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 作家の冥利
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 司馬遼太郎さんが産経新聞(当時はサンケイ新聞)夕刊に『竜馬がゆく』の連載を始めたのは1962年(昭和37年)6月21日でした。今年でちょうど50周年を迎えます。東海道新幹線開業や東京オリンピックを2年後に控え、日本が輸出立国をめざして高度経済成長の第2期にさしかかった時代です。司馬さんの地元・大阪では、プロ野球・阪神タイガースが川上・巨人、三原・大洋と熾烈なデッドヒートを繰り広げているさ中でした(阪神はこの年、村山、小山の両投手を擁して、戦後初のリーグ優勝を果たします)。

 時に作者は38歳、2年前の1月に『梟(ふくろう)の城』で直木賞を受賞したばかりでした。この受賞の知らせを受けた際に、司馬さんは産経新聞大阪本社の文化部長に就任して5日目でした。翌朝の新聞に掲載される受賞者の横顔は、なんと自分が「万年筆をとって、原稿用紙に向かった」(産経新聞社『新聞記者 司馬遼太郎』扶桑社文庫)というのです。直木賞の長い歴史の中でも、受賞者のプロフィールを本人が書いたのは、おそらく司馬さんの他にはないはずです。

〈小説より歴史がすき、歴史よりも新聞記者がすき、新聞記者よりもあそぶのがすきという新聞記者歴十三年で現在産経新聞(大阪本社)文化部長をしている。……青年のころ司馬遷の『史記』をよんではじめて人生を見たという。ちなみにペンネームの由来は「司馬よりも遼(はるかに遠い)」という所からつけた。ただし司馬遷の悲劇的な運命まではあやかりたくないそうだ。本名福田定一。三十六歳〉

 翌年、出版局次長を最後に産経新聞社を退社し、筆一本の生活に入ります。すると、ほどなくして“古巣”から連載小説執筆の声がかかります。当時、新聞小説は販売部数に直結する最大の売り物でした。「財界四天王」と呼ばれた水野成夫産経新聞社長が、知り合いの財界人に次の小説は誰がいいか、と尋ねたところ、「キミのところにいるじゃないか」と司馬さんの名前が挙がり、早速、退社して間もない司馬さんを呼んで、執筆を依頼したのだと言われています。

『新聞記者 司馬遼太郎』によれば、水野社長は破格と思われる月額100万円の原稿料を提示し(当時は月30万円が相場だったとか)、あまりの高額に司馬さんが「多すぎる。半分でけっこうです」と辞退しようとすると、「それなら、いるだけとって、あとは捨てるなりなんなりしたらいい」と言ったとかいう、有名なエピソードが残っています。司馬さんは次の作品を書くための資料の購入代に充てたとされます。

 さて、その連載小説の「テーマは?」と聞くと、「まだや」という司馬さん。やりとりをしていた産経新聞の後輩記者は高知の出身者でした。とっさに郷土のヒーローを思い浮かべ、「そんなら龍馬がええ」と持ちかけましたが、司馬さんは「あかん」、「時代小説は100年たたなあかん。縁者が生きているし、第一、史実が生乾きや」と答えて、首を縦には振らなかったそうです。ただ、気にはかかっていたようで、神田の古書店から取り寄せた資料を読むうちに、「こんな面白い奴もちょっと少ない」という気持ちになって、それが翌年からの連載に結実しました(「鹿間孝一のなにわ逍遙」、msn.産経ニュースwest2012年6月14日)。

 いまでこそ、日本人の好きな歴史上の人物の筆頭格に挙げられる龍馬ですが、当時、全国的にはまだ無名に近い存在でした。ところが連載開始とともに、この幕末の風雲児の物語はたちまち人気を博し、連載中から順次、単行本化されていきます(全5巻、文藝春秋。連載完結は4年後の1966年5月19日)。

 その後は、1968年に明治100周年を記念したNHKの大河ドラマになるなど、俄然、幕末・維新の最も魅力的なヒーローとして、いまに続く竜馬ブームが巻き起こります。1975年に文庫化され、また愛蔵版や新装版なども刊行され、今年5月末現在で累計2423万4000部を超えるロング&ベストセラーになっています。これだけ時代を超えて愛される作品だけに、『竜馬がゆく』をめぐる興味深いエピソードにも限りがありません。

 一例を挙げれば、まず題名です。なぜ「龍馬」ではなく、略字の「竜馬」になったかといういきさつ。これに関しては、連載担当記者が伝える司馬発言として、「僕は学者じゃなくて小説家だろ。この小説は僕の竜馬だし、自由な竜馬を書くんや。龍馬のほうは平尾道雄先生(龍馬研究の第一人者)をはじめとする方々にお任せすればええ」というのが定説化しています。ただ、私が先輩編集者から聞いた話としては、「『龍』の字がゴチャゴチャしていて、司馬さんは『竜』の字のほうが好みだった」という、みどり夫人の発言があるようです。いまと違って、手書きで原稿用紙の升目を埋めていた時代ですから、主人公の名前の画数は少ないほうが好都合に違いありません。こういう合理精神も「竜馬」らしくて面白いと思います。

 また、「ゆく」という動詞が使われている点も新鮮です。吉川英治『宮本武蔵』、山岡荘八『徳川家康』、海音寺潮五郎『西郷隆盛』、大佛次郎『鞍馬天狗』、井上靖『おろしや国酔夢譚』……時代小説だけでなく、その頃の小説全般を眺めても、安部公房『砂の女』、川端康成『古都』、水上勉『飢餓海峡』など、小説の題名は体言止めがほとんどでした。斬新な思い切ったタイトルは、「自由人」竜馬の颯爽とした姿をシンボリックにあらわし、またその後の「街道をゆく」にもつながる司馬さんの思考のスタイルをはっきりと打ち出しています。

〈坂本竜馬は維新史の奇蹟、といわれる。…… 竜馬だけが、型破りである。……「薩長連合、大政奉還、あれァ、ぜんぶ竜馬一人がやったことさ」 と、勝海舟がいった。 むろん、歴史とはそんなものではない。竜馬ひとりでやれるはずがないのだが、竜馬がいなかったら、事態の模様はちがったものになっていたろう。 その竜馬のもっているどの部分が、それをやったのか。…… さらに、そういう竜馬の人間像が、どのようにしてできあがってゆき、まわりのひとはそれをどのようにみたか。…… 竜馬は、生きている。われわれの歴史のあるかぎり、竜馬は生きつづけるだろう。私はそれを感じている自分の気持を書く。冥利というべきである〉(『竜馬がゆく 立志篇』あとがき)

 ところで、『竜馬がゆく』に登場する女性たち――龍馬の妻となった楢崎龍(おりょう)、江戸での婚約者である千葉佐那、創作上の人物として登場する土佐24万石の家老の妹お田鶴(龍馬の初恋の相手、平井加尾を脚色)など――は、それぞれに魅力的であり、竜馬を英雄の座に導いていく重要な役割を果たします。

 もちろん龍馬の3歳年上の三姉・乙女は、連載の初回から「坂本の仁王様」として登場する、龍馬にとって「天下第一の大荒くれ先生」であり、よく知られる通り、彼女宛ての龍馬書簡18通は、彼の人柄を知る上でも貴重な資料となっています。

 それに比して、龍馬の人生にとってある決定的な役割を果たしたにもかかわらず、謎につつまれているのが、次姉の栄です。出生の年月日も定かでないとされ、「高知の郷土史研究家たちによれば、お栄は坂本家内外のほんの一握りの人びとが、口伝によってのみ知る存在であった」(本間後掲書)とされています。しかし、『竜馬がゆく』を読んだ人にとって、自らの命と引きかえに龍馬を世に送り出したお栄の存在は忘れられるものではありません。それだけに、お栄の劇的生涯について明らかにした労作『栄女記』(中野文枝、泰樹社)のことを、本間千枝子さんの『セピア色の昭和』(岩波書店)で知った時は衝撃を受けました。

 脱藩を決意し、その準備を始めた竜馬でしたが、脱藩者を出したとなれば坂本家そのものが罪に問われ、累は親類縁者にも及びます。不穏な気配を察した兄たちは、刀箪笥に錠をおろすなどして警戒の目を光らせたため、竜馬は業物(わざもの)の刀が手に入らず苦慮していました。その時、11歳ほど年が離れ、これまで姉弟としての触れ合いのほとんどなかったこの次姉が、婚家から「離縁」になって実家に戻った際に、前夫から形見として授けられていた護身用の刀「陸奥守吉行」をひそかに弟に与えます。

 そして、「女の私の箪笥の中に眠っているより、竜になって飛びたつ竜馬どのの腰間にあるほうが、どれだけ似つかわしいかわかりません」と、この刀を弟に託し、志を遂げるように励まして送り出すのです。「これが、お栄の不幸になった」と物語は続きますが、さらに詳しい内情を本間さんの本を通して知ることになりました。

〈脱藩は死罪であった。お栄は龍馬が何ごともなく目的を果たしたであろう時間が過ぎるのを待ち夜のうちに自害した。そして坂本家では夜明け前、極秘裏に亡骸を丹中山(たんちやま)の墓地深く埋めてお栄の存在を消し去った。 口伝によるお栄の自害から百六年を経た昭和四十三年、龍馬百年祭にあたって坂本家裔族の間では丹中山墓地を整備する話がもち上った。一月はじめから工事は進められたが、お栄の遺骸は一月二十一日、親類縁者が集まって発掘にとりかかったものの、地下二メートル掘り下げても瓦のほかは何も出て来なかった。一同は解散した。 ところが諦めきれなかった郷土史家三人のうち政宗光清氏が残り、それまでに百基の墓を掘ってきたというベテランにさらに一メートルちかく掘り下げてもらったところで、お栄の遺骸は明け方ちかく出土したのだった。「まず土に混って腐った木片が出て」、それに女性の象徴ともいえる生え際の頭髪がびっしりと付着していたという〉

 この発掘のいきさつが『栄女記』には如実に描かれているそうで、「私はこの書を読むたびに歴史の発掘に果たす口伝の役割の意外な重さを思い襟元を正す。そこには光景を想像するだけで慄然と伝わる鬼気迫る雰囲気があり、これが死者の語る真実なのだろうかと思う」と本間さんは記しています。わざわいが一族に及ぶのを恐れ、責任をすべて一身に引き取って果てたお栄ですが、「その役割の重みゆえにこそ、坂本家から存在の痕跡までも抹殺されていなければならなかった」というのです。

 ところがその後また、お栄をめぐっては別の説が出ているようです。嫁ぎ先の墓地にお栄の墓が存在することが分かり、その墓碑によれば龍馬脱藩の17年前に彼女は死亡していたというのです。すると、龍馬に刀を渡したのは、やはり離縁となって実家に戻っていた乙女だったのではないか――とか、こうなると真相はよく分かりません。ただ、竜馬という「これほどあかるく、これほど陽気で、これほどひとに好かれた人物もすくなかった」ふしぎな青年を、歴史の転換のヒノキ舞台に送り出すためには、こういう犠牲的な陰の存在がいても不思議ではない、と思わせるところに、この小説(竜馬)の変わらない魅力を感じます。

「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)