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 37年前の警鐘
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 作品よりも受賞会見でのやりとりが話題をさらった今度の芥川賞ですが、受賞作2作の掲載された「文藝春秋」3月号が、発売4日目にして5万3000部の増刷になったそうです。昨年の3月号に続いて2年連続というわけですから、改めてこの賞の社会性を感じさせられます。ところで、その号に、37年前に同誌に掲載された論文「日本の自殺」が再録されていることが、一部の注目を集めています。初出は1975年2月号。前年11月号のいわゆる「田中角栄の金脈研究」が引き金となって、その2ヵ月後に田中首相の辞任という歴史的な事件が起きました。いまと比べて雑誌の持つ影響力がはるかに手応えをもって感じられた時代です。

 当時、ぼんやりした学生生活を過ごしていましたが、なんとなく手にして読んだ「日本の自殺」の印象は強烈でした。「世界中の人々の注目を集めた“驚くべき日本”もやがてあのローマ帝国のように没落していくのではないか?」という問いかけ自体に体を揺さぶられました。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」などと持ち上げられる前夜のことで、まだ山を登っている途上だと思っていたからです。

 その懐かしさも多少ありますが、今回の再掲載にはそれ以上にある感慨を覚えないではいられませんでした。というのも、論文の惹句に「朝日新聞主筆が瞠目した衝撃論文」とあるように、実は、私も1月10日付けの朝日新聞朝刊で、若宮啓文主筆が執筆したコラムに驚きを禁じえなかったからです。「明日の社会に責任をもとう 『日本の自殺』を憂う」と題した文章です。

〈古い論文が手元にある。1975年の文芸春秋2月号に載った「日本の自殺」だ。保守系の学者たちが「グループ一九八四年」の名で共同執筆。古代ギリシャもローマ帝国も自らの繁栄に甘えて滅んだと指摘、日本も衆愚政治で同じ道を歩んでいると警告する刺激作だった。昨年、まさにギリシャとイタリアの財政危機が世界の耳目を集めたのは因縁めいているが、果たして日本はどうだろう〉

 そして、「バブル崩壊からほぼ20年。後始末に追われながら国の借金が瀬戸際までふくれたいま、『日本の自殺』がかつてなく現実味を帯びて感じられる」と続く文章は、「与野党とも政局や選挙の利害ばかり考えず、明日への責任を心に刻んで大人の議論をすること。それが『自殺』を避ける道である」と結ばれています。

 朝日新聞の主筆が、今日の日本の危機を予見した文書として「グループ一九八四年」の論文を高く評価するなど、40年近く前には想像もできませんでした。朝日新聞こそ、この執筆グループが当時の“仮想敵”とみなしていた革新系の本丸でした。その“論敵”が「日本の自殺」を評価し、また新たな生命を吹き込むことになろうとは、37年という歳月の長さと、そして何よりいまの「日本を覆う危機の深さと広がり」(山内昌之)を感じざるを得ません。

「日本の自殺」の基本的命題は、あらゆる文明は外からの攻撃によってではなく、内部からの社会的崩壊によって破滅するという主張にあります。過去6000年における21の文明の栄枯盛衰のドラマにおいて、ほとんどすべての文明の没落は飢饉、洪水、地震、火災などの自然災害や外敵の侵略よりも、その社会の内部、その社会を構成する人間の中にこそ自滅を招く真の原因がある、という指摘です。

 たとえばローマ帝国。巨大な富を集中し繁栄を謳歌した代償として、ローマ市民は次第にその欲望を肥大化させ、自立自助の勤労精神を失って、消費と娯楽の「放縦と堕落の道」へと歩み始めます。あるいは、繁栄を求めて流入する人口によって、ローマ市が適正規模を超えて膨張を続けた結果、小さくとも強固な結束を誇っていた市民のコミュニティが崩壊し、「大衆社会化状況」が急速に拡大します。あるいは、ポエニ戦争などで土地を失い無産化した市民が、市民権の名において救済と保障――「シビル・ミニマム」を要求するようになった結果、無償の「パンとサーカス」がローマ市民を退廃させ、福祉コストの増大、社会の活力の喪失、インフレ、さらにはスタグフレーションという没落のスパイラルに突入した、と分析しています。

 そして、日本が直面する具体的な難題を指摘した上で、「日本の没落の危険は資源問題や輸出市場などの客観的、外部的、物質的制約条件のなかに存するのではなく、日本社会の内部的、主体的、精神的、社会的条件のなかにこそひそんでいるのである」と喝破します。すなわち、直面する試練を克服するために全力で戦わなければならないのは、実は「われわれの精神と社会の内部にひそむ『内部の敵』」であるとし、その自壊のメカニズムを解剖します。そして最後に、「日本の自殺」への危険な衝動を阻止するために、これまでの諸文明の没落の歴史から引き出したいくつかの教訓を提示しています。

 いま読んでも、新鮮さを失わないばかりか、鋭い洞察力と説得力には一層の迫力を感じてしまいます。繰り返しますが、この論文の発表当時、対立する立ち位置にあったのが朝日新聞を代表とする革新系の論者でした。「シビル・ミニマム」はその頃のまさにバズワード(一見専門用語のように世間に流布しているが、必ずしも明確な合意や定義のない用語)として、何かといえば持ち出され、黄門様のご印籠のように人を黙らせたものです。それに異を唱えたのが、ジョージ・オーウェルの近未来小説『1984年』をもじった、この匿名の共同執筆グループでした。いま調べてみると、全部で7本の論文が「文藝春秋」には発表されています。

・「日本共産党『民主連合政府綱領』批判」1974年6月号・「日本共産党への再批判」1974年8月号・「日本の自殺」1975年2月号・「現代の魔女狩り――日本社会は狂っていないか」1975年12月号・「魔女狩り的思考の見本――『現代の魔女狩り』への反論を読んで」1976年2月号・「腐敗の研究」1976年7月号・「日本の成熟――5700万票の政治学」1977年2月号

「日本の自殺」は3作目ですが、私の記憶ではその前後の論文ほど、ジャーナリスティックな話題とはなりませんでした。先述した「田中角栄研究」号はもとより、反論がすぐさま寄せられた他の論文に比べて、反響はごく控えめなものだったような記憶があります。とくに4作目になる「現代の魔女狩り」で、公害反対運動の企業告発や、自動車の排気ガス問題、商社悪玉論などの追及方法が、マス・ヒステリーを煽る「中世の魔女裁判」に匹敵する、と論じた時などは、発表と同時に凄まじい反論が巻き起こりました。

 それからすると、土光敏夫経団連会長が「日本の自殺」を読んでいたく共感し、
記事のコピーを大量に配ったり、当時の「文藝春秋」編集長(田中健五氏)に電
話をしてきて、執筆グループに接触を図ろうとしたなどというのは、随分後にな
って聞こえてきた話です。80年代に入り、第二臨調で土光さんが行政改革に辣腕
をふるい始めてから、ようやくこの論文の意味が取りざたされるようになりまし
た。土光さんは、これを読んだことがきっかけとなって、日本社会の崩壊を食い
止めるためには、行改推進が何よりも必要だと痛感したというのです。

 それにしても、田中元編集長が、今回この「グループ一九八四年」とは何者で
あったのか――それをある程度明らかにしたのは興味深いことです。私たち学生
の間でも、当時からそれは関心の的でした。そして、この度名前の挙がった顔ぶ
れを見る限り、ほとんどは想像していた通りでした。ただ、「グループのメンバ
ーには、記事の編集を担当していた私でさえ、会ったことはありません」という
証言がその通りだとすれば、意外というほかありません。

「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)