【考える本棚】
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 船橋洋一『カウントダウン・メルトダウン』(上下、文藝春秋)
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その時、日米同盟は
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「旧著再読」を基調にしてきたこのメールマガジンですが、今回ばかりは例外を設けることにしました。1月28日に店頭に並んだばかりの新刊を早速取り上げてみたいと思います。

 というのも、東日本大震災の発生から早2年が経とうとしているいまも、喉に刺さった小骨のように、気になることがあるからです。「有事モード」の緊迫感が次第に薄らぎ、「日常モード」が当り前になったいまでもなお、ふと感じる不安や怖れ。それが何であるのかという正体を、より鮮明に蘇らせたのが本書です。決して時間の風化に任せてはならない、あの過酷な試練が残した教訓を、本書は改めて掘り起こし、浮き彫りにして、私たちに示しています。

 そのひとつの手がかりが、大震災直後の日米関係です。語り草となった「トモダチ作戦」の成功をもって、本当に「めでたし、めでたし」と総括していいのか。いざという時はやっぱりアメリカが助けてくれる、というアメリカ頼みの“思考停止”が許されるのか、という問題です。

 大震災がもたらした「複合連鎖危機」の中でも、とりわけ私たちを底なしの恐怖に叩き込んだのは、言うまでもなく福島第一原発の事故対応です。時々刻々と破局に向かって地すべりを起こしていくような緊迫の数日間。下手をすると東日本をすべて失うかもしれないという“玉砕”の悪夢が現実となりかけた3月14、15、16日というあたり。あの時に、日本の権力中枢は本当のところどういう心理状態に追い込まれていたのか。また、この危機対応をめぐって日米関係は実際のところ、どのように推移していたのか(同盟はいかに機能したのか、しなかったのか)という問いかけです。

 これまでに多くの著作や各種の事故調査報告書が出揃いましたが、この点について満足な回答を与えてくれるものはありませんでした。局所的には官邸の「機能不全」、東京電力や経産省など「原子力ムラ」と言われる“安心・安全共同体”の構造や実態が明らかにされましたが、より巨視的に危機の全体像をとらえたものはまだない、というのが偽らざる感想でした。

 本書はそれに向かっての果敢な挑戦です。上下2巻合わせて約950ページの大著ですが、何より圧倒的なのは日米の要人300人余りから個別にヒアリングを行った取材の厚みです。震災後、政府や官庁から独立した民間のシンクタンクという立場を活かした「福島原発事故独立検証委員会」(民間事故調)をプロデュースした著者は、昨年2月28日にその「調査・検証報告書」を発表しました。しかし、その後もさらに独自に取材を続行し、危機の数日間を現場で担った人々の証言――意思決定者たちの「個々のストーリー」を克明に追跡し、それをまとめ上げました。

「危機に際しての日本社会の、そして、人間社会の真実をつかみ出したい」(あとがき)という壮大な意図のもとに書かれた本書は、これまで明かされなかったさまざまな事実や物語を「万華鏡」のように浮かび上がらせています。その執念、粘り強さ、徹底した調査の迫力はページの隅々から伝わってきます。しかも、取材の裾野が広く、ひとつのストーリーに寄りかかることなく、かなう限り「神の視点」に近づきながら、この複雑きわまりない危機の真相を見据えようとしています。類書の中でも群を抜いた仕事だと言えるでしょう。

 その多岐にわたる成果の中でも、個人的にもっとも注目し、真っ先にページを開いたのが、先にも述べた日米関係です。ひと言でいうと、あまりに知らないことだらけだったというのが結論です。あの未曾有の国難の中で、日米の権力中枢の間ではどのようなやりとりが行われたのか。とりわけアメリカは日本の状況、日本政府の危機対応をどのように受け止め、いかに分析・評価し、そこからいかなる「ゲームプラン」を導き出していたのか。

 あの震災によって、震撼させられたのは日本列島だけではありませんでした。日米同盟もまた根本から揺さぶられていたのです。いや、見方によっては「崩壊寸前」の瀬戸際に立たされていたと言っても過言ではありません。

 震災後ほどなく米海軍は、自衛隊の人道支援・災害救助活動をサポートするために、22隻の艦船、132機の航空機、1万5000人以上の兵士を動員し、160回以上の偵察飛行と3200平方キロメートルの海上捜索を実施しました。日米両政府が展開した、この初の本格的な共同作戦は、壊滅的な被害に打ちのめされそうになっていた日本国民をどれだけ支えてくれたか計り知れません。

〈米国という同盟国がいかにありがたい存在であったか、を日本国民は改めて知った。 空母ロナルド・レーガンをただちに派遣し、「トモダチ作戦」を展開した。 2万人もの兵士を人道支援のために急派した。 福島原発事故に当たっては、NRC(米原子力規制委員会)のプロ中のプロを派遣し、放射線モニタリング、事故のシミュレーション・分析、対応策の検討、物資の提供など力強い支援態勢を敷いた。 米大使館と大使館員は、他国のほとんどの大使館と職員が逃げ出した中で、最後まで日本に留まった。 戦後最大の危機のとき、米国という同盟国が日本とともに戦った〉

 これが一般的な認識です。実際その通りであって、この恩恵をありがたく思うところに、私たちの日米同盟観は成立しています。しかし、その舞台裏では遥かに冷徹なリアリズムの世界が広がっていました。福島第一原発事故の衝撃を受けて、米政府内では驚くような方針が検討されていたのです。

 あまり知られていませんが、アメリカには原子力規制委員会(NRC)のほかに、海軍独自の原子力規制機関「海軍原子炉機関」(NR)という組織があります。そこが独自の放射能測定に基づいて今回の事故も解析していました。そもそもNRというのは、原子力駆動艦船の安全規制を担当している立場上、「ゼロ・リスク論」が基本です。「原子力潜水艦の内部では、少しでも放射性物質に汚染されたら、一巻の終わりである」からです。

 同様に、原子力空母もまた、放射能汚染は絶対に避けなければならない至上命令です。米国の世界戦略の礎である空母が、もし放射能に汚染されて外国から寄港を拒否されるような事態が生じたならば、ただちに作戦に重大な支障を来す恐れがあるからです。そのNRが、震災直後から非常に厳しい予測を立てていたのです。

 その一方で、米政府内でも日本政府に対する不信感が渦巻いていました。「何かを隠しているのではないか」、「本当は事態がもっと深刻になっているにもかかわらず、国民がパニックを起こすことを怖れて、それを明らかにしていないのではないか」と疑心暗鬼になっていたのです。彼らの目には、3月16日、天皇陛下の「ビデオ・メッセージ」が5分半にわたって放映されたことも、疑念の的でした。1945年の敗戦の日以来、実に66年ぶりの天皇の肉声による「お言葉」の裏に、何か隠された意味があるのでは、と考えたというのです。

 国務省からは波状的に、菅政権に対して「タフなメッセージ」が届けられました。不信感の核心は、「日本政府は原発事故対応をなぜ、東電にまかせているのか理解に苦しむ」というところにありました。「政府一丸(whole of government)で対応してほしい」というメッセージが一再ならず送られてきました。日本政府は持てる国家資源を十分に統合していないのではないか。日本政府は統治能力を欠いているのではないか、という疑いであり、怖れでした。

 国防総省と統合参謀本部も同様のメッセージを日本側に送り始めていました。マイケル・マレン米統合参謀本部議長は、藤崎駐米大使に向かって、「日本政府は、なぜ、事故の対処を東京電力にゆだねているのか」、「なぜ、自衛隊を使わないのか」、「もし、こんなことを続けるのなら、われわれは米軍を帰国させることを考えなければならないかもしれない」と警告を発します。さらに、自衛隊の折木統合幕僚長には電話で直接、「国家の存亡を賭けた危機のとき、最後は軍隊がやる以外ない」ということを再三、伝えてきます。

 そうした中で、横須賀基地の放射線量が急上昇したとのNRの分析を受けた海軍は、独自の「最悪のシナリオ」にもとづき、横須賀と東京からの退避を含む「200マイル」退避論を政権内で主張し始めます。ホワイトハウスの副長官級会合では、「安全第一で行け」、「一刻も早く退避勧告を出すべきだ」とする太平洋軍司令官と、「ことは日米同盟の将来に関わっている」、「その決定が、将来の日米同盟にどのような影響を及ぼすか、それを忘れないようにするべきだ」と「残留」を主張する国務副長官が激しくぶつかる一幕も生まれます。

 この対立は、最終的に米大統領補佐官(科学技術担当)のジョン・ホルドレンの判断に委ねられます。ホルドレンは各省庁がバラバラにシナリオづくりをすることを禁じた上で、自らのシミュレーションをもとに評価を下します。こうして、かろうじて海軍の「200マイル」退避の主張は却下されるのです。後に「ホルドレンこそ最大の英雄だった」と言われる困難な決定でした。

 この結果、16日午後1時15分(米東部時間)、米政府は日本在住の米国民に対して、(1)福島第一原発から半径50マイル(約80キロ)の退避区域指示、(2)米国政府職員と家族に対する自主的国外退避勧告、を行いますが、現実には米政府職員は全員、日本に留まりました。あの時、日本政府が指定していた住民避難区域は20キロ圏内。50マイル(約80キロ)でも大きな開きがありすぎて、ただでさえ国民感情としては「見捨てられた感」が生じたのです。それが200マイル退避論になっていたとしたら、どういうパニックが起きていたか、想像するだけでもぞっとします。

 ……このように書き出せば切りがないほど、新事実が明らかにされます。危機の恐怖感に駆られた日本政府によって、戦後初めて「最悪のシナリオ」が3日間の突貫作業で策定されたこと、それと並行して幻の「総理大臣談話」の草稿が用意されたこと、等々……。あとはじかに本書に当たっていただくほかありません。

 ただ、最後に日米関係に立ち戻って、もう1点付け加えたいと思います。フクシマの状況が次第に危機的様相を深めていく中で、官邸の一部には「もうこうなったら、アメリカに全部任せたほうがいいのではないか」という投げやりとも何ともつかないつぶやきが漏れました。また、事故処理をするために米軍の特殊部隊が秘かに派遣されてくる、といったまことしやかな憶測が巷に流れたこともありました。

 しかし、日本が仮に原発事故処理で完全にギブアップし、ある種の「破綻国家」となった場合、米政府はどうしたのか。実は、そうした際のシナリオはいっさい作成されませんでした。「米国はあくまで日本を支援する役割に徹する」という明確な方針を決めていたからです。

 官邸政務中枢では、「原子炉がいよいよ制御できなくなる中で、一気に米国への依存心が高まっていくのと同時に、そうなった場合の米国の介入の重苦しさと政治的な負荷を感じ始めていた」といいます。しかし、米政府はそのような対日支援はまったく想定していなかったのです。

 むしろその間、注視されていたのは日本の統治能力です。さらに言えば、「日本という国は、同盟国に値する国なのかどうなのか」という点でした。

〈戦後最大の危機のとき、米国という同盟国が日本とともに戦った。 そのありがたみを誰よりも痛切に感じたのは自衛隊だっただろう。 同時に、福島第一原発危機が顕した日米同盟の潜在的危機を誰よりも痛感させられたのも自衛隊だっただろう〉

「最後の砦は自衛隊であり、米軍ではない」――それを改めて思い知らされたのが今回でした。ある陸上自衛隊将校は、ド・ゴールが言った言葉を思い出したといいます。「同盟国は助けてはくれるが、運命をともにしてはくれない」――。

「自分がまず、最初にリスクを負ってやらないと、同盟の相手国は決して、やってくれない。自らを助けることができない国は助けない」――この国際社会のリアルな鉄則を、いまさらながら突きつけられたというわけです。

〈精神の自立を欠いた安全と安全保障は戦後、いびつな日本の形を生み出してきた。 その歴史的遺制と限界を私たちは思い知らされたのである。 福島第一原発危機は、究極のところ、日本の「国の形」と日本の「戦後の形」を問うたのである〉(あとがき)

 危機の全体像に迫ることによって、本書が投げかける問いはその点です。願わくは、メルトダウンに向かってのカウントダウンではなく、再建に向けた新たな時を確実に刻みたいと痛感させてくれるのもまた、本書です。

「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)