【考える本棚】
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 オスカー・ワイルド『幸福の王子』(バジリコ)
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

この町で一番尊いもの------------------------------------------------------------------------

 雪の降る厳しい寒さの夜になると、決まって思い出す物語があります。アンデルセンの「マッチ売りの少女」や、ワイルドの「幸福な王子」といった童話です。小さい頃に、いずれも紙芝居で見た思い出があります。アニメではなくて、紙芝居。テレビがまだ物珍しい時代で、これを「電気紙芝居」と呼ぶ人さえいた「ALWAYS三丁目の夕日」――昭和30年代半ばの話です。

 その懐かしい作品を曽野綾子さんが新たに翻訳したという新聞広告を見て、矢も盾もたまらず読みたくなりました。手にすると、本自体は2006年に刊行されていて、私の求めたものはすでに5刷になっていました。この物語の愛読者の広がりを感じないわけにはいきません。

 あらすじはよく知られている通りです。ある町に「幸福の王子」の像が立っていました。全身が金箔におおわれ、眼は二つの光り輝くサファイアで、刀の柄には赤いルビーがほどこされた美しい像でした。そこに一羽の小さなツバメが飛んできます。冬を避け、暖かなエジプトにすでに旅立った仲間たちを追いかけている途次でした。ツバメは王子の足元に降り立ち、一夜を過すことにします。ところが、上から一滴、二滴と「雨」が落ちてきます。それは、王子の涙でした。

 悲しみに頬を濡らした王子はツバメに頼みごとをします。「かわいいつばめ君。私のために、ここに一晩いて、お使いをしてくれないか。貧しいお針子の母と病気の男の子のために、刀のルビーを届けてくれないか」と。ツバメはルビーを嘴にくわえて、それを母子のもとへ運びます。

 翌日、エジプトに旅立とうとしたツバメを王子は引き止めます。寒さに震え、空腹で気を失いそうになっている若者のところへ、自分の眼のサファイアを抜き取って届けてくれないか、と。さらに、役目を果して戻って来たツバメに、王子はこう命じます。「下の広場にいるマッチ売りの哀れな娘に、私のもうひとつの眼をえぐり出して、やってくれないか」――。

 こうして王子は哀れな姿になりました。ツバメは言います。

「あなたはもう何も見えない。だから私はあなたといっしょに、ずっとここにいます」「それはいけない、つばめ君。君はエジプトへ行かなくちゃいけない」「私はずっとおそばにいますよ」

 王子はさらに、自分の全身をおおっている金箔を一枚ずつはがして、貧しい人たちに配るように言いつけます。やがて雪が降り、続いて寒波が襲ってきます。ツバメは死期が迫ってきたことを悟ります。最後の力をふりしぼって王子の肩まで飛び上がり、小さい声で語りかけます。

「王子さん、さようなら。あなたの手にキスしてもいいですか」「つばめ君、とうとうエジプトへ行くことになってよかったね。君はここに長くいすぎたもの。でも君が好きだから、キスするなら、唇にしてくれないか」「僕が行くのはエジプトじゃないんです。死の家に行くんですよ。死というのは、眠りの兄弟ですよね。違いますか?」

 こうして、ツバメは王子の足元に落ちて死んでいきます。するとその時、王子の鉛の心臓がぴしっという音をたてて、ふたつに割れます。翌朝、すっかりみすぼらしくなった王子の像は、心ない市長たちによって引き下ろされ、炉に入れて溶かされます。けれども、不思議なことに割れた王子の心臓だけは、炉の中でも溶けません。鉛の心臓はツバメの死骸とともに、ゴミの山に放置されます。

「この町で、一番尊いものを二つ持ってきなさい」――天上の神様が天使の一人にそう告げます。天使が割れた心臓とツバメの死骸を持ち帰ると、神様は言いました。

「お前はいいものを選んだ。私の天国の庭では、このつばめは永遠に歌い続けるだろうし、私の黄金の町で『幸福の王子』は、ずっと私と共にいるだろう」

 小さい頃に見た紙芝居では、これが何場面に分かれていたか覚えていませんが、本書には建石修志氏の挿画が14点収められています。タイトルは「幸福の王子」ですが、本の表紙を飾っているのは、主人公であるツバメです。物語の進展とともに変わりゆくツバメの表情が悲しみを誘います。

 自己犠牲をも厭わない無償の人間愛の物語として、いまなお胸に迫ります。ただ、今回改めてフルテキストを読んでみると、意外な発見がいくつかありました。まずこのツバメがオスだということ。記憶の中ではすっかりメスとして定着していたので驚きました。

 加えて、このツバメが最初はやや軽い印象で登場することです。エジプトに飛び立った仲間たちから6週間も出発が遅れてしまったのは、川辺の美しい葦に恋をしていたからでした。「つばめは葦のほっそりした腰に夢中になって」いたのです。「あんなに夢中になるなんて、ばかばかしいったらありゃしない」と他のツバメたちが冷笑しているにもかかわらず――。

 しかし、やがて仲間が皆飛び去って、誰もいなくなるとツバメは寂しくなり、恋人にも飽きてきます。彼女は口もきかないし、いつも風を相手にしなしなしているだけではありませんか。エジプトにともに行くこともできない彼女とは、ついに別れるほかないと悟るのです。

 王子と出会った瞬間、ツバメは月の光を浴びて黄金の頬に涙を伝わせる、その美しさに同情を催します。使いを頼まれると、王子の姿がとても悲しげなので、気の毒になって引き受けます。しかし、次々と役目を果たしていくうちに、彼は自分でも気づいていなかった心の奥の秘められた感情――受難をともにすることへの情熱を自覚していきます。そして王子との絆をいよいよ深めていくのです。

 王子とツバメの関係に着目すれば、こんな切ない悲恋の話だったとは、まったくこれまで気づきませんでした。ワイルドがこの作品を34歳の時に刊行し、自作を息子に読み聞かせながら、「このお話は子供のためじゃないんだ。子供のような心を持った十八歳から八十歳の人たちのためなんだ」と語っていたことの含意を想像してしまいます。彼が後に同性愛の罪で投獄されたことは知られていますが、そんな事実との照応以上に、より深い「詩と小説と哲学」が読み取れることに思い至ります。王子とツバメがともに結ばれるのは、その命をかけた博愛と献身の姿においてです。

〈私たちは現代の生活でしきりに同感や連帯を口にするが、現実に命を捧げるということまではほとんどしない。考えもしない。幸福の王子とつばめはその愛の本来の厳しい姿を完成した。誰にも知られず、誰にも感謝されずにであった。 だから天使が神から「この町で一番尊いものを持ってくるように」と命じられた時、天使は、命をかけた愛とその真の意味での同情者を選んだ〉(曽野綾子「あとがき」)

 曽野さんはさらに、「どの作家にも、この一作を書き終えたら死んでもいい、と思う作品があるはずである。もし私がオスカー・ワイルドなら『幸福の王子』はその作品だ」と言います。そして、「もし一人の人間が生涯でたった一冊しか本を読まなくなり、それも聖書のような或いはドストエフスキーのような重く長い作品は読めないということになったら、その時、そのたった一冊に選ぶのは、私なら『幸福の王子』だ」と。

 いろいろな解釈がほどこせる余韻をとどめながら、物語はあくまで平明、簡潔で、鮮烈さと繊細さ、華麗さと陰影を備えています。そんな作品を、なぜいま急に読みたくなったのだろうかと、本を閉じて、寒い新年の夜にふと思いました。

「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)