「小津映画」というとき、わたしたちが思い浮かべるのは、『晩春』や『麦秋』や『東京物語』に代表されるような戦後の作品群です。けれど、この特集の手伝いもしてくれたアルバイトのMさん(26歳女性)は違いました。「小津監督の特集、楽しみです。サイレント作品のファンなので」。

 彼女は小津生誕100周年記念の放映(NHK-BSで2003年暮れから2004年1月まで)で、『出来ごころ』(昭和8年)を観て、トリコになったそうです。もともと映画はよく観るけれど、黒澤の『羅生門』、ジョージ・ルーカスの『スター・ウォーズ』など、迫力のある映画が好みで小津映画にことさら期待はしていなかったのに、「まったく古めかしさを感じさせない面白さとテンポで、そのあと立て続けに数本観ました」とのこと。

 この『出来ごころ』は小津の戦前作品のなかではシリーズ性をもった「喜八もの」の第1作。東京下町の気のいいお調子者の労働者(ときには失業者、旅役者)である喜八と、彼をとりまく人々の悲喜こもごものドラマを軽妙に描いた一連の作品は、山田洋次監督の「寅さん」の原型のようにも思えます(山田洋次監督にそういう意図はまったくなく、松竹という映画会社の伝統によって生み出されたものか、とインタビューで語っています)。登場する人々(坂本武と飯田蝶子が常連、笠智衆もかならず顔を見せます)のユーモアと心意気は、たとえ無職で宿なしといったどん底でも、不思議と明るい空気をかもし出してくれます。

 フィルムが現存するもっとも初期の作品『学生ロマンス 若き日』(昭和4年)はスキー場面が印象的(しかもそのシーンが長い)なラブコメディだし、『朗かに歩め』(昭和5年)はホテルやゴルフ場やトランペットや拳銃などの道具立てもバタ臭いアクションドラマです。『淑女と髯』(昭和6年)、『非常線の女』(昭和8年)も、主人公が靴を脱がないで入るアパートメントに住んでいたり、毛皮を着た不良娘(モガ)がからんだり、外車やボクシングが出てきたり。大道具小道具と、筋立てはどうあれ映画全体に漂うカラリと明るい空気は、戦前の小津監督がアメリカ映画好きであったことをうかがわせます。そしてまた、後年の「小津調」と呼ばれる傑作群にも顔をのぞかせる、茶目っ気たっぷりな観客への“めくばせ”、インテリアや小道具へのこだわりが、すでにこの頃からあったことに気づくのです。

この当時、小津は二十代の後半。スポーツ万能で少年期からアメリカ映画にかぶれ、下町に暮らしつつモダンボーイとして横浜を闊歩し、薄給のなかで年に5~6本も映画を作っていました。社会は不景気で『大学は出たけれど』(昭和4年)のように人々は生きるのに必死だったろうけれど、第2次世界大戦までまだわずかに猶予がありました。日本映画は青春期であり、小津監督もそのなかで若き血を燃やしていたのだなあ、とその幸福を思わずにはいられません。

 小津安二郎は、生涯で54本の映画を撮影しましたが、そのうち戦後作品はわずか15本にすぎません。戦前・戦中の小品(それも17作品が失われてしまいましたが)に、代表作に結実するあらゆる萌芽が見てとれ、また連想を誘われます。何度でも観直したくなる小津の映画。チャンスがあったら、ぜひ小津監督の“戦前のサイレント”作品もごらんいただければと思います。