【考える本棚】
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 井上理津子『さいごの色街 飛田』(筑摩書房)
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取材拒否、撮影禁止の街------------------------------------------------------------------------

 前回、東京スカイツリーのことを書きました。隅田川のほとりに聳えるこのタワーは、松尾芭蕉の『奥の細道』の足どりになぞらえれば、奥州、すなわち日本のdeep north(みちのく)へのgate tower(玄関口)にあたるのではないか、と書いたところ、さまざまなコメントをいただきました。私の気持ちとしては、「3・11」後の東北から決して目をそらしてはいけない、という自戒の意味をこめたつもりでした。

 その中で、スカイツリーをかつての「浅草十二階」――1890年(明治23年)に完成し、関東大震災で崩壊した「凌雲閣」――と比較して下さる方がありました。当時としては画期的なエレベーター付き、赤レンガづくりの高層建築がお目見えしたことで、周辺がどのように賑わっていったかという内容でしたが、最後に話題にのぼったのが大阪・通天閣のことでした。最近は大型観光バスが乗り入れたり、『通天閣』という大著(酒井隆史・大阪府立大准教授、青土社)が刊行されるなど、何かと注目を集める通天閣です。

 もともとは、1912年(明治45年)に作られた興業施設「ルナパーク」の目玉として誕生。凱旋門の台座の上に、エッフェル塔を合体させたというキッチュな形態は、一躍大阪のシンボルとなりました。その後、戦争中の火事で一部が焼失し、鉄の供出のために解体の憂き目に遭いますが、1956年(昭和31年)、近隣市民らの拠金によって再建されたことは、多くの大阪人の誇りとするところです。その一帯に栄えてきたのが、ジャンジャン横丁など、庶民的な繁華街として知られる「新世界」でした。「ベタなミナミよりももっとベタな」コテコテの浪速、言いかえれば大阪のdeep southは通天閣の足元だ、というのがこの話のオチでした。

 それで本書のことを思い出しました。新世界とは微妙に場所がずれますが、通天閣の500メートルほど南に位置する飛田新地は、遊郭の面影をいまだに色濃くとどめる「さいごの色街」と言われます。天王寺動物園(1915年開業)に遅れることわずか。1918年(大正7年)に開かれた飛田遊郭が、戦後は「大阪随一の赤線」となり、また1958年の売春防止法の完全施行後は、「女郎屋のオヤジとはいえ、れっきとした大阪商人」の知恵の限りを尽くしたド根性で、いまなお昔と何ら変わらない商売を、大規模に、堂々と継続しているのです。そして、好奇の目にさらされながらも、まさに紅灯ゆらめく異空間として、容易にはその内側に近づけないdeepな聖域を形成しています。

 本の帯に「社会のあらゆる矛盾をのみ込む貪欲で多面的なこの街に、人はなぜ引き寄せられるのか!」とあります。いまやYouTubeなどで街の佇まいをこっそり眺める手立てもありますが、本書を開くまで飛田のイメージは、小説に描かれた過去のある時点でフリーズしていました。というのも、飛田という固有名詞を最初に聞いたのが、かつて担当した黒岩重吾さんにだったからです。黒岩さんは昭和30年代の初め、飛田に隣接する釜ヶ崎のドヤ街に移り住み、街頭でトランプ占いをしたり、キャバレーの呼び込みをしたりしながら糊口をしのいでいました。そして後に、当時の飛田を舞台にした「飛田ホテル」、「飛田残月」といった作品を書きました。一方で、本書にも紹介されているように、売防法の施行後も一向に人通りの衰えないこの町の繁盛を、「けったいな無法地帯」として作家らしくルポしています。私はそれらのこぼれ話を、時々聞いていたというわけです。

 ただ、隣の釜ヶ崎では時おり日雇い労働者の暴動が起きていました。飛田にも暴力団の影がちらつく「怖い」イメージがありました。物見遊山に出かける先でもなく、どういう店が、どういう人たちによって、どのように営まれているのか、本書を読むまで、まったく想像もつきませんでした。著者自身も、たまたま最初に足を踏み入れて、その光景の異常さに衝撃を受けたと述べています。売春防止法ができたことも、「人権」が世に存在することもいっさい知らないような町……。ところが、ある日、目からウロコが落ちるのです。

〈なんとまあ、と私は思う。今どき、こんなところに来るのは、特殊な男だと思っていたのに、そうではなかった。……ほとんどは「教育費と住宅ローンかかえています」と顔に書いたような一般サラリーマンふう。そう、普通の男たちが往来しているのが飛田なのだ〉

 ということは、自分の周囲の普通の男たちも、飛田のお客である可能性が高いということです。そこで早速ヒアリングを始めると、いろいろな飛田体験が出てきます。知るほどに、単純な善悪論だけでは片付けられない複雑な世界であることが見えてきます。そしてある日、飛田からわずかに離れたところに止まった老人ホームのものとおぼしきマイクロバスから、高齢のおじいさんたちが、杖をついてとぼとぼと「料亭」に入ってゆく姿を目にします。著者の驚きは止まりません。

 とはいえ、これほどあからさまな性の無法地帯を、なぜ女性の著者があえて取材したいと思うのか。しかも、2000年から2011年まで、足かけ12年を取材に充てているのです。どうしてそこまで深入りするのか。むしろ関心は、なぜ著者がこの町に惹かれるのか、という理由のほうに向けられます。そして、それをどのように語っているのか、ということにも。

 飛田という街は、約400メートル四方の土地に、碁盤の目のように通りが走り(それぞれに「年増通り」「妖怪通り」「年金通り」「かわい子ちゃん通り」「青春通り」といった名前で呼ばれ)、約160軒の「料亭」が立ち並んでいます。料亭の間口は2間。「にいちゃんにいちゃん」と呼びこむ曳き子のおばさんがいて、上がり框に、赤い電気に二重三重に照らし出されて、微笑む若い「おねえさん」が坐っています。客となった男が二階の小部屋でビールかジュースを飲み、女性と話をしているうちに“恋愛関係”に陥ります。恋愛は個人の自由。結果としてコトに及ぶことがあるかもしれないが、それは決して売春ではない、というのが表向きのロジックです。

 当然、こういう世界を取材することは容易ではありません。「さわらんといて」、「そっとしておいてほしいんや」というのが、飛田の人であり、飛田という町です。それをつつけばどうなるか。その“洗礼”は強烈です。曳き子のおばちゃんに、店先から声をかけようとした瞬間、

〈「うるさいわ。女の来るとこ違(ちや)うやろ、どあほ」 怒声が飛んできて、頭から塩をまかれた。 「早よ、帰らんかい」 すごまれた〉

 かと思えば、ある日、通りを歩いていると、背中にドンと重い衝撃を受けました。「な、なんだ!」と金縛りに遭ったように、体が固まります。「抱きつきスリ」でした。ところが、「たった今こういうことがあったんです」と訴えた煙草屋の奥さんは、「普通は男の人に抱きつくんやけど、このごろ不況やから、そうか女の人にも抱きついたんやね」とあっけらかんとしています。この界隈では抱きつきスリは容認されているのか、と返す言葉がありません。

 あるいは「飛田新地料理組合」に正面から取材を申し込んだ時です。しつこく電話してようやく指定された日時に出向くと、応接室に「笑顔のいっさいない男性が次々と六人入室してきてドアがパタンと」閉じられます。一瞬、背筋が寒くなります。それでも、勇気を奮って押し問答を繰り返し、組合長たちからいくつかの言葉を聞きだします。

「おたくが、飛田を本当のところはどう思ってはるのか分からへんけど、昔はともかく、今は私らはイカンことしてるんやから。書かれては困るんや」

「あのなぁ、組合はホームページも開いてへんやろ。そういうふうに、今はちゃんと気ぃつかいながら、みんな静かに商売してるわけや」

「分かってると思うけど名前はあかんで。プライバシーいうもんがある。誰の名前も絶対にあかんで。分かってるな」

 そういうやりとりをしているさなかにも、ドアの向こう側からは「誰の許可もうて、やっとんじゃ」「なめとんのか、おりゃ」「あかんちゅうたらあかんのじゃ」という怒声罵声が聞こえてきて、ドキドキさせられます。しかし、とっかかりはできました。以後、著者はたびたび組合の幹部を訪ねます。何とも天晴れなこの手法が、最初から最後まで貫かれます。

 こうして、わずかな突破口を頼りにしながら、功を焦らず、時間をかけて、なんとか内側に入ろうと、あの手この手を駆使します。地元のスナックに通ったり、取材協力を求めるビラを配ったり、知人を動員して「おねえさん」の面接試験に付き添ったり、時にはヤクザの親分とも会食に臨み、また西成警察、大阪府警に取材をしたり、区域の交番のお巡りさんには「飛田って、売春が行われているんですか」としらっと尋ねたり……。この体当たりの取材過程そのものが、本書の読みどころのひとつです。

 そして登場する人たちとまっとうに、しっかり向き合おうとする姿勢に、この本の潔さ、深さを感じます。圧巻は最後に登場する3名の人物です。経営者のママ、そこで働くある女性、飛田から放逐された元「親方」の証言ですが、その2番目の女性は、著者のインタビューを受けてから、人が「変わった」とママさんに言われます。「一人前の人間扱いをしてもらった経験、初めてやったんで、うれしかったんやろと思う。前向きに、明るく勤めてくれるようになった」と。

 その女性は22歳の時、幼い子供二人を抱えて、内縁の夫に“売られて”来ました。「おねえさん」で生きることには早々と見切りをつけ、曳き子になったという38歳。「現状満足度はゼロ%や」と言いながらも、生きていくためにここにいます。内情を知るほどに、次第に明らかとなるのは、飛田とその周辺にはびこる貧困の連鎖、最底辺の悲惨、差別といった絶望的な世界です。親の生活が破綻して、十分な保護を受けることもなく育ち、見本とすべき暮らしぶりを知らないまま、経済的な苦労は絶えず、易きに流れて飛田で働く。結果として自分の墓穴を掘り続ける――。

〈多くの「女の子」「おばちゃん」は、他の職業を選択することができないために、飛田で働いている。他の職業を選べないのは、連鎖する貧困に抗えないからだ。抗うためのベースとなる家庭教育、学校教育、社会教育が欠落した中に、育たざるを得なかった。多くは十代で親になる。親になると、わが子を、かつての自分と類似した状況下におくことになる〉

 読めば読むほどに、飛田は社会のさまざまな矛盾を呑み込み、存在すべくして存在している場所だという思いが深まります。そして、彼女たちが紛れもなく、必死で生きようとしている切実さも――。著者を引き込んだこの町の吸引力とは、そうした割り切れない現実そのものだといっていいかもしれません。だから著者は、最後にあえてこう書かざるを得ないのです。

〈本書を読んで、飛田に行ってみたいと思う読者がいたとしたら、「おやめください」と申し上げたい。客として、お金を落としに行くならいい。そうでなく、物見にならば、行ってほしくない。そこで生きざるを得ない人たちが、ある意味、一所懸命に暮らしている町だから、邪魔をしてはいけない〉

「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)