【考える本棚】
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 ジェフリー・アーチャー『遥かなる未踏峰』(新潮文庫)
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それがそこにあるからさ------------------------------------------------------------------------

 放送時刻を待ち構えて(めずらしくビデオ予約ではなく)、NHKスペシャルを見ました。1月2日夜9時からの「エベレスト」です。NHKから5名、それに外部のスタッフをまじえた取材班が、1ヵ月以上にも及ぶ長丁場の末に、エベレスト山頂に大型ハイビジョンカメラを担ぎ上げ、世界最高峰からの絶景映像を届けるという番組でした。1953年のヒラリー、テンジンによる初登頂以来、すでに延べ4000人以上がその頂に立ったとはいえ、まだほんの僅かの人たちしか視界に収めていない世界。そこがどんな場所であり、そこからの眺めがどういうものなのか、絶対に見逃せないと力が入りました。

 NHKのBSプレミアムでは、昨年4月から世界の名だたる山々を紹介する「グレートサミッツ」という番組が始まっています。マッキンリー、マッターホルン、アイガーなど、代表的な名峰がこれまでに取り上げられてきましたが、この番組で蓄積された高所撮影のノウハウを活かして、「いずれエベレストを」という声がスタッフの間では上がっていたそうです。はたしてそれが、過酷な条件下のエベレスト山頂でうまく実現できるのか――。天候の問題を含めて、いくつもの困難が予想されました。

 ただ、NHKの報道チームには「山岳班」という精鋭部隊が存在しています。1985年の御巣鷹山の事故取材を機に作られたというのですが、今回の5人も全員がヒマラヤ登山の経験者です。考えうる理想的な取材チームだといえるでしょう。事実、ベースキャンプに陣取っていたディレクターを除き、他の4名全員が揃って8848mの山頂にたどり着きました。

 そして何より、圧巻の映像を収録することに成功しました。これ以上ない好天に恵まれ、風も穏やか。山頂からの360度のパノラマ映像は実に鮮やかでした。いまや人気のトレッキングコースであるエベレスト街道(標高約5000m)から仰ぎ見ていたいくつもの高峰が、すべて眼下にあります。インドとネパールの国境も、茶色いチベット高原も、天上からの眺めとしてそこに広がっています。酸素は平地の三分の一、気温は氷点下30℃以下という極寒。年中強風が吹き荒れ、天候も急変しやすい「母なる女神」チョモランマが、これほどの好条件で迎えてくれたというのは、奇跡だと言ってもいいでしょう。それを暖かいリビングルームで見ているカウチ・クライマーというのは、贅沢を通り越して、やや後ろめたい気さえします。

 というのも、この眺望をついに見ることのできなかった人、いや「実は見ていたかもしれない」という可能性を残しながら、その謎がいまだに議論を呼んでいる人――そう、ジョージ・マロリーのことをずっと頭に思い描いていたからです。「なぜ、あなたはエベレストを目指すのか」とアメリカ人ジャーナリストにしつこく尋ねられ、「そこに山があるから(Because it is there.)」という、あまりに有名な台詞を吐いたとされる登山家。1924年の自身3度目となるエベレスト遠征から、母国イギリスへの生還を果たすことはできませんでしたが、彼が山頂付近で行方不明となる前に、実は登頂に成功していたのではないか、という説が、死後も長らく取りざたされている人物です。

 NHKの番組を見る前に、ジェフリー・アーチャーによるこのマロリーの評伝小説を読み返したくなったのは、この作品ですっかりマロリー伝説に魅せられてしまっていたからです。山頂まで約600フィート(約183m)の地点を登るマロリーの姿が最後に視認されてから75年後の1999年、その滑落遺体が発見されたという実話から小説は始まります。彼の上着の内ポケットにおさめられていた妻の手縫いの木綿のポーチ。そこに、最愛の妻ルースの写真はありませんでした。登頂に成功した暁には「頂上にきみの写真を置いてくるから」と語っていた写真がもし発見されれば、最終アタックが不首尾に終わったことの証明となったでしょう。ところが、そこに写真はありませんでした。

 また、遠征の年に発売され、登頂成功の記念撮影用にマロリーが持っていったコダック製のカメラもまだ発見されていません。そこに収められたフィルムに何が写っているか。それが分かれば、エベレスト登攀史上の最大の謎は解き明かされます。氷点下30℃から60℃というヒマラヤ最高峰の雪の中ほど、フィルムの保存場所として適した先は、地球上に他にいくつもないそうです。いまなお現像可能なそれが見つかれば、マロリーの遭難が登頂の前であったか、後であったかが判明するのです。

 マロリーは20世紀初めのイギリスの国民的英雄でした。アーチャーの描くマロリー像も、美しい容貌と類い稀な才能に恵まれ、高貴な魂をもつ理想的な英国人です。ケンブリッジ在学中には、ジョン・メイナード・ケインズ、リットン・ストレイチーら、いわゆるブルームズベリー・グループと親交を持ち、当時としては旧弊な価値観から自由な、進歩的な考えの持ち主でした。一方で、遅刻の常習犯であったり、忘れ物をよくするなどの愛嬌を持ちあわせ、ユーモアのセンスにも富んだ人柄でした。職業は歴史の教師。生徒にも細やかな情を示し、友情にもあつく、信義を重んじる正義漢です。そしてエベレストのキャンプでも「イーリアス」を読み、ジョイスの「ユリシーズ」のページを繰る読書家でした。

 また妻ルースとの出会いも劇的に描かれています。ヴェネチアで再会を果たした時、サン・マルコ広場の鐘楼をいきなり岩壁と同じように登り始めたマロリーの姿を見て、ルースは二人の愛情を確信すると同時に、「情熱を注ぐに値すると思ったものに対しては、たとえ前途にどんな危険が横たわっていようとも、喜んでその危険を引き受ける人だということ」を理解したと語ります。アーチャーの小説らしく時代絵巻的な要素もふんだんに盛り込まれていて、当時のイギリス社会の世相や価値観、第一次世界大戦などの時代背景、イギリス人の目に映った米国の金ピカ社会など、登山家マロリー以外の部分もたっぷり楽しませてくれます。

 しかし、何といってもエべレストへの挑戦です。19世紀半ば、ヒマラヤ山脈に世界最高峰が存在することが明らかとなり、その英名「エベレスト」への登頂が次第に国家的な事業として検討されます。そして第一次世界大戦の終結後、英国山岳会(アルパイン・クラブ)と王立地理学会がエベレスト委員会を組織し、大英帝国の威信をかけてエベレスト山頂への一番乗りをめざします。とりわけ北極、南極の極地到達で米国、ノルウェーに遅れを取っていただけに、「国王陛下の民の一人がエヴェレストの頂上に立つ最初の人類になること」は、最後に残された“偉大な挑戦”とみなされました。したがって登攀メンバーの選考をめぐる暗闘も激烈で、その場面の息詰まる展開はアーチャーの真骨頂とするところです。ともかくそれがマロリーの時代だったのです。

 小説の序盤で、南極探検に挑む前のスコット大佐が王立地理学会で講演する場面が出てきます。その時、アムンゼン率いるノルウェー隊が、どうやら「犬橇だけでなくエンジン付きの橇も投入する」らしいという質問が出ただけで、会場からは「汚ないぞ!」の声が上がります。エベレスト登頂についても「われわれの目的は昔から変わることなく、自然の力に対する人間の能力を、機械の助けに頼らずに試すことにある」と主張するエベレスト委員会のメンバーがいるほどです。エベレスト登頂時に酸素ボンベを使用すべきかどうかも、反対派が大勢を占めていました。

 それは、ひとつにはイギリス的なアマチュアリズム――酸素の助けを借りてエベレストの頂を踏むというのはアンフェアだ、という意見が根強かったこと。また一方では、非常に重い(いま使用されているボンベの倍以上の重さでした)上に、故障しやすく性能が不安定な酸素ボンベを用いることが、実際どれほどのプラス効果を生むものか、疑問視する向きがありました。マロリー自身も当初は懐疑派でした(最後のアタックではそれに賭けることになりますが)。

 ウェアや食糧、装備なども、今とは大違いです。NHKのスタッフが、頂上アタックの直前にレトルトのお赤飯を食べたり、ベースキャンプから山頂付近の天候を専門家に電話で問い合わせる場面などを見ても、エベレスト登山はこの100年ですっかり様変わりしたと言わざるを得ません。マロリーたちにはハイテク化された装備もなければ、トランシーバーなどの通信手段もありませんでした。頂上アタックに挑んだ際の彼の服装も、驚くべきものでした。

〈寝るときにすでに四枚着ていた……その上に厚い毛糸のヴェスト、編み込みの絹のシャツ、フランネルのシャツ、さらにもう一枚、絹のシャツを重ね着した。それから、シャックルトン・スモックと呼ばれるバーバリーの木綿のジャケットを羽織り、ゆったりしたギャバジンのズボンの上からカシミヤのゲートルを巻いて、登山靴を履いた。ルースが編んでくれた毛糸のミトンを両手にすると、最後に弟の革の飛行帽をかぶり、フィンチにもらった最新型のゴーグルをつかんだ。まさしく国王の拝謁を賜るにふさわしい服装だとチョモランマも同意してくれるはずだった〉

 高所用のダウン・ジャケットなどの軽量化された防寒具や、用具も何もない時代です。雪と風が、着衣の隙間から剥き出しになった肌を突き刺してくるような恰好で、重い酸素ボンベを担ぎ、前人未到のルートを行こうというのです。その困難はいまとは比べものになりません。いかにマロリーが傑出した登山技術をもつクライマーであったとしても、それを克服できたかというと否定的な考えに傾かざるを得ません。しかし、それだけに成功していてほしい……という思いがくすぶります。

 彼が高地対策として、日頃から取り組んでいたトレーニングは、「四秒のあいだ鼻から息を吸って肺を一杯にし、四秒かけて口から吐き出す」という特殊技術の習得だったといいます。それを7ヵ月間「毎日欠かすことなく」特訓していたというのです。後の「アポロ計画」にも比すべき国家的事業でありながら、そのいじらしさに涙が出そうになります。

 そして物語は、愛妻家であったマロリーが遠征先から妻に書き送った多くの手紙を織り交ぜながら展開していきます。どこまでがフィクションかは不明ですが、この手紙の文面が、マロリーの内面や妻に寄せる思い、家族の絆の強さを伝えてリアリティを感じさせます。その意味で、マロリーから届いた最後の手紙をめぐっての、結末の4行には胸を打たれずにはいられません。

〈ルース・マロリーは残りの人生を、毎日同じ時間に窓際のウィング・チェアに坐って、夫の手紙を読み返して過ごした。 ジョージがあの門をくぐって、自分のほうへ勢いよく小径を歩いてくる姿を見ない日は一日もなかったと、彼女は死の床で子供たちに語った〉

 ふと植村直己さんの『植村直己 妻への手紙』(文春新書)のことを思い出します。「そう、この旅が終わったら穏やかに暮らせると思い続けていたのです」という植村公子さんの胸のうちは、夫の帰還を待ち続けていたマロリー夫人の姿と重なります。

 その植村さんが日本人初のエベレスト登頂を成し遂げたのは、1970年5月11日のことでした。登頂時の、植村さんらしいエピソードが語り継がれています。彼が頂上直下で、後続の松浦輝夫さんに「どうぞ、先に行って下さい」と声をかけた時のことです。

〈南壁をはさんで、西稜からつき上げている最後のコブの手前にきた。もう高いコブは見えない。明らかにエベレストの頂上だ。私をここまで導いてくれた松浦先輩に頂上をゆずった。次いで私もしっかりと頂上を踏みしめた。最終キャンプを出発して三時間過ぎた九時十分だった。一歩一歩登り、頂上に立ったこの瞬間をNHKから借りた16ミリカメラにおさめた。私たちはうれしさのあまり、お互いに抱合ってとびあがり、喜びをわかち合った〉(植村直己『青春を山に賭けて』)

 この時、同行していたNHK取材班は、植村さんに16ミリカメラを託しています。しかし、自分たち自身が山頂に立つ機会は、ついに訪れませんでした。その時、先輩たちが果たせなかった夢は、それから41年の時を経て、今回のNHKスペシャルでようやく実現したというわけです。

「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
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