┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 燕楽軒の常客
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

「その頃の滝田氏の文壇に於ける勢威は、ローマ法王の半分位はあったと思う」(「半自叙伝」)と、菊池寛をして言わしめた大正期の名編集者、滝田樗陰の遺品が日本近代文学館に寄贈されたというニュースは、昨年の夏に新聞で知りました。谷崎潤一郎、志賀直哉、室生犀星をはじめとする全67人、214作品の直筆原稿と、樗陰宛ての諸家56人からの書簡171通というものでした。樗陰の孫にあたる方が、都内の自宅で茶箱などに入れて保管してきましたが、自身が高齢になったこともあり、資料を散逸させたくない思いから寄贈することに決めた、とありました。

 その一部が先週の土曜日(11月26日)まで、目黒区・駒場公園内にある日本近
代文学館で公開されていました。会期終了ギリギリになってしまいましたが、作
家が残した推敲の痕跡と、樗陰の朱文字の指定が書き込まれた貴重な現物をなん
とか見ることができました。滝田樗陰といえば、職業的編集者のパイオニアであ
り、明治・大正を通じて文壇・論壇を大きく動かした演出家でした。文学に限っ
ていえば、雑誌「中央公論」に文芸欄を設けて発行部数を飛躍的に伸ばし、大正
元年に31歳で編集長(主幹)に就任した後も、自ら精力的に作家のもとを訪れ、
原稿集めに奔走しました。

「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)