【考える本棚】
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 角幡唯介
『空白の五マイル――チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)
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冒険がささやくもの------------------------------------------------------------------------

 副題にある「チベット、世界最大のツアンポー峡谷」といえば、1993年9月に早稲田大学カヌークラブのOBが、そこで世界初の川下りに挑んで亡くなった場所です。当時は、野田知佑さんの『日本の川を旅する』(1982年日本ノンフィクション賞・新人賞受賞)に始まったカヌー人気がすっかり定着し、私の周辺でも意外な人がにわかカヌーファンの仲間入りをしていました。遭難事故は、そんなトレンドとは無関係なものでしたが、NHKの番組制作をも兼ねた日中合同の大がかりな探検隊で起きた悲劇であるだけに、一体どういう原因だったのか、頭の隅ではずっと気になっていた事件です。

 本書で初めて、亡くなった武井義隆さんのことや事故の詳しい様子を知りました。著者は、事故現場で武井さんの相方だった只野靖さんを訪ねて取材するだけでなく、ご両親や多くの関係者、古くからの友人たちにも会って彼の人となりに迫ろうとしています。そして多くの頁を割いて、この武井さんに冒険家としての強い共感を寄せつつ、その最期の様子を再現しています。

 ところで、ツアンポー川というのは、チベット高原を横断してインドに流れ込む、長さ2900キロに及ぶアジア有数の大河です。チベットの母なる川とされ、チベット高原を西から東へと流れた後、中流域でヒマラヤ山脈の東端に位置する峡谷部で円弧を描き、流れを大きく南へ旋回します。これがツアンポー川大屈曲部と呼ばれる有名な場所で、ほんの一世紀前までは、この川がヒマラヤの山中に姿を消した後、どこへ向かって流れていくのかさえ不明のままでした。

 上記の探検隊は、現代においてなお地理的に未解決となっている、この人跡未踏地域の調査を目的としていました。そして、「番組制作や民俗調査といったいくつかある目的のうちのひとつ」として、カヌーで実際にツアンポー川を下ってみることが予定されていました。しかし、ツアンポー川の水量と落差(傾斜)がケタ外れであること、また現地入りして川を見ると、「岸には荒れた海のように波が押し寄せ、両側には切り立った岩場が続き、流されたら逃げ場所がない」ことが明らかとなり、本流はもとより支流でも本当に川下りができるかどうか、悲観的な見方が強まりました。判断は最終的に、二人の若者に委ねられました。「何十年に一回」という増水によって、いつにもまして凄まじい水量の川を前に、だが「やれないこともなさそうだ」――彼らは緊張した面持ちで、意を決して舟を漕ぎ出します。

 では事故はどのようにして起こったのか。奇跡的に一命を取りとめた只野さんは、遭難発生から2日後、その場面の映像を食い入るように見つめます。

〈ビデオには激流に翻弄される自分の姿が映っていた。周期的に発生する大波にのみ込まれ、考えていたコースから大きく外れていた。その自分の姿を見て、おれは思っていたほどカヌーがうまくなかったんだなと只野は思った。 それに比べて武井のほうは、後ろをついてきたこともあり、まだ余裕のある漕ぎ方をしているように見えた。カメラは武井の動きを追っていた。そしてその映像を見た時、只野は初めて、武井がなぜ本流に流されたのかを知ったのだった。 画面の中で武井は荒れ狂う激流にのみ込まれることなく、上陸予定地点だったトロ場のすぐ近くまで漕ぎつけていた。だが彼はそのまま岸に上陸しなかった。あたりを一瞬見まわすと、彼が顔を向けたその先には、本流に向かって流されていく只野の姿があった。それを見た武井は、よしっと覚悟を決めたかのように、カヌーの舳先を流れのほうに向け、再びパドルを回転させ始めた。只野を追いかけるため、武井は安全なトロ場を離れ、自ら再び激流の中に飛び込んでいったのだ。「ああ、やっぱりタケさん、ぼくを追っかけていったんだ」 あっ、あ……と只野の口から嗚咽が漏れた、泣き声はテントの外まで聞こえてきた〉

 これは本書全体にとっては、ほんのサイド・ストーリーに過ぎません。メイン・テーマは、あくまで著者自身によるツアンポー峡谷への2度にわたる探検の記録だからです。しかしながら、著者が学生時代以来、11年ぶりに只野さんを訪ね、詳しくこの話を聞くのは、2度目の探検を控えた大切な時期でした。2002年から03年にかけての第1回目の探検で、1924年に英国人探検家によって峡谷の「秘密の解明」がなされて以降も、そのまま未探検の状態にあった伝説的な一角――いわゆる「空白の五マイル」の探査を達成したにもかかわらず、著者は「まだやり残したことがある」という思いを次第に強めていました。1回目の達成感、満足感が風化するとともに「もっと深いところでツアンポー峡谷を理解してみたい」と感じ始めていたのです。そして2008年に5年間働いた大手新聞社を退職し、翌年、再度ツアンポー峡谷に、自らの人生を賭けた探検に出かけます。それに備えて、先人たちの辿った足取りを丹念に追い、「自分の立ち位置をしっかりと見定めて、自分の行為の意味を見極め」ようとしたまさにその時に、「若きカヌーイストの死」を克明に辿ろうとしたのは、そこに著者の本質的な問いかけがあったからに他なりません。

〈どこかに行けばいいという時代はもう終わった。どんなに人が入ったことがない秘境だといっても、そこに行けば、すなわちそれが冒険になるという時代では今はない。 二度にわたるツアンポー峡谷の単独行の意味合いは、私の中では異なっていた。空白の五マイルという最後の空白部を追いもとめた、血気にはやった最初の単独行とは違い、二〇〇九年の二回目の旅は、ツアンポー峡谷そのものをより深いところで理解したいという思いのほうが自分の中では強かった。濃い緑とよどんだ空気が支配する、あの不快極まりない峡谷のはたして何が、自分自身も含めた多くの探検家を惹きつけたのか。歴史の中に刻みつけられた記憶の像は、地理的な未知や空白などといった今や虚ろな響きのする言葉の中にあるのではない。自然の中に深く身を沈めた時、見えてくる何かの中にこそあるはずだ〉

 グーグル・アースがある時代に、わざわざ苦労して“地の果て”のような場所まで出向いてゆき、それで「楽しいことなど何ひとつない」。自然は入り込めば入り込むほど、人を情け容赦なく翻弄し、「癒しやなごみ、一体感や快楽といった、多幸感とはほど遠い」恐ろしい素顔をむき出しにするばかりです。とりわけ2度目の探検は、生還することすら危うい状況に追い込まれ、辛うじてツアンポー峡谷から脱出したという極限の旅でした。なぜ命をかけて、そこまでする必要があるのか。現代において冒険、いや探検はどんな意味を持っているのか。それを自分の肉体と精神を使って徹底的に問い詰め、表現しようとしたのが本書です。

 著者は「旅のやり方」についても独自の原則を設けます。「自力と孤立無援」、つまり「単独行であることと、衛星携帯電話といった外部と通信できる手段を放棄すること」が、ここでは重要な要素となります。「丸裸に近い状態で原初的混沌の中に身をさらさなければ、見えてこないこともある」と。そしてきっぱり言い切ります。「極論をいえば、死ぬような思いをしなかった冒険は面白くないし、死ぬかもしれないと思わない冒険に意味はない」、「リスクがあるからこそ、冒険という行為の中には、生きている意味を感じさせてくれる瞬間が存在している」と。

〈あらゆる人間にとっての最大の関心事は、自分は何のために生きているのか、いい人生とは何かという点に収斂される。いい人生とは何だろう。私たちは常に別々の方法論、アプローチで、それぞれに目的をかかげていい人生を希求している。カネ、オンナ、権力、健康、ささやかな幸せ、心の平安、子供の健全な発育……、現実的には別々のかたちをとりつつも、本質的に求めているものは同じだ。いい人生。死が人間にとって最大のリスクなのは、そうした人生のすべてを奪ってしまうからだ。その死のリスクを覚悟してわざわざ危険な行為をしている冒険者は、命がすり切れそうなその瞬間の中にこそ生きることの象徴的な意味があることを嗅ぎ取っている。冒険は生きることの全人類的な意味を説明しうる、極限的に単純化された図式なのではないだろうか〉

 ツアンポー峡谷の旅は、文字通り「青春の総決算」と言うべき体験でした。「二回の旅で得られた心の震えはこれ以上ないもので、同じような感動を体験することは、今後の人生ではもう起きないかもしれない」というのは、おそらくその通りでしょう。そして、どこまでも徹底してその意味を問いつめようとする著者にとって、冒険とは命のリスクがあること、主体的な無償の行為であることに加えて、「不確定要素の強い舞台を自ら選び、そこに飛び込み、その最終的な責任を受け入れ、その代償は命をもって償わなければならない」ものです。つまり、本質的に先が読めない、この先どうなるか分からないような状況の中で、自然の奥深くに入り込み、そこでどういう自分と出会えるかが決定的な意味を持ちます。そして、この過激さ、充実感こそがある種の「業」のように自分を支配している衝動だということを自覚しています。「生の最もギラギラしたところ、生の燃えたつ瞬間は、死をそばに置かないと見えてこないんじゃないかという気がする」と、あるインタビューでも答えています(『週刊読書人』2011年9月16日)。

〈武井にとってツアンポー峡谷は、『ちゃんと生きる』ために乗り越えなければならない壁だった。武井はそこで生き残ることができずに命を落としたが、同時に彼がそこでちゃんと生きていたことも同じくらい確かだったのではないだろうか。……それは武井が命を落とす直接的な原因となった、只野を追いかけツアンポー本流にカヌーを漕ぎだした、あの場面に表われているのではないか。究極の選択を迫られた瞬間、彼の人間性はむき出しになっていて、生涯の全一瞬がそこに象徴されているような気がした。 修行をしてくる。そういえば、それが父に伝えた武井の最後の言葉だった〉

 著者にとっての“修行”がこの先どのように続けられ、それがいかなる表現で語られていくのか――その凝縮された輝かしい“生の一瞬”の連なりを、また共有したいと願うばかりです。

〈冒険は生きることの意味をささやきかける。だがささやくだけだ。答えまでは教えてくれない〉

「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
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