【考える本棚】
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 ウォルター・ウェストン『日本アルプス 登山と探検』
(平凡社ライブラリー)
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明治24年の天竜川下り------------------------------------------------------------------------

 毎夏、上高地へ出かけている時期がありました。JR松本駅から松本電鉄で新島々まで行き、そこで松本電鉄バスに乗り継いで約1時間。長い急勾配の、当時はまだ片側交互通行だった旧釜トンネルを過ぎると、上高地でした。いきなり目の前に別世界が広がるような、感激がいつもありました。

 赤い屋根の某老舗ホテルを定宿にしていましたが、ここにくると同じ銘柄のウィスキーでもぐんと美味しく感じられる上に、とにかく毎晩ぐっすりと熟睡できました。昼の散歩コースにも幾通りかのパターンがあって、焼岳の噴火によって大正4年にできたという大正池から、芥川龍之介最晩年の小説『河童』に登場したことで名を馳せた河童橋にかけてのエリアを中心に、そこから梓川沿いに1時間ほど上流へ歩けば、明神池のほとりに有名な山小屋「嘉門次小屋」があり、さらに足を伸ばせば、かつては牧場だったという徳沢があって、そこまでが片道約2時間という周遊コースでした。その日のお天気や気分によってコースを変えれば、数日間いても退屈することはありませんでした。

 初めて訪れた時に、ウォルター・ウェストンのことを知りました。日本アルプスを世界に知らしめ、また日本に近代登山を根づかせた功労者で、彼の長年の功恩に報いるために日本山岳会が寄贈したレリーフが上高地にはありました。夏山シーズンが始まる6月初めには、いまでも毎年「ウェストン祭」というイベントが催され、島々から徳本峠(とくごうとうげ)を越えて、参加者が上高地への道を踏破してくるそうです。釜トンネルを抜けるバス道がなかった時代は、徳本峠が上高地への唯一のルートで、ウェストンも芥川もこの峠を越えてきたのです。

 標高五千尺(約1500メートル。河童橋のたもとの五千尺ホテルの名前の由来もそこにあります)という上高地から下界へ舞い戻ったある日、都内の書店でたまたま見つけたのがウェストンの『日本アルプス』でした。今回この本のことを急に思い出したのは、先月、浜松市の天竜川で、23人の乗った「遠州天竜舟下り」の船が渦に巻き込まれて転覆する事故が起きたからです。というのも、『日本アルプス』を読み始めると間もなく出くわす、ひときわ鮮やかな印象の一節が、「天竜川下り」の場面に他ならないからです。

 1888(明治21)年、英国国教会伝道協会の宣教師として日本を訪れたウェストンの、最初の滞在は7年間に及びました。その間、彼の関心は次第に登山を中心にしながら日本中を探索し、それを記録することに向けられていきます。もともとヨーロッパ・アルプスで登山に親しんでいた彼は、来日4年目から本格的に山を登り始め、浅間山、槍ヶ岳、御嶽山などを次々と歩き、日本の山々の自然、また当時の各地の風物や景観を記録に残していきます。イザベラ・バードの『日本奥地紀行』もそうですが、ウェストンの著書からも、彼が通過する山村や街道筋の人々の暮らしぶりや彼らとのふれあいの様子が伝わってきて、明治の日本の素顔を知る貴重な手がかりになっています。

 1891年8月12日、木曽駒ヶ岳の頂上に立ったウェストンは、本州中央の最高峰(3030メートル)から「雄大なパノラマ」を満喫します。おぼろに見える富士山の雄大さに改めて感慨をもよおし、さらには諏訪湖に源を発し、太平洋に向かってうねうねと水路を切っていく天竜川に目を引かれます。そして駒ヶ岳から下山し、伊那街道を通って、天竜川舟運の港町であった時又の旅館に到着するのが翌日です。「天竜川の激流をかなたの海へと『くだる』舟の出発点」への到着です。

 翌日、ウェストンは最初からよほどの興味があったと見え、朝早く起きて、川下りのために造られた舟の形態や構造を調べています。長さ13.5メートル、幅1メートル、深さ75センチの細長い舟が、たんに頑丈に作られているだけでなく、「非常に弾力もあって、激流を突進する時も、また岩がちな川床の浅瀬に突き当る時も曲って自由に通って行ける」ことに感嘆しています。

〈乗組むのは四人の船頭だが、めいめい、常緑樹の樫で造った取っ手のない橈を操っていた。このうち三本の橈は二・七メートルの長さで、舵取りが使うのはその半分の長さであった。 この舟は橈やそのほかを入れて約四十ドル(五ポンド)かかるが、ずいぶんひどくすりへったりいたむので、三、四年くらいしかもたない。舟底は、絶えず岩の上にすり削られるためにいたむので、十二カ月目に取り替えられる。一四〇キロある海岸まで旅をするのに、舟と船頭を雇う費用は、この際は二十ドルだった。初めはちょっと高いような気がした。けれども「くだり(シュート)」は一日のうちに終るが、帰りはその十倍も手間どることが分った。なぜならば、のろのろと難儀をして舟を曳いたり、棹さしたり、時としては殊に豪雨の後では、激しい力の激流に逆らって、進まなければならなかったからである〉

 概して備忘録的に簡潔な文章を連ねていくのがウェストンの特徴ですが、この箇所は例外と言っていいほど、興奮の色を隠そうともしない記述が続きます。旅行はほぼ丸一日を費やしました。「一片の雲もない朝、午前七時四十五分に出発」し、目的地に着いたのは「月が出て、その場の光景に美しい柔かな光」が注がれ、町の灯が「螢火のようにきらめき始めた」午後八時でした。長旅の疲れを口にするどころか、「この旅行ほど面白い旅の経験を、今までしたことがなかった」「ともかく、この旅はどんなに金を出しても、決して高くないように思った。急流で名高い日本じゅうのほとんどすべての一番有名な激流をくだってみた後で、私はこの急流に較べれば、ほかのは緩やかだと確かに主張できる」と記しています。

 川下りの様子も実に臨場感に溢れる描写です。最初の6時間、ひっきりなしに現われる早瀬や激流を越えて猛スピードで下っていく様は「まるで生きもののように思えた」とあり、船頭たちが巧みに舟を操る技量は神業のようで、「彼らの沈着と勇気も、この巧妙さに匹敵する」と賞賛を惜しみません。また、激流やカーブにさしかかった時に、前にいる漕ぎ手が大きな橈で、船べりを「バーンとゆっくり、しかも厳かにたたく」様子に関心を示します。仲間に注意を促すため、また川を上ってくる他の舟の乗り手に警告するため、あるいは山で木を切り倒し、それを川に滑らせて流す樵夫(きこり)たちへの信号であるとも、「暗く危険な場所にひそむ悪霊を追い払う」ためだとも、理由はさまざま述べられていますが、「これを聞くと、うつろな響きが淋しい山峡にこだまして、極度に無気味である」と記しています。

 ウェストンは生涯に3回日本を訪れ、通算で約14年間、滞在しました。2回目からは登山を愛好するエミリー夫人を伴っての来日となりました。『日本アルプス』を刊行したのは、最初の滞在から帰国した翌1896年のこと。それまでに英国山岳会機関誌『アルパイン・ジャーナル』などに発表していた文章を1冊にまとめ上げたものです。日本滞在中の1892年に英国王立地理学協会(RGS)の会員に推挙されていたウェストンですから、この本も英語圏の人たちに向けて、日本での登山体験を知らせるために書かれたものでした(ちなみにRGSの女性フェローの第一号がイザベラ・バードで、またウェストンの本がロンドンのジョン・マレー社から出版されるにあたっては彼女の尽力があったといいます)。

 ただ今回読み直しながらしみじみと感じたのは、この著者生来の謙抑さと、初めて触れる日本の民俗への関心の強さでした。当時、英国で書かれていた類書の知識がもう少しあればいいのですが、探検記といってもいい異国での見聞録が、どうしてこれほどまで主観に目を曇らされることなく異文化を柔かく受け止め、淡々とした描写であるにもかかわらずこんなにも魅力的なのでしょうか。

 本書の「解説」によれば、ロンドンで刊行された本書が日本で知られることになったのは、まったくの偶然からでした。たまたま登山愛好者のひとり、岡野金次郎の勤務先スタンダード石油会社の横浜事務所で、支配人がちょうど通りかかった岡野にこの本を示したことが「発見」のきっかけでした。そして著者が同じ横浜に住むイギリス人の宣教師であることが知れ、それを岡野が友人である小島烏水(こじまうすい・日本のアルピニストの先駆け)に伝えたことから交友が始まりました。

 そのウェストンが再び帰国することとなり、彼が開いた昼食会の場でイギリスには山岳会(アルパイン・クラブ)というものがあるが、日本でもそういう組織を作ってみてはどうか、と小島らに提案したのが、1905年の日本山岳会創立のきっかけだといいます。小島は、「それにつけても、尊きはパイオニーアの仕事である、自然の要求が、人間の魂に喰い入って、先へ先へと我を忘れて喜んで駆けて行く姿を、見るときは、私たちも、その後をついて行きたくなる」とウェストンを讃えていますが、日本の山々を歩くことを愛し、それに無私の情熱を降り注いだ人の備忘録であるからこそ、かくも感銘を誘うのかと思わざるを得ません。対象を見つめるウェストンの視線に、すっとそのまま自分が同化していくような思いを何度も味わうことになりました。

『日本アルプス』のような本こそ“遅読”を勧めたいと思います。さりげなく輝く、粒ぞろいのエピソードがひしめいているからです。「嘉門次小屋」の主であり、わが国山岳ガイドの草分けとなった上條嘉門次との交流や、猟師たちでさえ、煙草をいつもよりゆったりとふかしたくなるような月夜の上高地で、木にハンモックを吊り、全身に月の光と夜露を浴びながら過ごす一夜の情景などは、先を急ぐのではなく、むしろ立ち止まるようにして、ふかく味わってみたい文章です。

「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
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