【考える本棚】
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 杉山隆男『昭和の特別な一日』(新潮社)
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眼下に浮かぶ五輪のマーク------------------------------------------------------------------------

〈同じ時刻、私の二人の兄は自宅でテレビを前にしていた。……そして、あのシーンを眼にするなり、一番上の兄はすぐさま兄弟三人の勉強部屋でもあり寝室でもあった八畳ひと間の子供部屋から愛用のカメラを手にとって、屋上の物干し台へと駈け上がったのだった。……その物干し台から兄はあの特別なシーンに向かってカメラのシャッターを切った〉

 映画「ALWAYS 三丁目の夕日'64」でも、テレビ中継を見ていた人々が、慌てて路地に飛び出し、空を見上げるシーンが出てきます。彼らの瞼にはみるみる涙がこみ上げます。まさに感無量の光景だったのです。19年前には一面焼け野原だったところから、めざましい勢いで経済復興をなし遂げた日本が、アジアで初めてのオリンピックを開催する――誰もが、えもいわれぬ感動に打ち震えた瞬間でした。前夜の激しい雨がまるでウソのように晴れ渡った青空には、航空自衛隊ブルーインパルス・チームによって描かれた、大きな五輪のマークがありました。50代半ば以上の日本人の脳裏に灼きつけられている、歴史的な場面です。

 本書は、この日、空に五輪のマークを描いた自衛隊パイロットたちの秘話、あるいは東京都民の足だった都電が銀座から姿を消した日、高速道路が日本橋川の上に作られ、日本橋から空が失われた日、中野にブロードウェイという「東洋一」の巨大なビル(高級マンションとショッピングセンター)が建てられた日――など、1960年代を彩る4つの出来事の物語と、それらが分水嶺となった日本人の心象風景のうつろいを立体的に描き出した作品集です。いずれも著者自身の思い出に連なる「オンリー・イエスタデイ」のドラマであり、同時に私たちが忘れてはならない大切な「記憶」のよすがが、ここにはさまざまな形で記されています。

 中でも個人的にもっとも胸を打たれたのは、航空自衛隊ブルーインパルスの挑戦を描いた「上空一万五千フィートの東京五輪」でした。これまで『兵士に聞け』に始まる兵士シリーズ4部作や『「兵士」になれなかった三島由紀夫』(いずれも小学館文庫)などの作品を通して、自衛隊員の素顔を間近に見つめ、自衛隊という組織の本質と限界を見据えてきた著者ならではの眼差しが、表現の隅々に微妙な陰影を与えているからです。

「世界中の青空を全部東京に持ってきてしまったような、素晴らしい秋日和でございます」――NHKの実況アナウンサー、北出清五郎氏の晴れ晴れとした声が、「ALWAYS 三丁目の夕日'64」の中でも流れていました。1964年10月10日午後2時、東京オリンピックの開会式です。94ヵ国、5500人にのぼる選手団の入場行進、ブランデージIOC会長の挨拶、天皇陛下の開会宣言に続き、聖火の最終ランナーによって聖火台に火が点され、鳩がいっせいに空へ放たれます。その瞬間、「選手やスタンドの観客が頭上を振り仰いだ午後三時十分二十秒、天皇皇后が鎮座するロイヤルボックスから見上げ角七十度の高度一万フィートの上空に、五色のスモークで、オリンピックのシンボルである五輪のマークを描きはじめる」のが、7人の熟練パイロットに与えられたミッションでした。

 もっとも、東京オリンピック組織委員会から当初要請されたのは、五輪のマークが表わす五大陸の色――青、黄、黒、緑、赤の5色のスモークを吐きながら、国立競技場の上を飛んでもらえないかというオーダーでした。成功率ほぼ100パーセントに近い、ありきたりの出し物です。ところがその時、航空自衛隊のトップに君臨する空幕長が言い出したのは、「どうせやるんなら、国立競技場の上に五色のスモークで五輪のマークをかいてみせようじゃないか」という規格外れのアイディアでした。世界最強の米空軍でさえ試みたことのない、前人未到の至難の技。失敗の許されない世紀の大舞台で試すのは、危険きわまりない賭けでした。しかし、成功すればそのインパクトの大きさも計り知れません。

 なぜ、こんな型破りの無謀な作戦に空幕長は打って出たのか。隊員たちには、その気持ちが痛いほどに分かりました。

〈創設から十年をへてもなお、「戦後日本の落とし子」とも「日蔭者」とも呼ばれ、世間の無理解の冷たさと無関心の辛さを否応なく味わわされつづけている自衛隊。そんな中で、自分たちは報われない存在なんだという隊員たちの思いはどこにも向かうところなく、やり場のない鬱屈となって心の底にたまっていくしかなかった〉

 創設から10年の間に、空の上で失った命は90余名に及んでいました。しかし、死が隣り合わせの危険な任務であるにもかかわらず、自衛隊は相変わらず戦後日本の「鬼っ子」でした。平和憲法がある限り、それが護符のように国の安全を守っている、という世間の空気が、自衛隊の立ち位置をなおさら見えにくいものにしていました。こうした割り切れなさを一気に払拭し、自分たち自身が心の底から「『よし!』という覚悟をもって事に臨める」ようになるためには、何か自信の裏打ちになるような、確かなよりどころを得たいという思いが、隊員たちの胸のうちにはありました。それがこの挑戦の意味でした。もちろん、世界中の注視が集まる中で、日本の新しい「空軍」、航空自衛隊の存在と力をアピールできれば、「空自創設十年を飾る堂々たる記念碑」になることも確かでしたが……。

 オリンピックマーク・スモーク作戦が決定してから約2年、選ばれた7人は黙々とその訓練を重ねました。しかし、本書を読んで心底驚いたのは、本番直前まで繰り返された予行演習の中で、「ただの一度として成功したことはなかった」という事実です。ロイヤルボックスの天皇皇后両陛下から見て、もっとも見映えのするマークを描くためには、「どのくらいの大きさの円をどのような間隔で」空に描けば効果的なのかと、何度も作図して検討していたにもかかわらず、いざ空中では輪と輪の間隔が近すぎたり、あるいは離れすぎていたりと、納得のいく形がついに描けないまま本番の日を迎えたというのです。

 それでも、その日、早朝偵察に飛び立った隊員は、朝日を受けて浮かび上がる国立競技場を見て、「これは天の加護だ」と受け止めています。不思議なことに、焦りも不安も感じなかったというのです。

〈そう、天がわれわれに加護を与えてくれているのだ。これ以上は望めないというくらいに舞台は整えられ、あとはチームが百パーセントの力を発揮すればいいのである。その点は、チームの五人なら必ずや、やってくれると鈴木は確信していた〉

「天命を信じて、人事を尽くす」を合言葉にこの日に備えてきた7名は、午後2時30分、定刻通りに6機のF-86セイバーと1機のT-33に搭乗して、埼玉の入間基地から飛び立ちました。編隊は5機が高度一万フィート上空で五輪のマークを描き、1機はさらに上空一万五千フィートから全体を見渡して、的確な位置を指示するコントロールシップの役割を担います。もう1機は、万一エンジントラブルを起こす機があっても、すぐに飛び入りで代役がつとまるように、近くで待機することになっていました。故障を起こすのが、何色のスモークを出す飛行機か分からないので、この予備機には白色のスモークが装備してありました。

 そして定刻をわずかに遅れて地上で鳩が放たれ、「君が代」演奏が流れるのに合わせて、5機のジェット機は、94ヵ国の選手団、7万5千の観衆が見上げる上空に、五輪のマークを描き始めました。「百数十回挑戦しながらただの一度として成功したことがなかった」にもかかわらず、それを本番ではものの見事にやってのけたのでした。

 無事に大役を成し遂げた7人のサムライが、東京の空を凱旋飛行した時から、さらに時は流れます。空のヒーローたちの身の上に、その後どういう変化が訪れたのか――この後日談もまた、あの時代の空気と無縁ではあり得ません。思えば、このオリンピックで自衛隊は「後方支援」の陰の存在として、さまざまな役割を果たしました。開閉会式での各国の国旗掲揚の任務、選手村の運営、輸送、さらには近代五種、馬術、ライフル射撃、ヨットなどの各種競技のサポート。

 また、オリンピック選手養成のために、1961年に創設された自衛隊体育学校の存在があります。国の威信をかけて出場した重量挙げフェザー級の三宅義信選手が金メダル。そして、陸上競技1万メートル6位入賞、マラソン銅メダルの円谷幸吉選手。「幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません」という遺書をのこして、4年後のメキシコ・オリンピック直前に自殺した円谷選手の悲劇もまた、当時、自衛隊が受けていた社会的重圧を抜きに語ることはできません。

 多くの国民の支持を得るにいたった現在の自衛隊からは考えられない「不遇の時代」が長くありました。「私は自衛官の倅として生まれ育ちました。小さい頃から、有事に備えて厳しい訓練に明け暮れている隊員の姿をたくさん見てまいりました。様々な活動の最前線で献身的に活動している隊員の姿をたくさん見てまいりました。平素から自衛隊をこの国の誇りとして思っておりました」と首相自らが語りかけ、大震災、原発事故、その他の自然災害の現場で汗を流す隊員たちに、「ありがとう」と謝意を述べる時代が来るとは想像もできませんでした(平成23年度航空観閲式における野田総理の訓示)。またその総理が、妄言と醜態を繰り返す防衛大臣を任命するということも……。

 こうした時間の遠近法のなかにこの作品をおいてみると、1964年の懐かしい光景の向こうに、人間の営みのはかなさがおぼろげに見えてくるようにも思われます。一万五千フィート上空の「特等席」から、眼下に浮かぶ五輪のマークを見守っていた1機のように、自衛隊の今日ある姿とそれを取り巻く社会の変化を、15年以上も目をこらして見つめてきた著者の胸のうちが想像されてなりません。

「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)