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 サウンド・オブ・ベースボール
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 今年の東京国際映画祭(TIFF)の公式クロージング作品は、クリント・イーストウッド主演の「人生の特等席」でした。昨年が、ブラッド・ピット主演の「マネー・ボール」でしたから、2年続きでアメリカ野球を描いた作品が選ばれることになりました。

「マネー・ボール」は同名のノンフィクション作品(マイケル・ルイス、ランダムハウス講談社)を映画化したもの。メジャーリーグの貧乏球団オークランド・アスレチックスのGM(ゼネラル・マネージャー)であるビリー・ビーンが、セイバーメトリクスと呼ばれるデータ重視の科学的なアプローチで、チームを成功に導く過程をつぶさに描いた物語です。

 野球の世界を扱ったノンフィクションには、ジョージ・ウィルの『野球術』(文春文庫)などの傑作がありますが、この作品もそれらに連なる無類の知的エンタテインメントです。大の野球好きだった丸谷才一さんが手放しの絶賛をしたほどです。

〈野球の試合は多いけれど、見巧者が楽しめる試合は滅多にない。ちようど読み巧者を唸らせる野球本が極めて稀なのと同じやうに。『マネー・ボール』はその例外的な、といふよりもむしろ奇蹟的な本である。多分これはかなり多くの優秀な読者によつて、最高の野球ノン・フィクションと認められるはずのものだ。第一に題材がすばらしい。第二に書き方がうまい〉(毎日新聞、2004年5月9日)

 物語の中心人物であるビリー・ビーンが野球界に持ち込んだ思考法は革命的でした。たとえば、それまでの常識であれば野手の「走・攻・守」をはかる指標としては、打点や得点圏打率、犠打や盗塁数などが重視されてきました。ところが、ビーンはそれらを排し、OPS(出塁率プラス長打率)、選球眼などに重きを置いた評価システムを導入します。犠打は無駄死にすぎない、盗塁は自殺行為に近い――など、それまで誰もが信じて疑わなかった野球のセオリーや約束事を、新しい光のもとで粉々に打ち砕いてしまったのです。

 これによって、選手の評価基準はもとより、チームの戦術、編成、球団の経営方針までが一変しました。優秀な選手は根こそぎ金持ち球団にかっさらわれるという「マネー・ゲーム」の時代に、貧乏球団がどうやって生き延びるか。この「不公平なゲームに勝利する技術」を徹底的に追求したのが、ビリー・ビーンでした。その結果、球団の年俸総額はヤンキースの3分の1であるのに、成績はほぼ同等という目覚しい成果がもたらされます。

 この奇跡のチームを作った実在の人物を、映画で演じたのがブラッド・ピットでした。そして、彼の引き立て役として対置されたのが、この道何十年というベテランのスカウトたちです。彼らはお定まりの野球観でしか発想できない、旧弊な石頭集団として描かれます。ビーンと彼らの間には、決して乗り越えられない深い溝が横たわっていました。

 さて、イーストウッドの映画です。彼が演じる主人公は、石頭どころか、それに輪をかけた頑固者です。新世代からは「老いぼれ」の烙印を押されかけている超ベテランのスカウトです。過去に何人もの逸材を発掘し、メジャーリーグ最高の目利きとされた彼ですが、この時代にコンピュータをいっさい使わず、昔ながらのやり方を貫く姿勢には、データ重視の若手たちから「過去の遺物」だと言わんばかりの冷笑が浴びせられます。

 球団との契約更改まで、あと3ヶ月。次のドラフト会議が彼の最後のチャンスとなることは、ほぼ既定の路線と思われていました。その上に、健康問題がありました。視力が急速に衰えてきたのです。将来の有望選手を自分の眼力にかけて探し出すのが仕事ですから、致命的なハンディとなりかねません。

 ところが、この老スカウトはとにかく頑固です。人の助言などに少しも耳を貸そうとしません。苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、物にも人にも当り散らすばかり。強情で、不機嫌で、悪態をつきながら時流に背を背けている姿は、イーストウッドのこの前の主演作「グラン・トリノ」(2008年)の老主人公と同様です。

 偏屈で、世の中からはみ出した孤高のヒーローは、イーストウッドがこれまで一貫して演じ続けてきた男の典型です。いつも額に縦じわを寄せ、目を細めて感情を押し殺し、容易に人を近づけない。しかし、そのクールな外面に隠されているのは、他人に対する優しさであり、誰よりも傷つきやすい心なのだ――というのが、彼の定番の魅力です。この映画でも、それに安心して身を任せられるところが、イーストウッドの偉大なるゆえんです。

 それにしても、今年でオン年82歳。実年齢では老スカウトよりもさらに上をいきますが、「これが目を見張るほど素晴らしい」と、映画評論家の山根貞男さんは評します。

〈イーストウッドは顔や首のしわを隠そうともせず、室内でも野外でも、視力の衰えゆえ、あちらこちらにぶつかる無様な主人公を演じて、老いをさらけ出す。にもかかわらず、いや、だからこそ、カッコいい。目新しさで見せる映画ではないが、イーストウッドの颯爽たる老いの姿は必見に値する〉(朝日新聞、2012年11月16日夕刊)

 老いの影が前面に押し出されているだけに、メジャーリーグのスカウトとは、つくづくタフな仕事だということもよく伝わります。全米各地に足を運び、高校や大学、小さなファーム・チームを訪ねて、試合を実際に見てまわるのです。一年のうちの大半は安モーテルを泊り歩く生活です。そして目をつけた選手の実力を見きわめ、弱点をチェックし、プロとしての将来性を評価した上で、球団に報告を上げるのです。その中には、選手の思考、性格、家庭環境、プロ選手としての適性などもしっかり分析されていなければなりません。

 ともかく巨額の契約金に直結するわけですから、きわめて責任の大きな仕事です。スカウトの才能そのものが、常に厳しい査定にさらされているといっても過言ではないでしょう。しかし、脚光を浴びることはまずありません。あくまで裏方に徹した、地を這うような仕事です。

 イーストウッドが演じる主人公は、それを何十年も繰り返してきたプロ中のプロです。ただし、そのための代償も支払わなくてはなりませんでした。若くして妻を喪った彼に残された一人娘との関係です。大打者ミッキー・マントルにちなんでミッキーと名づけられたこの娘と、愛情を示すのが人一倍苦手な父親とが、お互いの心の壁をどうやって乗り越えていくのか――これが最大のテーマです。

 原題は“Trouble with the Curve”とあります。ドラフトの目玉となる高校生スラッガーの弱点を、主人公が鋭く見抜くところから取られています。「カーブに難あり」というわけです。ただ、このカーブは人生の曲がり角も意味しています。主人公にとってはスカウト人生で最大の岐路。一人娘もまた、弁護士としてまたとない昇進のチャンスを前にしています。他の登場人物たちもそれぞれの曲がり角にさしかかり、決断の時が迫っています。それらの人生模様を描き分けながら、最後にまとめ上げていく力技は、「できすぎた話だ」といえばその通りですが、この作品の主調低音にそった流れであることも確かです。

 それはひと言でいえば、古きよきアメリカへの招待です。この作品でもっとも感動的な場面は、失意に沈んでいた娘が、ふと屋外から聞こえてくるキャッチャーミットのたてる音に耳をそばだてる瞬間です。彼女の足がその音のする方向へと向かっていきます。

 幼い頃、父に連れられて一緒に野球を見て回っていた彼女は、実は父親譲りの“野球通”に育っていました。彼女は、庭先で投球練習をしていた少年のボールを、自分で実際に受けてみます。重い速球。そして鋭く曲がり落ちるカーブ。彼女のキャッチャーミットが心地よい音を響かせます。

 この時のミッキーの仕草が実に堂に入っていて、思い浮べたのは西部劇の懐かしさです。テキサスの荒くれ娘がライフルを構えるシーンを、こうやってたくさん見てきたような、そんな気分にさせられます。彼女がバットを見事に振り切るシーンも、また二塁ベースを回ったところで側転をしてみせる場面も同様です。古きよきアメリカの味わいとは、こういうものだと思わせられます。

 舞台となっているのは、ジョージア州アトランタ。チームは、もちろんアトランタ・ブレーブスです。ノース・カロライナだという南部の秋の風景も穏やかです。カントリー・ミュージックに、酒場の喧騒。そしてアメリカの神話そのものである野球の世界。古きよきアメリカの中に、物語がゆっくり展開していきます。そして、主人公が亡き妻の思い出とともに口ずさむのは「ユー・アー・マイ・サンシャイン」のメロディーです。

 You are my sunshine, My only sunshine. You make me happy When skies are grey. You'll never know, dear, How much I love you. Please don't take my sunshine away.

 この曲を歌ったジミー・デイビスは、後にルイジアナ州知事に立候補し、その際にはバンドを引き連れて、選挙活動でこの曲を歌いまくったといいます。二度、州知事に就任し、勇退したのは1964年ですが、この歌は1979年にルイジアナ州歌に指定されました(*)。

 主人公がこの曲を口ずさみながら、妻の墓前に坐ってビールを飲む場面が現われます。墓標を見ると、1945年生まれ、没年が1984年になっています(ちょうどミッキーが誕生した頃に「ユー・アー・マイ・サンシャイン」がルイジアナ州歌に決まったことになります)。おそらく妻の死とともに、主人公の胸の振り子は止まってしまって、そこから娘との距離も次第に広がっていったのでしょう。

 しかし、この歌がまたふたりの間をつなぎます。そして何よりも、野球への愛情が知らない間に、父から娘へと受け継がれていました。後半の決め手は「純粋な音(ピュア・サウンド)」という言葉です。視力の衰えた主人公が頼りとするのは、打者がボールをミートした時の音、ピッチャーの投げ込んだ球がキャッチャーミットに吸い込まれる音です。それがふたりをまたつなぎます。庭先から聞こえるピュア・サウンドに鋭く反応した娘によって、物語は大きく動きます。

「マネー・ボール」は新旧世代間の溝を浮かび上がらせました。それと対照的に、この作品が伝えようとしたのはピュア・サウンドの普遍性でした。それに対する信頼でした。ピュア・サウンドに耳を澄ませば、世代を超えて何かが伝わる。

 時流に媚びない主人公の「颯爽たる」姿のゆえんは、この「サウンド・オブ・ベースボール」への揺るぎない信頼に他なりません。

「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)