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 さようなら、黄門様
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 2011年11月11日。先週の金曜日は1という数字が6つ並んだ、いかにもゲンのよさそうな、100年に一度の特別な日となりました。平成11年11月11日がそうだったように、縁起をかついでこの日に婚姻届を出したり、会社の設立や事業の開始をこのタイミングに合わせたりした人たちがきっと多かったに違いありません。

 もともと11月11日というのは、記念日ラッシュの一日です。「1111」と1が4つ並んだイメージから、「麺の日」、「もやしの日」、「ポッキー&プリッツの日(江崎グリコがPRのために制定)」、「きりたんぽの日」、「煙突の日」などがある上に、「11」と「11」で「靴下の日(ペアーズデイ・恋人たちの日)」だとか、下駄の足跡が「11 11」に見えることから「下駄の日」など、実にさまざまです。昨年からはさらに「立ち飲みの日」が追加登録されました。「11」が立ち飲みする人の姿に似ているからだそうで、今年はうってつけの金曜日に重なりました。

「11×11」だから「サッカーの日」、乾電池や磁石の+-(プラス、マイナス)を「十一」に見立てて「電池の日」あるいは「磁気の日」、また「鮭」の旁(つくり)の「圭」を分解すると「十一十一」になるので「鮭の日」だとか、なかなかの知恵者がいると感心させられます。野田首相が、本来10日に予定されていた環太平洋経済連携協定(TPP)交渉への参加表明を、一日延期してこの日に変えたのは、胸中にゲンをかつぎたい思いが多少ともあったのか、なかったのか……。

 初めてアメリカ取材に出かけた時、「きょうはVeterans Day(退役軍人の日)だから」と言われて、キョトンとしたのも11月11日でした。第一次世界大戦の休戦記念日を起源とする、この日が祝日だということをすっかり失念していたからです。1918年、フランスのコンピエーニュの森で調印された休戦協定は、11月11日の、さらに午前11時という「11」並びの日時をわざわざ選んで行われました。イギリスでは「Remembrance Day(戦没者追悼記念日)」として、午前11時から2分間の黙祷が捧げられます。そしてこの日が近づくと、胸や帽子に真っ赤なポピーの花をつけた人を見かけるようになります。激しい戦闘が繰り広げられ、多くの犠牲者を出したベルギーのフランドル地方の戦場に、翌年、赤いポピーの花が驚くほどたくさん咲き乱れたことに由来しています。

 さて、2011年11月11日の午前11時11分には、世界中で何人の新生児が生まれたのでしょうか。とりわけ8ヶ月前の3月11日に、多くの死者を出した東北の被災地で、11がラッキーナンバーの元気な赤ん坊が誕生していないものか――そんな思いで新聞を繰っていたところ、小さなベタ記事で「水戸黄門 最後の収録」とあるのが目につきました。11月11日が、どうやら“諸国漫遊”の幕切れだった模様です。

〈1969年開始のテレビ時代劇「水戸黄門」(TBS系)の最終収録が、京都・太秦の東映京都撮影所で行われ、5代目黄門役の里見浩太朗さんは、「時代の緞帳(どんちょう)が下りた。楽しい仕事だった」と42年の歴史を振り返った。撮影は今月11日、黄門様が旅先で、由美かおるさん演じるかつての仲間と再会する場面が最後。OKが出ると、スタッフ、出演者らから大きな拍手が湧いた。四半世紀にわたり関わってきた里見さんは「歴史に名を残すことができて光栄。一行の旅はまだ続くという夢を抱いて終わりたい」と名残を惜しんだ。最終回の放送は12月19日午後7時から〉(読売新聞11月13日)

 最盛期は30%台の平均視聴率を稼ぐ「お化け番組」だと言われたそうですが、私自身はほとんど見たことがありません。ただ「水戸黄門」といえば、私の中ではつかこうへいさんの思い出に重なります。『熱海殺人事件』、『蒲田行進曲』などで「つかブーム」を巻き起こしていた当時、「オレ、これだけは欠かさず見てるんだよ」と言われて、一瞬、虚を衝かれました。70年代後半、演劇界の常識を打ち破る“革命児”とみなされていた人に、ちょっとそぐわない気がしたからです。しかし、後から思えば、「スタートレック」や「刑事コジャック」が大好きで、映画でも寅さんシリーズや東映の任侠ものにはまっていたつかさんですから、お決まりの筋立てやベタな表現が逆にこたえられなかったのだと思います。そして国民的人気番組の中に、日本人の感性にフィットする何かを見ていたに違いありません。

 今回の番組終了は、時代劇の退潮が、ついにこの番組にも及んだと説明されています。テレビ番組が若者向けのドラマやバラエティ中心にシフトしたことや、勧善懲悪的な時代劇のパターンが飽きられたこと、新しい時代劇スターが出ていないことなど、いろいろ背景はあるようです。あれほど日本人の精神性に深く根づいていると思われた黄門様も、時代の趨勢には逆らえなかったというわけです。

 ただ、時代とのズレということでいえば、黄門様のような存在に対する“夢”が急速に色褪せてきたことが大きかったのではないかと思います。いまの中高年以上にとって、黄門様は心のどこかで国民的ヒーローの原型でした。素性を隠していた人物が、ついに正体を明かす時がドラマの佳境であり、待ち構えていたところに「静まれ! 静まれ! この紋所が目に入らぬか」が発せられます。「こちらにおわすお方をどなたと心得る。恐れ多くも先の副将軍水戸光圀公にあらせられるぞ」。

 そしてその尊い身分のお方の目には、悪事は何もかもお見通し。「皆の者、御老公の御前である。頭が高い! 控えおろう!」――実はこういう筋書きは、私自身決して嫌いではありません。小さい頃からいつの間にかこの手の芝居の型が記憶に刻まれ、それを上書きしながら育ってきたからです。そこにはかすかに「お上」に対するロマンもありました。近代的思考にはなじみませんが、どこかに黄門様のような偉い人が隠れていて、その方に任せておけば、やがては万事がうまくおさまる、といった期待や信頼が日本人の心の奥底には宿っていたと思うのです。現実の浮世では考えにくいけれども(だからこそ時代劇なのですが)、それをどこかで信じていたい――そんなひそかな願望が、ある時期までは薄く共有されていました。それが最近みるみる失われてきたのではないでしょうか。

 3・11以降、リーダー論が盛んです。これからの日本を牽引するリーダーは一体いつになったら現れてくるのか、リーダーは育てることができるのか、といった声を聞くこともしばしばです。実は私の11月11日は、そんな議論を伊豆山中の施設にこもって、40数名の各界の人たちと集中的に議論するという一日でした。その結論は、私の中ではまだ半熟ですが、いまボンヤリと思うのは、私たちの中の黄門様にそろそろお暇(いとま)すべき時ではないか、ということです。

 黄門様、水戸光圀ゆかりの小石川後楽園の名称は、岡山後楽園とまったく同じく、「先憂後楽」に由来します。「天下の憂いに先んじて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」――この治者の心得だけは変わりません。それをこれから社会的にどう担保するか、リーダー論の切り口がこのあたりにあることは間違いありません。

「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)