【考える本棚】
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 山口文憲『若干ちょっと、気になるニホン語』(筑摩書房)
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一見ほのぼの系、実は……
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 もう何年も前になりますが、朝日カルチャーセンターで「コラム・エッセイの視点と発想法」という講座を関川夏央さんと受け持っていた著者から、ゲスト講師としてお招きにあずかったことがあります。雑誌編集者として日頃思っていることをざっくばらんに話してほしい、それと授業の後半で、受講生の書いた作品を論評してもらいたい、という注文でした。何を喋ったかはすっかり忘れてしまいましたが、後半の実作指導の際に、山口さんが加える的確なコメントを聞きながら、「もったいないなぁ。これだけの芸の持ち主なのだから、もっと書いてくれればいいのに」と思ったものです(*)。

 それほど、山口ブンケンという人は「書かざる大コラムニスト」――見る人によっては「困った怠け者」と評される存在だったのです。ともかく、自他ともに認める超「遅筆堂」。そのため、仕事がいつまでたっても先に進まない、と編集者を泣かせる(憤慨させる)常習犯でした。この日も、そもそもがカルチャーセンター。当時は、ワイドショーのコメンテイターなどにも手を染めて、「書かなくてもいいお仕事」を拡充することにとりわけ熱心になっていたのです。

 コラムニストとひと口に言っても、さまざまです。寸鉄釘を刺すような毒舌タイプもいれば、ホロリとさせる情感派も――。爆笑を誘うタイプもいれば、そこはかとないユーモリストも。政界、芸能界、スポーツ界などのいわゆる情報通。鋭い切れ味で人を唸らせる批評家タイプ。あるいは、胸のつかえをスッキリさせてくれる直言居士や、「ねたみ、そねみ、ひがみ」を原動力にした“からむコラム”派など……。

 酔っ払いのタイプにも似て、要は一緒に酒席をともにして楽しいかどうかがすべてです。面白くなければ時間の無駄(場合によっては不愉快なだけ)ですが、次にもまた飲みたくなる相手であれば、どんな酔態であろうがさして気にはなりません。同様に、「次もまた読みたい」と思わせてくれれば、芸風がどうあれ、コラムニストとしては申し分ありません。

 とはいえ、コラムは雑誌の「箸休め」ですから、時と場所をわきまえて、自己主張し過ぎず、けれども存在感は発揮して、ツボにはまった、味のあるアクセントであることが求められます。空気が読めて、機転が利いて、野暮でなく……といちいちうるさい注文がつきまといますから、そうそう誰にでも務まる役回りではありません。

 前置きが長くなりましたが、山口さんの持ち味は、一見トホホ型のユル~いキャラ。その辺のどこにでもいそうな中年の(いまや初老の)心優しい、おかしなオジさん風。変なクセもなさそうだし、とんがったところもなく、端正なたたずまいで、「常識が服を着て町を歩いている」かのような趣きです。

 ところが、ともかく先述したような仕事ぶりですから、その成果をまとめて読む機会というのは、なかなか訪れません。私にとっても、本書はかの『空腹の王子』(主婦の友社、1992年)を手にして以来、待ち焦がれていた一冊だといっても過言ではありません。

「空腹の」は言うまでもなく「幸福の王子」のもじりですが、小津安二郎監督の映画『東京物語』の中に登場する、「原節子カツ丼どうぞの場」(「親子」説もありますが、山口さんは採りません!)に「いたく感動した」という著者の外食礼賛物語です。18歳から東京でひとり暮らしを始めた時の解放感、幸福感を思い起こしながら、ローアングルで生きることの正しさをここで高らかに宣言したのです。

〈しかり。小津は、家庭の食卓と家庭料理に偽善と欺瞞と悪意とまやかしを見、独り者のアパートとカツ丼に、正義と人道と誠実と高潔と友愛と自由を見ているのである。『東京物語』を見て以来、私は、このかくも長き外食生活をカツ丼で始めたのは、あまりにも正しかったと、自信に似たものを抱くようになった。 私には、原節子がついている。だからさびしくなんかない。 私は、家庭の食卓を離れて暮らすものたちが住む街の広場に立つ、「空腹の王子」である〉

 このマニフェストから、指折り数えて21年。ついに待望久しかった新刊を手にしたという喜びがあります。本書は、純文学雑誌の老舗「文學界」に2003年12月号から連載されていた「ニッポンの名文」が100回に達したところで、それをまとめたものです。連載はいまも継続中です。

「気になるニホン語」とある通り、日常生活で見過ごすわけにはいかなかった「日本語珍例笑例集」という体裁ですが、多くの国語至上主義者のように「最近の言葉の乱れ」を慨嘆(悲憤慷慨)するのが目的ではありません。むしろ、そうしたツッコミどころ満載の事例がなぜ生まれたのか、その社会的背景や日本人のメンテリティに関心は向かいます。

 まずはフィールド・ワークの広さに驚かされます。部屋にこもって新聞、雑誌に目を凝らして、というのではなく、あちこち小まめに出かけて採集している姿に注目しないわけにはいきません。主として多摩地区のようですが、団地やスーパーマーケット、商店街、公共施設などに掲げられた各種の案内や注意書き、張り紙、ポスターの文句。かと思えば、家電量販店コジマのマッサージチェアの「お試し」コーナーで、いつまでもどいてくれない先客の30代茶髪OL風女子が、何度も手を伸ばして押している表示ボタンには何とある? と目が吸い寄せられてしまうような日本語ハンター。

 私たちが日頃耳にしているような女子高生用語、ギャルことば、キラキラネームの動態、「いつもトイレをきれいにお使いいただきありがとうございます」といった珍妙表現を目ざとくチェックし、八百長相撲メールの「流れでお願いします」に漂うニヒリズムとデカダンスを鋭く嗅ぎわけます。あるいは、「ふれあい」を重視するあまり、ご丁寧にも「立川相互ふれあいクリニック」や「ふれあい下水道館」まで出現させてしまった現場を踏査! 電車の中で読むことの危険と快感を久々に味わわせてくれる快著です。

 そこで、100本の中から、個人的好みでベスト10を選んでみました。基準はシンプルに、「笑った」という1点です。以下に表題を掲げ、最小限の註のみを記したいと思います。

(1)「耳に障害ありの褌を締めて3年」……南伸坊さんが「ホモ雑誌の交際希望欄は面白い」と言って見つけてきた「真面目で毛深い人」に匹敵する切実なフレーズ。(2) 「手鏡」……例の経済評論家による「少女スカート覗き」事件に端を発した「手鏡」と「ミラー」の文化的考察。(3) 「退職させて頂きました」……「いくら団塊がバカでも、あんまりな例文ではないか」という挨拶状ビジネス。(4) 「よんとろ」……とろろ、おくら、なめこ、めかぶの「ぬるぬる・とろとろ系」の4種類の具が入った新作日本そばが、JR東日本グループの駅そばチェーン「あじさい茶屋」にあるという話。もはや知る人とてない「四トロ」にまつわる全共闘世代の懐旧譚に、「豚の角煮がまるまる一個のった『かくまる』そば」を持ち出すアナーキズム。(5)「とある建設の会社の人が子犬のときに」……捨て犬・野良犬の里親探しをする社会活動団体のサイトにあったという文例。そのまま引き写すと――、

〈とある建設の会社の人が子犬のときに首輪を付けたまま野良犬にしてしまい首輪がくいこんで悲惨な状態になっている野良犬を保護の為に通い続けていると野良犬が多く懐いている子は保護して里親探しをしていく方針でマコもその中の1匹でした〉

 こういう悪文に手を焼いた編集者は身につまされて笑うしかない。(6)「御労苦」……「苦労」変じて「労苦」。言葉いじりに腐心するゴクローな人たち。(7)「あきらめない」……「年齢」や「元気」をあきらめないって、どういうこと? こんな語法をもちこんだ犯人をつきとめると……。(8)「欝陵島」……かつてNHK第二放送で「気象通報」を聞いたことのある人は目がウルルンとなる。「南大東島」があって、「うつりょう島では北の風、風力三、天気曇り、気圧は千十二ミリバール」の読みが耳の奥底に残っている。いつから「ウルルン島」と、現地音主義になったのか。(9)「超お気がるに入って下さい」……多言語文化状況の“夜の最前線”。(10)「ラレシ百五十円」……「ラディッシュ」が「ラレシ」、「モロヘイヤ」が「モロヘアー」と、横丁の八百屋の値札には、古き日本人の外国ことばへのゆかしき接し方が受け継がれている。

 こんな説明では、どこが面白いのだかピンとこないかもしれませんが、他にも多数、粒ぞろいの傑作が並んでいます。昔、「1分間に*回笑わせます」という映画の殺し文句が流行りましたが、それにならえば「3本に1本は声をあげて笑えます」という感じでしょうか。

 以上で、ある程度お分かりのように、ほのぼの系、脱力系の達人と見えますが、実は一筋縄でいかないのがこの人の芸。ユルめのネタを振りながら、ジワジワと毒がまわってくる仕掛けです。南伸坊さんの挿絵の効果もてきめんです。

「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)