次号「考える人」2007年春号の特集は、「短篇小説を読もう」です。――そもそも短篇小説は、いつ、どのように誕生したんだろう。作家にとって、長篇と短篇では、その書き方にどのような違いがあるんだろう。日本人はとりわけ短篇を好むような印象があるけれど、それはどうしてなんだろう。などなど、短篇をめぐるさまざまな疑問について、3人の作家の方々に、じっくりとお話をうかがいました。インタビューさせていただいたのは、丸谷才一さん、川上弘美さん、そして村上春樹さんには、Eメールによる「15の質問」にお答えいただきました。
 村上春樹さんといえば、ご自分でも書いておられるように、「長篇作家」のイメージが先にたちます。けれども一方で、『中国行きのスロウ・ボート』『螢・納屋を焼く・その他の短編』から『神の子どもたちはみな踊る』『東京奇譚集』まで、十冊を越える、いずれも忘れがたい名短篇集があります。翻訳者としての仕事をみても、レイモンド・カーヴァー、トルーマン・カポーティなど、短篇作家への偏愛が如実に伝わってくる。
 では、小説家・村上春樹にとって、長篇と短篇の違いはいったいどのあたりにあるのだろう? さらに、読み手、翻訳者としての村上春樹さんにとって短篇小説とは、どのようなものなのか。「15の質問」に対し、原稿用紙に換算すると400字で40枚近い、具体的かつ率直な、短篇小説の秘密そのものに迫る回答をいただきました。ぜひ、4月4日発売の本誌でごらんください。ここでは、編集部からお送りした「村上春樹氏への15の質問」を、まずご紹介いたします。

村上春樹氏への15の質問

 かつて、「短篇小説の師」をあげるとするならば、それはフィッツジェラルド、カポーティ、カーヴァーの三人である、と書いていらしゃったことがありましたが、それぞれ作風の異なる作家から、村上さんは何を学ばれたのでしょうか? 

 フィッツジェラルドの場合、短篇と長篇の違いはどこにあるのでしょうか?

 カポーティにはノンフィクションノベルの長篇『冷血』がありますが、本来的な意味での長篇小説は書かなかった、といえるのではないかと思います。それはなぜだと思われますか?

 カーヴァーが長篇小説を書かなかったのはなぜでしょう?

 短篇小説がうまい作家と、長篇小説がうまい作家の違いはどこにあるとお考えですか?

 サリンジャーは本質的には短篇小説の作家なのでしょうか? しかし、短篇小説には収まりきらない何かを見いだしてしまったために、必然のようにして「ある長篇小説的なもの」へと向かおうとし、ついに暗礁にのりあげてしまったのではないか、と思わないでもないのですが……。

 アメリカ人の読者にとって、長篇と短篇に対する意識のありようは、どのように違うのでしょうか? そして、「ニューヨーカー」や「エスクァイア」のような雑誌における短篇小説の役割というものは、どのようなものだとお考えですか? また、日本の文芸誌に短篇小説が掲載されていることとの最大の違いは何でしょうか?

 『若い読者のための短編小説案内』は、書き手がその作家生活のなかで、どのように短篇を書き始めているのかを見定めて、書かれた短篇が書き手の資質や手法、ヴィジョンをどのように明らかにしているかを、ひとつひとつ丹念に読み解いた力作だとおもいます。
 もし、たった今、同じ趣旨で日本人作家の短篇について考えるとしたら、吉行淳之介、小島信夫、安岡章太郎、庄野潤三、丸谷才一、長谷川四郎、という選択にとくに変更はありませんか。

 素晴らしい短篇小説というものは、磨き上げられた完成度の高いもの、というイメージが世の中にはあります(「珠玉の短篇」などという言い方を聞きます)。しかし、『若い読者のための短編小説案内』を読んでいると、語るに足る、興味深い、再読に耐える短篇小説というものは、ぎこちなかったり、不器用であったりすることもあるのだ、と知らされたことが大変面白かったのですが、村上さんは、実作者として、短篇小説に要求される「完成度」をどのようにお考えでしょうか? 

10 短篇小説は、ふとアイディアを思いついて書き始め、それほど時間をかけずに書き終えてしまう、と「村上春樹全作品」でお書きになっています。たとえば、「中国行きのスロウ・ボート」の場合は、まず表題があり、ファーストシーンが浮かんでそのまま展開していった作品であり、また、「土の中の彼女の小さな犬」の場合もいくつかの情景があって、そこから作品を書き始めていった、と説明されています。つまり、短篇の全体像が見えたところから書き始める、ということはほとんどない、のでしょうか? ラストシーンに向けて書いていく、ようなケースはありませんか? そして村上さんにとって、長篇小説の書き方と、短篇小説の書き方の違いは、おおよそこの「ふと思いついて」「それほど時間をかけずに」書く、というあたりにある、と言ってもいいのでしょうか?

11 同じく「僕は自分のことを生まれつきの長編小説作家だと思っている」と「村上春樹全作品」のなかで書いています。だとしたら、村上さんにとっての短篇小説は、どのような内的欲求によって書かれているのでしょうか?

12 短篇小説における人称の問題についてうかがいたいのですが、ほとんどが一人称で書かれている『レキシントンの幽霊』があるかと思えば、三人称で書かれている『神の子どもたちはみな踊る』もあり、長篇小説の場合よりも、人称の設定について変幻自在であるという印象があります。それは短篇小説ならではのことなのでしょうか?

13 「ニューヨーカー」には「TVピープル」「眠り」「飛行機」「氷男」「トニー滝谷」「UFOが釧路に降りる」「蜂蜜パイ」などの作品が過去に何篇も掲載されています。「ニューヨーカー」の編集者とのやりとり、掲載後の反応などで、何か強く印象に残っていることはありますか?

14 村上さんは短篇小説を書いているときと長篇小説を書いているときでは、どちらが楽しいですか?

15 最後に──。初めて村上さんの小説を読む人のために長篇をひとつ、短篇をひとつ、それぞれ自薦してください、と言われたら(あるいは、長篇と短篇を一つずつ選んでボイジャーに載せて宇宙の果てまで運んでゆくことになったとしたら)、どの作品を選ばれますか?