【考える本棚】
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 司修『本の魔法』(白水社)
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装幀の奥義------------------------------------------------------------------------

 司修という名前をはっきり脳裏に刻んだのは、古井由吉さんの『杳子・妻隠』の装幀家としてでした。「小説を書いてみたので読んでくれないか」と言って周囲の文学青年たちから渡される作品が、どれも決まって「杳子」の二番煎じだった時期がありました。その度に、表紙に描かれた「一本の木」の姿をした痩身の女性像が、頭をよぎりました。本書はその『杳子・妻隠』の思い出から始まっています。

 いまや幻想的な世界を表現する画家として、また本の装幀や挿絵、絵本制作、さらには小説、批評などの幅広いジャンルで活躍する司さんですが、本書は装幀家として多くの文学書の“顔”を作ってきた氏が、記憶に残る本と筆者15人について書き下ろしたエッセイです。取り上げられているのは、古井由吉、武田泰淳、埴谷雄高、島尾敏雄、中上健次、江藤淳、三島由紀夫、森敦、三浦哲郎、真壁仁、河合隼雄、松谷みよ子、網野善彦、水上勉、小川国夫といった、綺羅星のような顔ぶれで、装幀という視角から見えてきた作家と作品のふかい表情が描かれていて、どれも興味が尽きません。

 独学で絵を学び、「装幀は、ぼくが絵を描き続けるためのアルバイトとしてはじめた」という司さんですが、1964年に初めて手がけた作品が吉村昭さんの『孤独な噴水』で、次が水上勉さんの『比良の満月』でした。本格的に文芸書にのめりこんでいくきっかけとなったのは、おそらく1971年の『杳子・妻隠』あたりではないでしょうか。そして「杳子」で芥川賞を受賞した古井由吉さんの受賞記念の宴席で、私もよく知る先輩編集者から武田泰淳の代表作『富士』の装幀をやらないかと声をかけられます。

「古井さんの本を見て、これはもうあなたしかいないと思った。……どうです、武田さんの肖像画を描きませんか」――この作品に寄せる編集者の並々ならぬ熱意にも促されて、司さんは一緒に武田さんの住む赤坂のマンションを訪ねます。すると、「絶対的に缶ビールをグラスに注がずに飲む武田さんは、ぼくが盗み見るようにスケッチするのが耐えられないらしく、飲み続け、火を絶やさずに煙草を吸い続け」ます。「見る間に缶ビールの空き缶がテーブルに増え続け」、司さんも百合子夫人に勧められるままにビールや酒を飲み続けます。真ん中には『富士』の企画から完成までを見届けてきた編集者が腰を据えていて、「武田さんは逃げられない。ぼくも逃げられない」という時間が過ぎていきます。

「一日目はうまく描けなかった。翌日またうかがった。昨日と同じく武田さんは缶ビールを飲みはじめる。煙草を続けざまに吸う。描かれたくない人を描く時、その気持ちが伝染してくる」。それでも、ようやく数枚の武田泰淳像ができ上がります。

〈灰皿の吸い殻は山となり、缶ビールの空き缶はずらりと並んだ。 二日間、しかも長時間、武田泰淳夫妻の時間の中で過ごした。ぼくは武田さんの本を古本屋で探して読んだ。赤坂の部屋の空気をもっと感じたかったのかもしれない〉

 この出会いが、ほどなく埴谷雄高さんとの対面につながります。こうして縁が縁を取り持つ形で、司さんは作家との交流を深め、装幀の仕事に次第に引き込まれていきます。私が初めてお会いするのはその数年後のことになりますが、その間に森敦『月山』、中上健次『岬』を、また最初の大岡昇平全集、金子光晴全集(76年、講談社出版文化賞ブックデザイン賞受賞)などの大きな仕事を手がけて、文字通り装幀の第一人者となります。

 その司さんに、お願いすることになったのは連載小説の挿絵でした。編集部の先輩がお膳立てしてくれた企画の実務担当者として、入社して間もない私にその仕事がまわってきたのです。ところが、勇んで仕事に臨んだのはいいものの、これが毎回スリリングな展開となりました。野坂昭如さんの『行き暮れて雪』という自伝的な小説でした。月刊誌連載で、1回分が400字詰め原稿用紙40枚。事前に多少は聞いていましたが、当時の野坂さんは「生きる伝説」のような方でした。井上ひさしさんの「遅筆堂」もつとに有名でしたが、野坂さんは締切ギリギリになる上に、しばしば行方をくらますという特技の持ち主でした。つねに油断は禁物で、40枚を受け取るまでに、ほぼ平均20回は通いました。居所を突き止め、最後は神楽坂のさる旅館の二階に入っていただき、あとは階段下の部屋で“寝ずの番”をしながら数時間ごとに原稿をいただくというのがパターンになりました。

 ところが司さんです。愚直なまでに「テキストを深読みする」という“悪い癖”がぼくにはある、とおっしゃるくらいです。本書のどの章を読んでも、作家と語らい、舞台となった土地を歩き、それらを滋養としながら個性的な本づくりをするのが司さんの流儀です。それなのに、どうしたものか。初回からほんの数枚の原稿を“手付け”のようにお渡しするのが精一杯で、後は「目をつぶって」やっていただくしか方法がありませんでした。

 当時はメールもファックスもありません。わずか数枚の原稿コピーを携えて、せめてじかにお渡ししようと思うのですが、司さんもその頃はいろいろな作家と生身で深く付き合うことに忙しく、夜に入ると連絡を取ることはほぼ不可能でした。西新宿にあった文壇バー「茉莉花」で、司さんが中上健次さんにビール瓶をぶつけられそうになった、という時期とほぼ重なっています。ですから、明け方に近い深夜、ようやくご帰還になった司さんをつかまえて、挿絵のお願いの念押しをしたこともありました。迷惑のかけ通しだっただけに、後にこの連載が単行本化される時、ハッとするような切れ味の装幀で本に力を与えていただいたのはありがたい限りでした。

〈本というものは、ただ活字を印刷した紙を綴じて製本してあればよい、というものではない。 つまり、それは、活字だけででき上っているものではない。沈黙が、しばしば饒舌よりも雄弁であるように、ページを開く前の書物が、すでに湧き上る泉のような言葉をあふれさせていることがある。その意味で、本は、むしろ佇んでいるひとりの人間に似ているのである〉〈あるいは、テクストというものも、ときには本が意味しているものの、ほんの一部にすぎないのかも知れない。本からテクストを切り離して研究の対象にするという作業が、どこか血の気の失せた仕事になってしまいがちな理由も、ひょっとするとその辺にあるのかも知れない〉

 これは司さんが装幀した江藤淳『なつかしい本の話』に出てくる江藤さんの言葉です。江藤淳という人を理解する上でも重要な一節ですが、司さんがとらえた本というものの本質をもよく語っています。「本という存在は魔法である。タイトルの『本の魔法』とは、本を魔法にかけるのではなく、本の魔法にかかってしまったことである」とあとがきにあるように、一冊一冊の本には手触りがあり、匂いがあり、「他のモノにはあてはまらない人間らしさのようなものが存在する」というところから、「本のデザインに気を配り、理想の極地を目指」そうというのが司さんです。

 記憶に残る本の思い出を綴った本書が、ひとつひとつ掌編小説のような味わいを持つのは当然のことです。作家との濃密な関係もさることながら、河合隼雄さん、網野善彦さんら学者たちとの交流にも、この筆者ならではのあたたかみが感じられます。心を揺さぶられる言葉にも出会いました。「灰」と題する松谷みよ子さんの章です。

「松谷みよ子さんの絵本『まちんと』の絵ができなくて、一年以上たっていた。絵本のテキストはとても短い。だから簡単というわけにはいかない……ことばをそのまま絵にするなんて考える人がいたらやってもらいたい」という文章が見えます。『まちんと』(偕成社)は、司さんが描いた少女の瞳から目が離せなくなる名作です。広島に原爆が投下されたその日の出来事。三歳になる女の子が、死にそうになりながら、水が欲しいという。母親がトマトを口に入れると「もっと、もっと」(まちんと、まちんと)とせがむ。母親がようやく見つけてきたトマトを持ち帰ると、その子は息絶えていた。そうして鳥になった女の子は、「まちんと まちんと」となきながら、飛んでいる。「ほら そこに――」「いまも――」。

〈原爆投下間もなくの火の海の下で、死にそうな、しかし生きている三歳の女の子を、はいそうですかって描けるものじゃあない。ぼくは手も足も出ないのだった。 だから、松谷さんの原稿用紙数枚をいつもポケットに入れて歩いていた。その原稿をいつか落としはしないかと心配が高じてノイローゼ気味になっていた〉

 そうか。こういう長い時間を経て、あの本ができあがったのか、と得心します。元々は、児童書の挿絵や絵本も、装幀と同じく、絵だけでは食べていけないから始めたものだと著者は語っています。しかし、装幀がいつしか本業となったように、司さんの活動の中で絵本制作はやがて大きな比重を占めていきます。1965年の「みにくいあひるのこ」に始まり、さまざまな作家の物語を多彩な手法や画風で描いたその軌跡は、4月23日から6月19日まで群馬県立近代美術館で「司修のえものがたり」として展覧されました。それをまとめた同名の『司修のえものがたり』(トランスビュー)も出ています。また、司さんがテキストも書いた『100万羽のハト』(偕成社)や『水墨 創世記』(司修・画、月本昭男・訳、岩波書店)など、約2ヶ月の間に4冊が刊行されました。

『まちんと』のあとがきに松谷さんが書いておられますが、司さんは「すっかり仕上がった絵をずらりとならべてみせてくださったかと思うと、すぐぱたぱたとしま」うと、「一さつ描いてみて、見えてきました。ぜんぶ新しく描きなおします」と言って、一冊分をすべてやり直したそうです。それが1978年刊の初版本を生み出しました。

 装幀という角度から作家の生き方に斬り込み、「本の魔法にかかって、びりびりと感じたもの」を記録したという本書。絵本制作の集大成ともいえる展覧会を終えた司さん。これから新たに「見えてくる」ものが何であるか、ますます目が離せなくなっています。

「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
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