【考える本棚】
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 田中長徳『屋根裏プラハ』(新潮社)
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

恋愛関係の通奏低音------------------------------------------------------------------------

「本書はあたしの百二十五冊目の本であるらしい」と「あとがき」にあるのを見て驚きました。写真集やカメラ関係のエッセイ集はこれまで数冊読ませてもらいましたが、「全著作」がそんな数にのぼるとは! 「アマゾンで調べたら百二十四タイトルの本が入手できるのでそれに一冊プラスすれば百二十五だ。これは写真家にはラッキーナンバーだ。一番使うシャッター速度1/125秒なのである」。

 と、小気味のいい語り口は氏の持ち味ですが、この125冊目がこれまでの124冊と決定的に異なるのは、この作品が文章だけの力で真っ向勝負に挑んでいるという点です。表紙とカバーに使われた4点以外に、17の断章からなる本文中に差し挟まれている写真はわずかに6点。この潔さが見事に成功しています。

 本書の元になるエッセイの連載が文芸誌「新潮」で始まった時、その意外さに驚くとともに、期待に胸が高鳴りました。氏の豊かな語彙、卓抜な着想とリズミカルな文体、秀逸なユーモアと諧謔、きっぱりとした好悪の表明――など、鋭い批評センスとたくましい思考力を知る一人として、この“大型新人”のデビューに快哉を叫んだのです。

 1947年生まれの写真家である著者は、若い時から「カメラ小僧」として名を馳せるとともに、長い海外生活を経験してきました。73年から80年まで7年半をウィーンで過ごし、82年から翌年にかけてはニューヨークに滞在。89年から現在に至るまで、プラハに構えたアトリエと東京・佃にある自宅マンションとを1~2ヵ月に一度行き来する(プラハに行けば1、2週間滞在する)という生活を続けています。本書は、ウィーン在住時代に始まった著者とプラハとの付き合いを、緩やかな時の流れとともに辿りつつ、記憶のあわいを生き直そうとする試みです。それは自ら「第二の故郷」であると宣言するプラハへの郷愁を、独特の陰影の中に定着させようとする、すこぶる文学的な行為でもあります。

 周知のように、この半世紀の間に、プラハを舞台にしたふたつの大事件が世界の耳目を集めました。ひとつは「プラハの春」と呼ばれた社会主義圏における自由化への期待の高まりと、それを圧殺した1968年8月のソ連軍のプラハ侵攻。もうひとつは、その時から始まった長い冬の時代を経て、1989年11月に迎えた「ビロード革命」です。ソ連崩壊に先立つこと2年、赤旗が翻り、グレーの町並みが延々と続いていた共産主義体制下からの離脱――著者が「ご維新」と呼ぶプラハ市民の決起です。

 しかし、そんな大事件ももはや忘却の彼方に押しやられつつあります。学校で「ビロード革命」のことを教わったかもしれないけれど、身体感覚としてはまったく記憶にとどめない「普通の若いプラガー」がこの町にも溢れ始めました。ウィーンから中古のフォルクスワーゲンを駆って、著者が初めてプラハを訪れたのは、1975年のことです。ビロード革命以前の時代を知る者は、もうすっかり「古老」的存在として扱われるようになりました。

〈一九八九が遠くなった。これがこの二十年来の唯一確かなことだ。さらにその前の一九六八など、当時を知る人間はすでに墓の下に去りつつあるのが現状なのである。 しかし、どうも言葉の記憶と視神経の記憶とは完全に別ものらしい。さらにあたしの場合、そこに写真の記憶が加わる。視神経の記憶と写真の記憶とはまた更に異質なものなのだ〉

 こうして、著者の中では自在に行き交いされるこれら3層の記憶の回路が、プラハの町の「本質」を夢のように開示してくれるのが本書の魅力です。それにしても、なぜプラハなのか――。日本から9000キロ離れた地に、23年も往還を繰り返すという情熱は、一体どこから生まれてきたのでしょうか。

〈プラハは写真家の楽園である。世界中でこれほど魅力のある都会を知らない。それは巨匠ヨセフ・スデクの仕事が示している。千年の古都を今に歩行して写真を撮影できるのは奇跡のようなものだ〉

 神聖ローマ帝国の帝都であった頃からの歴史の堆積、加えて現代史の過酷な試練にさらされた半世紀の記憶。そこにヨセフ・スデクという偉大な写真家の存在が、著者の道しるべとなります。

〈プラハとその周辺をくまなく撮り歩いたヨセフ・スデクはプラハをライフワークにした偉大な写真家だ。人間の一生はプラハに捧げて絶対に悔いはないと思わせる真実だ。しかもその神秘はただその印画紙の上にだけ具現化されているのだ。これは本物の写真家の持つ秘蹟なのである。実際、専門の教育を受けたあたしですら、ヨセフ・スデクが印画紙上でこれほど微妙な光の技を構築できるのは、実に魔法と言うほかはなかった〉

〈ヨセフ・スデクは、オリジナルプリントを通してのみ本当に理解できる写真家のひとりである。印画紙に最初に光があたってそこに形成された光の惨劇の像。これがヨセフ・スデクの芸術である〉

 自分のプラハ認識はヨセフ・スデクの視覚が最初の導入部になった、と語っているように、本書そのものの着想も構造も、ある意味ではこの偉大な師に対するオマージュになっています。すなわち、千年の古都の「奇跡」に向けられている眼差し――街路、路地裏、建築物、何げない周辺の風景に読むプラハの物語。あるいは、「スチルライフ」な存在への著者の執着(カメラ、プロペラ、エンジン、切手、ワイン、路面電車、チョコレート、記念写真、墓、等々に対する偏愛)は、そのままヨセフ・スデクの写真術を想起させます。それはまた、一見饒舌とも思われるレトリックの底にひそんだ静かな流れ――著者の中で揺るがないプラハ体験の“通奏低音”を感じさせます。

 言いかえれば、時代のうつろいにもかかわらず、一貫してこの町に降り注がれている、著者の微細で孤独な眼差しのようなものです。「なぜプラハなのか」というもうひとつの理由は、この自己対話へのやみがたい衝動だと言ってもよいかもしれません。

〈プラハでの一人暮らしは実にシステマチックだ。一人暮らしの快楽がここには存在する。なぜなら、日本で自分はあまりにも多種多様な人間のグループの中に属し、それぞれの役柄の異なる台本を読まされて、自分はいったい誰であるのか、それがわからない。ここ、プラハでは本当に一人になって他人の中にではなく、自分の中に入ってゆける。自分がプラハと恋愛関係にあるとはそういうことを意味する〉

 東京では絶対に望めない、自由で贅沢な時空間。これが著者の感覚を研ぎ澄ませます。たとえば、世界的にはまったく無名だけれども、「最初に口に含むとその液体が太陽の産物であることが分かる」というチェコワイン。著者は、プラハの夢を紡ぐために、旧市街の路地裏にある地下の酒場へと足を運びます。

〈レストランで飲むのは好みではなかった。あれは社交のための飲酒である。ワインを飲むなら郊外の森の中の青天井か、さもなければ地下に限る。それも独りで飲むに限る。酔うにつれて考えたこともないような言葉が頭の中からわき出す。自分はその中に入って行ける。つまみはチーズが数片あればいい〉

 こうして不思議な幻視行のひと時が著者に訪れます。この町の真正の住人でもなければ、偶然の旅行者でもなく、「屋根裏」の観察者でなければ語れないプラハの町の物語です。

〈歩行しながら今出てきた酒蔵のことを考える。ワインケラーはそのまま地下鉄の車内のようだ。席の並べ方がプラハのメトロのそれに似ているからだ。ウィーンのメトロにも似ている。細長い部屋は車両そのものだ。これはそこに居る者のアルコールのエネルギーで地下を疾走するのである。次の停車はカテドラルの地下のカタコンベ(納骨室、引用者註)駅である。…… プラハの地下酒場でのワインは「生と死」を接近させる効果がある。そのワインは高尚な生死の哲学を教えてくれる。同時にワインは毒薬であることも教えてくれる。いえいえ、これは「メメント・モリ」などという気取った哲学なんかで

はない。なぜならプラハの酒場から表に出て三分も歩けば、市庁舎のからくり時計では骸骨が毎日鐘を鳴らしているではないか。それをツーリストは笑って見ている。「プラーグの 古都の真昼の夏空に 骸骨の打つ 鐘を聞きたり」 最後の最後に「間抜けな音の笛」が鳴って、骸骨はパタンとドアを閉じる。千人を超える広場の観客は大笑いして、それから三々五々散ってゆく。それを見てからワインを飲みに行くのは生者必滅を勉強する理想の暮らしだ。この歌は七〇年代にここに伴った老紳士が詠んだ。彼もすでに鐘を鳴らす方の所属になって久しい〉

 こうした文章が全編に横溢しているのが本書の魅力です。そして最後にひとつ、どうしてもこの一節を紹介しなくてはなりません。それは、著者の尊敬してやまないヨセフ・スデクのオリジナルプリントが、プラハの某ギャラリーでかなりまとめて売りに出された時のことです。値段は高い、けれども「このような質の高いオリジナルプリントの売り立ては今世紀最後です」と言われた著者は、2点だけ購入します。

〈ギャラリーの展示なら会期の終了後に作品を受け取り支払いをするのが普通だが、あたしは明日東京に戻ると嘘をついてその場でフレームから外してもらった。簡単に包装したプリントの包みを持って、ギャラリーを出た。そこはモルダウ川の右岸の遊歩道である。 その時、突然、あたしに兆した奇怪な行動は自分自身、今でも説明がつかない。包装紙を破って二点のオリジナルプリントを引き出した。それをモルダウ川ぞいのゴミ箱に放棄したのである〉

 スデクを捨てる。モルダウ河畔のゴミ箱に、「我が神なる」ヨセフ・スデクを捨てる! 何を考えて、そんな行動におよんだのか。著者は、それからどうしたのか?

 あえて自らの信仰の深さを試す――この“暴挙”こそが、著者とプラハとの「恋愛関係」を象徴しています。揺るがないプラハの魅力を語って尽きない、類書のない傑作の誕生です。

「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
*写真 田中長徳