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 「就活」の扉を抜けて
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 先週金曜日に行われた芥川賞・直木賞の贈呈式に出席してきました。今回は受
賞者が3名。横書きでひらがなを多用した文体の受賞作「abさんご」が話題とな
る一方で、史上最高齢での受賞が大ニュースになってしまった芥川賞の黒田夏子
さん(75歳)。

 デビュー作『桐島、部活やめるってよ』(集英社文庫)で「現役大学生作家」として脚光を浴び、今回、社会人1年生の「兼業作家」となって初めての書き下ろし長篇で「直木賞作家」の栄誉を手にした朝井リョウさん(23歳)。こちらも、初の平成生まれ、戦後男性最年少の直木賞受賞ということで、その若さが話題となりました。

 年齢に注目が集まったこの二人に挟撃される恰好で、やや損な役回りを引き受けたのが、もう一人の直木賞受賞者である安部龍太郎さん(57歳)。33歳でプロ作家としてデビューを果たし、今年が作家生活24年目。前回の候補入りが1994年の『彷徨(さまよ)える帝』の時で、以来18年間、賞の候補にすら挙がることもなく、2度目のノミネートで朗報に接することになりました。

 贈呈式では最後に和服姿で登壇し、温かみのある声で謝辞を述べました。落ち着いた立ち居振る舞いに、歳月の重みを感じさせる、堂々とした挨拶でした。二人の後を受けて、難しい役どころだと思っていただけに、ベテランらしい風格と、少し懐かしい文士の香りを漂わせた姿は印象的でした。

 会場を沸かせたのは、直木賞の選考委員を代表して挨拶に立った渡辺淳一さんの祝辞です。「大きな賞を取って、いまはたくさん注文が来ていると思うけど、どうか消えないでいてほしい」、「編集者はニコニコと愛想が良さそうだけど、ダメな作家を見限る時は本当にサーッと引いていくからね。そのあたりは実に厳しい」と会場を笑いに誘うと、「作家はギラギラとした俗な野心を大事にしなくてはダメだ」、「近頃は作家が気取った文化人になりすぎている。俗を軽視してインテリぶったら終わりだ」、「作家は俗な欲望をさらけ出していいんだ。それを肯定していい。こんな素晴らしい職業はない」と次第に渡辺節が炸裂します。

「お前、大学出たら屁理屈ばっかりこねる評論家になっちゃうぞ。絶対にそうなるなよ」と忠告してくれたという池波正太郎さんをはじめとする、大先輩の思い出の披露に及びます。バーの片隅で1万円札を数えて、ホステスの女性に手渡していた松本清張さん。祇園の高級料亭の女将のことを渡辺さんが書いたら、「よく、京都の上流の女なんか書けるな」と言った水上勉さん。寺の小僧をしていた少年時代、さんざん辛い思いをさせられたことが忘れられなくて、水上さんは決して「上流の女」は書かなかった。好んで書いたのは、そうではない貧しい境遇の女たちだった。それが『五番町夕霧楼』、『越後つついし親不知』の傑作につながった――。

「ともかく、作家は知的な職業じゃない。生き方そのものが小説だし、俗な我欲を堂々とさらけ出して、いい小説を書くのが本領だ。品良くしていたらすぐ消えちゃうからね」、「作家になったからには、稼いで家の一軒くらいは建てなきゃダメだ。家を作ると書いて『作家』と読むんだから」と、熱いエールが続きました。

 それを受けて朝井さんは、「文章を書くことでこれからも自分の居場所を見つけていきたい」と述べた後で、「このような賞をいただき、ありがとうございました、というような誰も傷つかないせりふを言っている朝井リョウのことを心のどこかで僕は笑っています」と言い、「人間はすごく複雑な生き物だと思う。そんな複雑な人間が生きている世界を暴いていくような気持ちでこれからも書いていきたい」と抱負を語りました。

 また、安部さんは「韓国で歴史小説家として紹介される時、『ヨクサソソルカ(欲さ、そそるか)』と呼ばれ、いい音楽だなあと思っていました」と笑わせ、「作家はギラギラしたものがないと……」という渡辺さんの注文に、当意即妙のウィットで応えていました。

 さて、朝井リョウさんの受賞作『何者』(新潮社)は、就職活動中の大学生をテーマにした作品です。35年前に私自身は、「就活」と無縁のままに学生時代を終えましたが、この10年余りは、面接する側の人間として、リクルート姿の学生諸士に接してきました。人の採否を決めるなど「天をもおそれぬ行為だ」と思いつつ、それでも最終判断を下さなければなりません。テーブルをはさんで受験者と向かい合いながら、「試されているのはこちら側の想像力だ」といつも感じていました。

 この作品は作者自身も体験したいまどきの就職活動の様子が、実にリアルに描かれています。合同説明会やOB訪問、そしてES(エントリーシート=企業に提出する履歴書)に始まり、自宅で受けるWEBテスト、筆記試験、集団面接でのグループディスカッション(グルディス)、個人面接、内定へといたる「社会人になるため」の就活プロセスをたどりながら、この物語は展開していきます。

 たまたま情報交換を目的に集まった5人の大学生仲間の友情、競争意識、軋轢や葛藤、恋愛感情、自己愛などがそこに切実な形で絡んできます。さらにツイッターといういかにも現代的なツールが加わることで、就活の動きに拍車がかかり、新たな心理戦が熱を帯びてきます。仲間同士であっても、それぞれの本音が語られているようで語られていない、心の内が見えているようで見えていない、といった人間関係の複雑な綾が生まれます。

 作中、ある先輩が主人公に忠告します。ツイッターの140字だけで人を判断するのは止めておけ。そこに選ばれなかった言葉が圧倒的に多いわけだから、140字の向うにいる人間そのものをもっと想像しろ、と。こうしたネット環境がもたらす逆説を取り込みながら、登場人物たちの揺れ動く関係を、巧みな群像劇に仕上げているところが、この著者の才気に他なりません。

〈ほんとうにたいせつなことは、ツイッターにもフェイスブックにもメールにも、どこにも書かない。ほんとうに訴えたいことは、そんなところで発信して返信をもらって、それで満足するようなことではない。だけど、そういうところで見せている顔というものは常に存在しているように感じるから、いつしか現実の顔とのギャップが生まれていってしまう〉

〈俺たちは、人知れず決意していくようになる。なんでもないようなことを気軽に発信できるようになったからこそ、ほんとうにたいせつなことは、その中にどんどん埋もれて、隠れていく。…… ほんとうのことが、埋もれていく。手軽に、気軽に伝えられることが増えた分、ほんとうに伝えたいことを、伝えられなくなっていく〉

 ひと昔前なら、私小説的な1人称で描き切る構想もあり得たでしょうが、この著者の作家的欲望は、主人公を決して「安全地帯」には置きたくないようです。5人の就活仲間の中で、明らかに著者自身を仮託している主人公は、就活に前のめりになっていく仲間たちをシニカルに眺めている観察者です。しかし、物語はそうした「傍観者」の居場所を危機にさらし、彼を「ごまかしのきかない」地点に向かって徐々に追い込んでいくように動き始めます。

 社会から猶予期間(モラトリアム)を与えられた被保護者の身分を離れ、やがてひとり立ちしていかなければならない季節。自分が何者であるか、何者になれるかが分からず、不安と焦り、気負いと絶望に翻弄される情景は、いつの時代にも共通した青春の物語です。しかし、そこに現代では、就活という通過儀礼が介在して、それが否応なしに、「自分はまだ何者でもない」ということをひとしなみに思い知らせる装置として立ちはだかります。5人のグループの中で、最初に内定をとった女子学生が、仲間の一人に向かって諭します。

〈私たちはもう、たったひとり、自分だけで、自分の人生を見つめなきゃいけない。一緒に線路の先を見てくれる人はもう、いなくなったんだよ。進路を考えてくれる学校の先生だっていないし、私たちはもう、私たちを産んでくれたときの両親に近い年齢になってる。もう、育ててもらうなんていう考え方ではいられない〉

〈あなたが歩んでいる過程なんて誰も理解してくれないし、重んじてない。誰も追ってないんだよ、もう〉

〈十点でも二十点でもいいから、自分の中から出しなよ。自分の中から出さないと、点数さえつかないんだから。これから目指すことをきれいな言葉でアピールするんじゃなくて、これまでやってきたことをみんなに見てもらいなよ。自分とは違う場所を見てる誰かの目線の先に、自分の中のものを置かなきゃ〉

 就活している「いまの自分がいかにダサくてカッコ悪いか」を自覚しながら、それでもがむしゃらにあがく人間を冷笑することは誰にもできないはず。むしろ一番「ダサくてカッコ悪い」のは、シニカルな観察者として少し距離を置きながら、仲間の戦いを眺めている姿。悪戦苦闘することすらできない自分を、無傷のままに温存しようとしている姿。あがき続けることからしか何も始まらないのに、その一歩を踏み出すことができない人間。それこそ、「何者」にもなれない無意味な存在なのではないか―――。

 作者の問いかけは愚直で真摯で、渡辺淳一さんが鋭く反応したように、非常にオーソドックスな作家魂を感じさせます。とくに最後の30ページには渾身の力がこめられていて、そこに至るまでの伏線が周到に張りめぐらされていたことが、次第に明らかになるところも巧みです。

 この時代を生きることへの真摯な問いかけ。そして最後は人間の善意がほんのわずかにせよ優っているに違いないという楽観主義。「就活」の扉を抜けて、著者は新たな場所に向かって確かに歩み始めています。

「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)