【考える本棚】
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 『チャリング・クロス街84番地 書物を愛する人のための本』
 ヘレーン・ハンフ編著(中公文庫)
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 副題に「書物を愛する人のための本」とありますが、「書物」というところは、仮に料理であっても、園芸であってもいいような気がします。人が無償の愛を傾けられる「何か」であって、それが人生にとって大切な触れあいのきっかけになるのであれば、とくに書物である必要はないと思います。たまたまこの本は真に書物を愛する人たちの物語ではありますが――。

 久々にこの本のことを思い出したのは、ちょっとハート・ウォーミングな作品を読みたいと思ったこと――それも甘ったるい話ではなく、大人同士の心の交流を読みたいと思ったからです。初めて読んだ時から30年も時を経ているだけに、感じ方がだいぶ変っているかと気がかりでしたが、書物を愛する「人々の心が奏でた善意の音楽」(訳者・江藤淳)の調べは、期待を少しも裏切りませんでした。

 物語はいたって単純です。ニューヨークに住む「貧乏作家で、古本好き」の女性(ヘレーン・ハンフ自身)と、ロンドンの古書店マークス社の番頭格フランク・ドエルとの間で、20年にわたって交わされた実際の往復書簡集です。『サタデー・レビュー』紙上で、ロンドンにある絶版本専門の古書店の広告に目を留めたヘレーンは、「今すぐにもほしい書籍のリスト」を添えて注文の手紙を出します。1949年10月5日付けの最初の手紙です。ニューヨークでは「非常に高価な稀覯本か、あるいは学生さんたちの書込みのある、バーンズ・アンド・ノーブル社版の手あかにまみれた古本しか手にはいらない」ので、「一冊につき五ドルを越えないもの」で「よごれていない古書の在庫」があれば送ってもらえないだろうかという注文でした。

 それに対して、丁寧な返事とお目当ての本が送られてきます。そこから両者の間で、発注と受注、入荷・出荷と受取、請求と支払いの事務的なやりとりが繰り返されます。ところが、この連絡をするヘレーンの手紙がユーモアにあふれているので、フランクのみならず古書店の人々がこれを心待ちにし始めます。当時、5000キロ近くも離れた大西洋の向こう側に何人くらいの顧客がいたのかは分かりませんが、「とび切り上等のヨークシャー・プリンよりおいしいなんてもの、ぜったいこの世にありません」というほどの英国びいき(アングロファイル)で、イギリスの古典文学にかぎりない敬愛の念を抱いているヘレーンに、書店員は次第に親しみを覚えていきます。

「私が古本の中でも特に好きなのは、前に持っていた方がいちばん愛読なさったページのところが自然にパラッと開くような本」で、「愛書家同士の心の交流が感じられ」るような本。彼女が良い版の本を少しずつ手許に集めながら、それをいとおしんでいる様子は、文面からたちどころに伝わるところです。

 ヘレーンは、戦後もロンドンでは食糧難が続いていると友人から聞くと、折にふれて肉や卵、缶詰など食料品の詰め合わせを古書店に送ります。人々はそれを喜びます。イギリスとアメリカ――第2次世界大戦を境に世界の覇権国家としての地位が逆転した両国の関係は、食糧の問題だけでなく、本代を支払う際のドルとポンドの力関係などにも影を落としています。

 1951年秋のチャーチルの保守党勝利に期待を寄せるフランク。民主党支持のヘレーン。翌年の国王ジョージ六世の急逝、そしてエリザベス女王の戴冠式の話題も登場します(先日、映画「英国王のスピーチ」を観たこともあって、この箇所には思わず反応してしまいました)。1965年には、カーナビー・ストリートの話題が登場して、「私はビートルズは悪くないと思っています」とフランク。ヘレーンが野球のブルックリン・ドジャーズのご贔屓なら、フランクはサッカーの「トッテナム・ホットスパーズ」のファンという好対照。

 ヘレーンの飾らない(時には辛らつなユーモアまじりの)文面に対して、フランクの、いかにもイギリスふうの控えめで行き届いた配慮と親切は、こたえられない魅力です。文通には次第に書店の同僚や、フランクの家族、その隣人までもが参加するようになり、親しさはいっそう深まっていきます。

 ヘレーンはいずれ「イギリス文学のイギリス」を見に行きたいという願いを抱いていて、書店の仲間もそれを待ちかねます。「私自身の足でロンドンの古色蒼然とした石畳の歩道を歩く日を楽しみにしております。バークレー広場を横切ってウィンポール通りに出、ジョン・ダンが説教したセント・ポール寺院の内陣にたたずみ、エリザベス一世がロンドン塔に押し込められるのを拒んですわり込んだ石段に腰をおろしたり、いろいろしてみたい」と夢見て、つましい暮らしの中からお金を蓄えます。

 月日とともに、二人の暮らしや書店の仲間にも微妙な変化は生じますが、変わらないのは、二人の間に交わされるほのぼのとした手紙のやりとりと、ヘレーンが英文学のきわめつきの名著を注文し続けることです。彼女は小説よりも「一人称の主人公の目で見た物語」を好みます。サミュエル・ピープスの『日記』やアイザック・ウォルトンの『伝記集』『釣魚大全』、ジョン・ダンの「説教」、ローレンス・スターンの『トリストラム・シャンディ』など、注文がそのまますてきな読書案内になっています。

〈フランキー、(あなたが)休暇でお留守だった間に、だれが尋ねてきたと思う? サミュエル・ピープスよ! どなたが送ってくださったのか知らないけれど、わたしに代わってお礼を申しあげてください。ピープスは一週間前にやってきて、タブロイド版くらいの大きさの新聞紙四枚の中から現われいでました。ほんとうにきれいな濃紺の装丁の三冊本です。…… ピープスは、わたしのところへ来たのがうれしくてたまらないとあなたに伝えてくれって言っています。彼はここへ来る前は、ページも切らないようなおばかさんのところにいたのです。いまページをスッパ、スッパと切り離しているところ〉

 早く本を手にしたいと待ちかねているヘレーンは、時としてこんな悪態もつきます。

〈フランク・ドエルさん、あなたは何をなさっていらっしゃるのですか? 何もしていないのではないのですか? ただすわり込んでいるだけなのでしょう。…… さあ、すわってばかりいないで、捜しにいってくださいね。まったく、おたくのお店、よくそれでやっていけますわね〉

 FPDと署名していたのが、フランク・ドエル、フランクとなり、マダムがハンフ様、ヘレーンとなって、二人の心理的な距離は近づいていきますが、彼女の英国旅行の機会はなかなかめぐってきません。「週給四〇ドルのしがない台本チェック係」からエラリー・クイーンの連続テレビ・ドラマの脚本を書くようになり、自分の半生を書いてみてはというハーパーズ社からの依頼があったり、子供向けの歴史読み物の注文がくるようになるのですが、「ぎりぎりの生活をしているような作家の収入では、イギリスなんて夢のまた夢でした」(『レター・フロム・ニューヨーク』中央公論社)。

 そして、手紙のやりとりが20年目に入った秋。

「おたがいに、まだ生きているわね?……あなたはまだおじいちゃまにおなりにならないの? シーラとメリーにお伝えください。お二人のお嬢さまたちには、私の『児童文庫全集』を寄贈いたしますって。そうしたら、二人ともきっとさっさと結婚して赤ちゃんを産むわよ」(ヘレーン、1968年9月30日)

「われわれ一同、どっこいおいらは生きているというわけで、ピンピンしています。…… 妻と娘たちは元気です。シーラは学校の先生をしています。メリーはとてもよい青年と婚約しましたが、ここしばらく結婚できる当てもありません。二人とも一文なしですから。ノーラが、魅力あふれるオバアチャマになれる日はずっと先のことになってしまったようです」(フランク、1968年10月16日)。

 ところが、これが終止符となりました。翌年1月、マークス社から届いた手紙は、フランク・ドエルの突然の死を告げるものでした。二人の友情は、こうしていきなり終幕を迎えたのです。この時、ヘレーンが遺族に宛てた手紙は添えられていません。ほどなく届いたノーラ夫人からの返信と、しばらくして送られてきた長女シーラからの便りがエピローグとしてあるのみです。それがかえって作品の余韻をふかめて、彼女の喪失感と悲しみを伝えます。

 さて、ここから先は、文庫本に紹介されていない後日談です。やがてヘレーンは、フランク・ドエルの死によってもたらされた「大きな損失と哀しみ」(前掲書)から、かけがえのない古書店の住所をとって『チャリング・クロス街84番地』という本をまとめます。言うまでもなく、それが本書です。そしてこの原著が1970年に刊行されると反響は大きく、「本年最高の作品」と新聞の書評で激賞されます。やがてイギリスでの出版も決まり、BBCでテレビ化され、ロンドン、ブロードウェイで芝居にもなります。1986年にはアン・バンクロフトとアンソニー・ホプキンスで映画化されて(日本未公開)、この小さな本は彼女の人生を大きく変えるのです。

 この成功によって、ヘレーンは念願の夢をかなえることもできました。1971年6月、彼女は初めて憧れのロンドンを訪れます。この時、チャリング・クロス街のすべての書店は、ウィンドウに彼女の本を並べて歓迎したそうです。また1982年暮、『チャリング・クロス街84番地』がブロードウェイで初日を開けた際には、「一生に一度のニューヨーク旅行」を計画して、フランクの娘さんたちがゲストとしてやってきました。

 マークス社もすでになく、ヘレーンも1997年にこの世を去りましたが、チャリング・クロス街84番地には、建物の左側の柱に真鍮のプレートが取り付けられていて、この有名な書店の名残りをいまに伝えているということです。

「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
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