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 3・11から1年
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 この1年、震災に関連した本をかなり読むことになりましたが、山内明美さんの『こども東北学』(イースト・プレス)はその中でも印象ぶかい1冊でした。1976年生まれという若い著者が、故郷である宮城県三陸沿岸部での生活を思い起こしながら、いまも東北にこだわり続けている胸のうちや、そこを後にしてきた後ろめたさを正面から見据えて、日本人として「あたりまえに生きる」ことの大切さを訴えた真摯な著作です。現在は東京の大学院博士課程に在籍しながら東北を「知」の対象として研究する立場にありますが、共同体に育まれてきた自分自身の根(ルーツ)と、その外に広がる自由な世界との懸隔を次のように表現しています。

〈村の規範に縛られずに自由に生きてみたいと思いながら、田畑に囲まれていない暮らしというものがどういう生活なのか、わたしはうまく思い浮かべることができなかった。「家」に縛られない暮らしは自由だけど、いまでも、故郷を離れて暮らすことに、なにかとても大事なものを失いつづけているような喪失感がある。自由な生きかたを許してはくれない故郷へのやりきれない気持ちと、そこで育ててもらった感謝の気持ち〉

 こうした葛藤は、やがて共同体に比重をおく田舎と、個人に比重をおく都会と、両方の良さがうまくミックスした社会はできないものか、という素朴な問いかけにつながります。「自由競争の社会/競争を忌避する社会、ふたつの社会は、ほんとうに相容れない社会なのだろうか」と。

 その山内さんが、震災1周年を控えた3月10日、自分のブログに書きつけた怒りの言葉を目にしました。長い引用になりますが、そのままお伝えしたいと思います。

〈被災地へ赴こうとしている学者・研究者のみなさん

 学者・研究者へ対する被災地の当事者の感情は、もはや不信感から怒りへ変わりつつあることに気づいてください。「俺たちは、学者のモルモットじゃない」と語る被災地の人々の声があります。 大学教授がさも当然のように被災地へ来て、フィールドワークと称し、津波で全財産を失って先行き不透明な暮らしの中で、仮設住宅で暮らす人々を呼びつけて、同情然として話を聞き歩く。ひとつやふたつの大学、教授、研究者ではありません。たくさんの研究者に対しての声です。被災地を立ち上げる、寄り添う意志のない方は、来るべきではありません。研究者の「思いつき」が被災地の負担にさえなっています。1日フィールドワークして、聞いた話を簡単に研究報告にまとめる作業はべつのところでやってください。情けなさ過ぎます。

 震災から1年を経て、ガレキの片付かない被災地の忍耐はすでに極限を越えています。 11日、たくさんの研究機関から、三陸の町々に訪れる人々。学者、研究者のみなさん、まずは、ご自分の身銭をきって観光へいらっしゃってはいかがでしょうか。研究から離れた場所で、被災地へ訪れてみることも必要と思います。何日でも泊まって、ここにどんな暮らしがあるのか、じっくり見ることからはじめてください。お待ちしています〉

 彼らに欠落しているのは、被災者に対する想像力、わけても「死者」の観点ではないかと思います。愛する人を喪った人が、そこには何十万人もいるという感覚です。

 そこで気になるのは、テレビ、新聞、雑誌などメディアの取材攻勢はどうだったのか、ということです。「言うに及ばず」ということなのか……ふと考えてしまいます。実際、3月11日を間近に控えたあたりから、あらゆるメディアが3・11関連の特集を一斉に組み始めました。被害の甚大さ、いまなお続く“後遺症”の深さを考えれば、当然のことだと思います。とはいえ、それだけの情報量を受けとめるには限りがあります。とてもすべてを消化するわけにはいきません。おそらく取材を受ける被災地の側でも、その裏返しのフラストレーション、徒労感がさぞかし募っていたであろうことは容易に想像できるところです。

 さて、この1年を、私たちはどのように過ごしてきたのか。過酷な体験を経て、私たちはどう変わったのか――これは、3月11日という節目を迎えて、多くの人々の胸に去来した問いかけだったと思います。そして、大半の人はおそらく、この日をどのように過ごしたらいいのか、とそれぞれに思いをめぐらせていたのではないでしょうか。

 1年前のこの日、わが編集部は次号の「考える仏教」という特集を準備しているさなかでした。日本人と仏教の関係を問い直し、現代における仏教の役割を再考しようとしていたまさにその時に、未曾有の大震災がこの国を直撃したのでした。そして、奇しくもその特集に登場した複数の人たちが、阪神・淡路大震災を契機に初めて仏教というものに関心を抱き、それが思考の転換点になったと発言していました。たとえば高村薫さんは、「阪神大震災で世界が崩れ落ちた瞬間、私の中でそれまで考えていたような生きる意味というものが崩壊しました。代わりに浮かんだのが、『無常』という実感。そこで初めて仏教について考え始めたのです」と。

 偶然の符合とは言い切れない何かを感じました。想像を絶する天災(そして原発事故)が日本を襲い、多くの命が失われ、先の見えない不安に日本社会全体が恐れおののくという事態の中で、仏教に何ができるかを問う特集の意味を改めて考えざるを得ませんでした。同時に、おそらく1年後にはこの震災に関連する特集を何かやることになるだろう、とも感じていました。阪神・淡路大震災が多くの人たちの生き方、考え方に根本的な影響を与えたように、今回の震災は後世から見ても日本人全体にとっての分岐点になるに違いない、と思われたからです。

 その時、補助線として頭に浮かんだのが、「東北」という言葉でした。私自身、この名称で呼ばれる地域にはずいぶん旅したつもりでした。よく知っている土地だと思っていました。しかし、「東北」のいったい何を見ていたのだろうか? そもそも「東北」とはいかなる土地であるのか? 大きな疑問がわいてきました。

 震災後の風景の中で見た東北の人々の表情やふるまい、言葉遣いの奥底には、あの地に脈々と受け継がれてきた歴史、文化、民俗の流れを感じました。被災地の光景の背後には、これまでしかとは捉えられなかった「見えない東北」の輪郭がほのかに感じられました。それらについて新たな言葉を見出すことはできないか。さらに言えばそれらを通じて「日本人というもの」について確かな知見を得ることはできないか――。

 1年を経て、いま「東北」をめぐる特集は、また編集の最終段階を迎えました。今回の特集では池澤夏樹さんに基調となる長篇エッセイをお願いしています。震災からちょうど半年後に刊行された『春を恨んだりはしない』(中央公論新社)の中で、池澤さんはこう明記していました。

〈あの時に感じたことが本物である。風化した後の今の印象でものを考えてはならない〉〈背景には死者たちがいる。そこに何度でも立ち返らなければならないと思う〉〈死は祓(はら)えない。祓おうとすべきでない〉〈これらすべてを忘れないこと。 今も、これからも、我々の背後には死者たちがいる〉

 その後も、足しげく被災地に赴いた池澤さんは、この言葉を胸に刻んでいたと思います。そして、死者たちの存在を空気の中に感じ取りながら、この地に生き続ける「東北の土地の精霊」を求めて旅を続けました。

 東北学の提唱者である赤坂憲雄さんが、「東北の村々は地震や津波、冷害やケガチ(飢饉)によってくりかえし壊滅しながら、あらたに村を起こし、さまざまな縁によって結ばれたコミュニティを再興してきたのである。東北はやさしく、寡黙で、禁欲的だ。その東北が、日本が厳しく試されている」(2011年3月23日、読売新聞)と書いた、東北の魂――すなわち、この地のそこ、ここに遍在する「生きている死者たち」との対話の試みです。

 文中には、先の『春を恨んだりはしない』の写真を撮影した鷲尾和彦さんに、今回も作品を寄せてもらいました。東北の、主として海岸線沿いを継続的に撮影してきた作品は、近く私家版の写真集『遠い水平線』として刊行されます。その「あとがき」に、こうありました。

〈記憶することは、決して過去をその場に押し止めることではない。今は見えないその存在が動き続けていると感じることだ。そのとき、未来は不確かなものではなく、生き続ける過去が積み重なることでつくられる確かなものだと実感する。記憶することは、未来を呼び寄せることなのかもしれない。…… 記録すること、記憶すること。見えるものだけでなく、見えない存在を、まだ見ぬ存在を想像しようとすること。それはささやかなことかもしれない。しかし誰もができることでもある。僕はそんな小さな営みが重なりあうことで生まれてくる力を信じたい。 その向こうに、遠い水平線はきっと見えてくる〉

「絆」という横のつながりだけでは欠落を補いきれない、過去から現在、未来へと縦につながる記憶の意味を、いま改めて考えさせられます。

「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)