向いて歩こう」の裏話が書かれていました。この歌がNHKの人気番組「夢であいましょう」の「今月の歌」になったのは1961(昭和36)年10月と11月です。作曲が中村八大さんで、作詞が永さんでした。曲が先に作られて、それに「詞を当てはめていくのが中村流だった」そうなのですが、歌手が坂本九だと聞いて、永さんは反対します。ロカビリー出身で、すでにテレビやラジオで売れっ子だった19歳の坂本さんを、単なる人気アイドルだと思っていたからです。

 ところが本人に会ったところ、その礼儀正しさにまず驚かされ、次に歌を聞いて仰天してしまいます。「ウヘッフォムフフィテ~。このへたくそな歌い方は何だ、と思いましたね」。この話、坂本九のオリジナルを知らない人にはピンと来ないかもしれませんが、当時はともかくこのポップな歌い方と、彼のニキビだらけの笑顔が時代のシンボルとなったのです。

 同じような話は、私も以前、永さんに取材した人物から聞いたことがあります。「曲が先で詞をそれにはめていくので、ことば数の足りないところを『歩ぅこぅをぉう』と、九ちゃんが邦楽の歌い方をして埋めてくれました。彼は三味線で育った子なんですね。そこがまたエキゾチックで受けました」と。

 もうひとつの「見上げてごらん夜の星を」の作曲は中村八大さんではありません。CMソングで世に出たいずみたく氏の作曲です。そもそもは定時制高校を舞台にして、永さんが台本を書いた同題のミュージカルのために作られた曲で、初演から3年後の1963(昭和38)年に、坂本九さんが歌ってヒットしました。いずみ・永コンビはデューク・エイセスが歌った「いい湯だな」「女ひとり」など「にほんのうた」シリーズでも多くの名曲を生み出しています。

 ついでながら「ジャーナリズム列伝」には「こんにちは赤ちゃん」の誕生秘話もありました。こちらは永・中村コンビの曲を20歳の梓みちよが歌って大ヒットし、1963年のレコード大賞に選ばれています。歌が生れたきっかけは、中村さんに長男が誕生したというので、永さんが一緒に産院に駆けつけたそうです。すると、緊張しきった中村さんが赤ちゃんに向かって「はじめまして、父親です」と挨拶しました。これを聞いた永さんが詞を贈ります。その時の詞は「はじめまして」のあとは「私がパパだ」になっていたそうです。ところが「夢であいましょう」の末盛憲彦NHKディレクターが、「そのパパをママにできませんか」と提案。永さんは抵抗したようですが、意見は聞き入れられずに、ママの歌になったといいます。

 永さんの当初のイメージと相違する展開になった点は、「上を向いて歩こう」と似ています。いろいろなアイディアや個性が混ざり合って、結果的に国民的なヒット曲が生れたわけです。こういう化学反応というのはどうやったらできるのか、単に組合せの問題だけでないのが面白いと思います。出会いのタイミングや時代の空気、場合によってはその日のお天気さえ関係しているかもしれません。

「6・8・9」というのは、永六輔、中村八大、坂本九から取ったトリオの呼び名でした。九さんは1985年の日航機123便墜落事故に遭遇して亡くなり、八さんは1992年に他界しましたが、曲の誕生からちょうど50年後のいま、「上を向いて歩こう」が震災の復興支援の歌として歌い継がれることになりました。

 中村八大さんはジャズ・ピアニスト出身です。「上を向いて歩こう」は「陽気にもしんみりとも演奏できるんだ」と誇らしげに語っていたのを永さんは覚えているそうです。明るい曲調ですが、ノーテンキな応援歌ではなく、またお涙頂戴ではない哀愁を帯びています――こういうところが日本人の情感にはたまらなくて、外国人にはエキゾチックに響いたのでしょう。「Sukiyaki(スキヤキ)」ソングとしてアメリカで大ヒットしていると最初に聞いた時は、それこそ「ウソでしょう」と思ったものです。ところが後年、アメリカで実際に演奏されている場面に立ち会って、メロディーの普遍性を確信しました。

 6・8・9トリオのこの曲が、全米ヒットチャートの第1位に躍り出たのは、1963年、いまから48年前の昨日(6月15日)のことでした。

「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
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