レンタルヴィデオ・DVDの店に行くと、邦画で最も多いのはやはり黒澤明監督の作品。この天才監督の主な活躍の時期は戦後で、晩年まで撮り続けたということもあり、一般的な人気でいえば小津監督に勝るかもしれません。ところが関連書になると、小津安二郎が他を圧して一番です。この順位はとうぶんの間、変わることがないでしょう。

 小津安二郎という人物の深奥に触れたいと思い定めたものの、没後43年という現在では、監督の謦咳に接した人々は数えるほどになってしまいました。作品と文字に残されたものだけでは、リアルな人間像にたどり着けないな、とふつうはあきらめるところです。しかし、小津安二郎の関連書は、ちょっと違いました。

 まず、新聞や雑誌に掲載された発言・対談が、ほぼ網羅された書籍『小津安二郎全発言 1933~1945』(泰流社)、『小津安二郎戦後語録集成 昭和21(1946)年―昭和38(1963)年』(フィルムアート社)があります。
 そして現存する日記を編纂した『全日記 小津安二郎』(フィルムアート社)、その後発表された戦場での日記を収録した『小津安二郎と戦争』(みすず書房)。これらはすべて田中眞澄という評論家によって編纂されたものです。また、松阪の大火で焼け残った土蔵から安二郎の旧制中学時代の日記が発見され、当時夢中だったハリウッド女優のファンレターの住所録などとともに中村博男『若き日の小津安二郎』(キネマ旬報社)に抄録されています。当時の級友たちに送った手紙は私家版の冊子『小津安二郎君の手紙』にまとめられました。かぎりなく愛された人ゆえに、個人資料は委細もらさず保管され、丹念に編纂され、小津が生きた時代、出会った人々、出来事が、彼自身の言葉で遺されているのです。

 ほかの証言集(井上和男による『小津安二郎─人と仕事─』(蛮友社)が質量ともに圧巻)、優れた評伝、映画論の数々を目が覚めるような喜びをもって読み味わいながらも、私たちはいつも小津さんの日記にもどってしまいました。生意気で才能にあふれた少年時代の安二郎、意欲と焦燥に揺れながら、したたかに生活を謳歌する青年監督・小津。地獄のような戦場のすべてを見つめる一兵卒としての小津。──全編にちりばめられた食べもの、金銭、恋人の名前、家族への思い、交友の、坦々とした記録から、磊落にみえて細やかな明治生まれの男の素顔が浮かび上がってくる思いがしました。いわば小津さんの日記が、『考える人』小津特集の底本なのです。

 実は、中学時代(大正十年)の日記に安二郎のこんな記述があります──「日記は余りに感心しない。後世に至り前世がわかる。そんなつまらないものがあろうか」。また、前にご紹介したように、日中戦争の折の「陣中日誌」には“禁公開”と大書されています。インタビューに登場していただいた山内玲子さんは、何年にもわたり親しく接した方ですが、「小津さんは自分を作る。……だから、亡くなって、柩の中に、死後のびた髯にドライアイスの霜がついているのを見た時、ああ、見られたくない顔だったろうにという思いで胸が痛かった。こんど日記が公開されるについても同じ思いが去来する」と、『全日記』の栞に綴っています。シャイで誇り高く、素顔を見せたがらなかった小津さん。発表されたものだから、敬愛をもって読むのだから、と言い訳しつつも、本人が秘めていた胸のうちをのぞき見るような、うしろめたい思いにかられたものです。

 2007年冬号の巻末「編集部の手帖」の末尾に、参考にさせていただいた文献およそ40冊を記しました(新刊書店に並んでいるのは半分ほどですが、古書店やインターネットを通じて入手が可能です)。特集は終わったものの処分するにしのびず、資料棚の一角をふさぐこの宝の山のゆくえに、ひそかに悩んでいます。