小津映画を空腹のときに観るのはおすすめできません。なんといっても、ラブシーンより食事シーンが圧倒的に多く、おいしそうなものが山のように出てくるのですから。

 マスターピースの名も高い、通称「紀子三部作」の、飲食のシーンの豪快さは驚くばかり。まず『麦秋』の紀子は、朝ごはんのスピードといい、夜、おやつに食べるケーキの大ぶりさといい、かなりの健啖家です。彼女は縁談で兄ともめたあと、夜食にお茶漬けを食べるのですが、これもまた“がっつく”と表現したくなる勢いで、お嬢様女優のイメージだった原節子が、よくここまでやったものだと思います。

『東京物語』の紀子は亡き夫の両親を自室へ招いたおり、冷酒と店屋物(どんぶりの柄からみて天丼らしく思われる)という、意表をついたもてなしをします。夫を失い、一人暮らしの職業婦人である紀子の生活を描く計算された演出でしょうが、いっそ男らしくさえあるどんぶり物の食欲に訴えることといったら。『晩春』の紀子は、父親の再婚話へのいらだちを、「ごはんでも食べて帰ろうか」という父を置き去りにすることであらわにします。小津映画の中で、人はいつも「愛情」と「食べること」とをからめているように思えます。

 小津安二郎その人も、まぎれもなく健啖家でした。彼が遺した日記や「グルメ手帖」、家族や知人の証言からは、うなぎ、天婦羅、とんかつ、すし、焼き鳥など、職人がつくるシンプルなものを、好きな店に通いつめて、まわりをあきれさせたことがうかがえます。食通というよりは、やっぱり「食いしん坊」と親愛をこめて呼びたい気がします。
 自分の映画づくりを「ぼくは豆腐屋だから豆腐しかつくれない」と語り、敬愛する里見弴の文章を滋味ゆたかな食べ物にたとえたり、人生の大事なところに「食べもの」があったんだなあ、と納得させられます。

 長い脚本づくりの期間には自炊もして、料理の腕をふるった小津さん。カレー味のすき焼きや、缶詰でつくる煮込みなど、味の想像がつかないオリジナル料理もありますが、夜食の定番だったという「燻製の鮭のお茶漬け」の概要を義妹の小津ハマさんに教わってつくると、予想をはるかに超えた美味でした。特集の本文に、その簡単きわまりないレシピと出来上がりを掲載しました。
 試してみる価値あり、のお茶漬けの味です。