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 山ガールのさきがけ
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[問]次の文章を読んで、筆者が誰であるかを答えよ。ヒントは、(1)宝塚歌劇団の出身、(2)蝶々夫人、(3)岸辺のアルバム。

 さあ、お分かりでしょうか。

〈ああこれは何という新婚旅行だろう。 もう何時間、雪道を歩いたろう。 そしてあとどの位歩いたら徳沢の小屋とかいう所へ着くのだろう。こわい位静かだ。ギッシ、ギッシと雪を踏む自分の登山靴の音だけ。時たまびっくりする様な音をたてて、突然足もとの熊笹から雉だか山鳥だかが飛び出す。その度に思わずドキン! として立ち止ってしまう。その時の完全な静けさの中で、遠くで太鼓を叩く様な響きが伝わって来る。『あの音はなあに?』 見廻すが、憎らしい夫の姿はない。足の遅い私一人を置いて行ってしまったのだ。多分あの音も、さっき教った雪崩の音だろう〉

「始めてのぼる雪山――私の新婚旅行」と題するエッセイで、『旅』1958年3月号(当時は日本交通公社発行)に掲載されたものです。まだ女性が山へ行くというのがめずらしかった時代に、いきなり雪山へ、しかも新婚旅行(!)なのです。

 答えは、1957年に映画監督の谷口千吉さん(19歳年上でした)と結婚したばかりの八千草薫さん。その年の暮れに、初めて二人で上高地を訪れた際の印象記です。

 昨年9月に『旅』(現在は新潮社発行)が通巻1000号を迎えた時に、過去の「名随筆」のアンソロジーを付録にしました。その選考の過程でこのエッセイと出会ったのです(残念ながら『旅』は明日発売の通巻1002号をもって休刊となりますが)。

 冬山を初めて歩いた興奮、感激が、みずみずしい文章から伝わってきます。八千草さんは少女時代を兵庫県の六甲山の麓の町で過ごしました。神戸、芦屋、西宮、宝塚……あの一帯で育った人たちに共通しているのは、山のある風景に対する親しみです。八千草さんも「山への憧れが生まれたのはあの時代から」と言います。ただ、実際に山歩きを楽しむ機会がないうちに、宝塚歌劇団、そして女優の道を歩み始めてしまいました。ですから、もっぱら写真集や随筆の中で山を夢想する“書斎派登山家”だったそうです。

 そこに中学生時代から山を歩いていた、という谷口監督が伴侶として現れました。もっとも身近に、恰好の指南役が登場したわけです。それにしても、新婚旅行が真冬の上高地とは大胆な発想です。てっきり山好きの監督が、自分のテリトリーに八千草さんを引き込んだに違いない、と思っていました。ところが、伺うと事実はまったく逆だったのです。

――どちらから、この計画を持ち出したのでしょうか?

八千草 私からなんです。主人は「夏山の経験もないくせに、いきなり12月の冬山なんてとんでもない。バスなんかも通ってないんだぞ。島々(しましま)から歩くんだぞ。荷物は自分で背負って歩けるか」などと言って、最初は相手にしてくれませんでした。それでも行きたくて、荷物も自分で持つからどうしても連れていってほしい、と無理に頼みこんだのです。主人は山へ行く時は単独行が常でしたから、誰かを連れて行くというのは黒澤明監督以外、私が初めてだったそうです。 ところが、そうして強引に連れて行ってもらったのに、松本駅に着いて主人がバスの時刻を見に行っている間に、初めて自分のリュックザックをヨイコラショと背負ってみたんです。すると、いきなり後ろにひっくり返りそうになり、それからも荷物に引っ張られてフラフラと、体が前後に揺れて重心が取れません。「さぁ大変なことになったぞ」と思いました。その日は松本に泊まったのですが、「明日からあの荷物を背負って歩くのか。歩けなかったら、主人に何て言われるだろう」と考えると、その晩はほとんど心配で眠れませんでした。 で、翌日はバスで沢渡(さわんど)まで行き、そこから歩き始めました。すると、意外にうまく歩けるものです。休み休みでしたが、何とか歩き通して、その日は中ノ湯で一泊しました。大変だったのは翌日です。いよいよ上高地へ入る手前の、釜トンネルが難所でした。いまはすっかり改修されて大型バスも通れるようになりましたが、当時はまだほんとに小さなトンネルでした。それが雪ですっかり埋まっていて、主人はピッケルで穴を大きくしながら、先に入っていきました。中は、真っ暗闇でした。 主人が懐中電灯を持っていましたが、ほとんど役に立ちません。下は岩でゴツゴツしている上に、凍ってツルツル滑ります。心細い懐中電灯で前を照らしながら、主人はピッケルで氷の壁をこすりこすり、それを頼りに進んでいました。私は主人のお尻からぶら下がったカモシカの皮(雪や岩に腰をおろす時のための携帯用の座布団)をしっかり握って放しません。それでも、時々転んで、巻き添えを食った主人に叱られました。 出口に着いても、そこが雪でふさがっていて、穴を掘って外へ出るまで、それが出口だとは気づきませんでした。大変なところに来てしまったな(地獄というのはこんなものかもしれない)などと思いましたが、逆にそれで背筋が伸びたというか、気持ちが引き締まったことも確かです。 そこから先は徳沢の小屋まで、誰にも会いませんでした。本当に私たちだけでした。主人は自分のペースで歩いていきますから、すぐに姿が見えなくなります。時々待っていてくれますが、私が追いつくとすぐにまた先を歩き出します。

〈夫の姿が原始林の木立の中にまったく見えなくなると、やっぱり私は少し緊張する。もし何か出て来たら……何か、ッて私にもわからないけど、もしケダモノかワルモノでも出て来たらと思うと、足は出ないくせに首だけが前に出る。夫たちの会話によく出て来る『アゴを出す』という形容が、とてもよくわかる。こんな恰好、人には見せられないなと、ふと女優意識が浮んだりする〉

――ところで、徳沢の山小屋に泊まるという体験も、びっくりすることだらけだったと思います。何から何まで勝手が違うわけで、エッセイではそのへんがとてもユーモラスに描かれています。朝、目を覚ますと、寝袋の上にも廊下にも、夜半に入口の雨戸から吹き込んだ雪が、細かく砂糖を撒いたように積もっているとか、流しを覗いてみると、水気のあるものはすべてバリバリに氷っていて、見まわしても「どこにも水がない」。「顔を洗いたいんですけど」と困っていたら、小屋の青年がイロリにかけてあった大きな鉄鍋をぶら下げて来て、煮えくり返ったお湯の中に、窓の外にぶら下がったツララをボキッと折って突っこんでくれた、とか。

八千草 何も知らないものですから、申し訳ないことをしてしまいました(笑)。翌日からは顔を洗わないで、クリームで拭くだけにしましたが……。水を確保するのって、大変なんですよね。ご飯を炊くお水も、戸外に出て雪をスコップですくってきて、それをイロリで溶かして少しずつ作るんです。でも、山小屋の食事は本当に美味しくて、自分でもびっくりするくらいに食べました。自家製味噌で作ったお汁に、あの時は鶏のささ身のような白っぽいお肉を入れたのがとても美味しくて、ついつい二杯もお代わりしたんです。あとで、「兎って初めて食べたわ、あんな味がするもの?」と主人に聞くと、「兎? いま食べたのは兎じゃないよ。ありゃ、タヌキだよ」と言われて、胃袋のあたりがキュッと持ち上がったり……。何もかもが面白かったですね。目新しいことばかりで、戸惑うというより、ちょっとした冒険のようでした。「お天気もいいし、誰もいないし、新雪はきれいだし。これだけ条件が揃っていると、きっと君は病みつきになるよ」と言われました。

――事実、その通りになったわけですね。「山に来ると生き生きして、顔つきが違う」と、その後も監督に言われたそうですが……。

八千草 自然の中にいる時って、やっぱり心地いいんですね。それに女にはできないと思われていることができちゃったりすると、すごく嬉しい。まだ女が山へ行くのは珍しかったですし、ましてや女優さんにはどなたもいらっしゃいませんでした。山からひどい雪焼けをして帰ってくるので、“メガネ猿”みたいになった顔を元に戻すのが大変でしたけれども……。でも、山へ行くとクヨクヨ悩んでいたことがあっという間に吹っ切れたり、都会にいていつの間にか煤けてしまっていた神経が、すがすがしく洗われるような気がしました。

〈痛いような冷たい空気、まるで音というものが消えてしまったように感じるひととき。夜、手の届きそうな星空の下の、雪明かりの道を一人で歩いていると、怖い一方、とても幻想的です。そしてあのサン=テグジュペリの『星の王子さま』のように、やっと山が自分一人だけの大切な山になったような気がしてくるのです〉(「自分だけの大切な山」)

――山の縁で出会った人の思い出も、たくさんおありでしょうね。

八千草 冬季小屋に留守番でいる方に会うのが楽しみでした。イロリを囲んで、外の吹雪の音や薪のはぜる音を聞きながら、とりとめのないおしゃべりをするんです。それがとても面白かったです。 今度の『考える人』の特集(「ひとは山に向かう」)を拝見していると、随分懐かしいお名前が出てきました。辻まことさん、戸川幸夫さん、坂本直行さん、深田久弥さん、畦地梅太郎さん、それから北杜夫さん。皆さん、お目にかかりました。 辻さんとは秀山荘(登山用品の専門店)のご主人だった三浦健二朗さんのご縁で知り合ったのですが、私たちの自宅の壁画も描いていただきました。壁についていた小さな窓を絵の一部に取り入れた、とても素敵な作品です。お人柄がなごやかで、フワッとした雰囲気を持っておられて、辻さんの『山からの絵本』(創文社)はいろいろな方にお勧めしました。一昨年の夏に、辻さんが「山と溪谷」や「岳人」などの雑誌に描いておられた秀山荘の広告を集めた本が出ました(『辻まこと 山とスキーの広告画文集』山と溪谷社)。読んでも見ても楽しい本で、巻末に私も短い文章を書かせていただきました。 山の本といえば、最初に私の中の山のイメージを大きくふくらませてくれたのは、加藤泰三さんの画文集『霧の山稜』でした。戦前の方ですけれども、絵と文章がともに素晴らしくて、この本にはとても感銘を受けました。私が「長野」とか「松本」とか「上高地」といった文字を見るだけで、なんだかドキドキするようになったのは、この本の影響が大きいような気がします。主人との旅先に上高地を言い出したのも、そのせいかもしれません。

 2007年に、50年をともに過ごした谷口監督が死去。そんなこともあって、山からはしばらく遠ざかってしまったという八千草さんですが、先週のメールマガジンでも紹介した1月2日のNHKスペシャル「エベレスト」は、やはりご覧になっておられました。そして、エベレスト登頂の玄関口にあたる、シェルパ族の村ナムチェバザールが、1975年にご夫妻で訪ねた時よりも随分賑やかになっているのに驚いた、と――。

 昨年11月に出た写真集『八千草薫』(文藝春秋)には、若い頃からの映画・テレビのスチールや未公開のプライベート写真がたくさん収められています。新婚旅行の時の上高地の写真や、山に登った時のショットも全部で9点含まれています。いずれも谷口監督が撮影したものだそうです。リラックスして、山の空気を満喫している八千草さんの穏やかな表情は、いまの山ガールたちにも是非受け継いでほしいと思います。

「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)