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 「初めて」づくしの日々
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 東急東横線渋谷駅の2階ホームが先月半ばで営業を終え、地下へと移転されま
した。来月には、ほぼ半世紀にわたって、この駅、いや渋谷という街全体のシン
ボルでもあった11連の「かまぼこ形屋根」の取り壊しが始まります。一方、日本
で初めて老舗の味を1ヵ所に集めた「東横のれん街」の東急百貨店東横店東館も
3月31日で閉館となりました。こちらも、しばらくすると解体される予定です
(「のれん街」83店は、京王井の頭線渋谷駅が入っている渋谷マークシティの地
下1階に移転し、4月4日から再出発しましたが――)。

 目になじんだ光景が消滅することへの寂しさもさることながら、これから渋谷という街が史上何度目かの大変貌を遂げていくことに、ある種の覚悟を迫られているような気がします。これまでこの街とともに生きてきた人々の心の中にある「記憶としての渋谷」は、これから確実に「喪失」の過程に入っていくことになるでしょう。おそらく数年もたてば、ついこの間までそこに何があったかすら思い出せない、という“あの感覚”に襲われるのは間違いありません。

 私自身もまた、大学生になってから東京に住み始め、最初にもっとも利用したのが渋谷駅でした。使い勝手の悪い駅だというのが最初の印象で、好き嫌いで言えば、好きになったことは一度もありません。大都市発展の無理難題をすべて背負い込んだような厄介な構造で、人をイライラさせる条件が幾重にも張りめぐらされている不合理の塊だとさえ思っていました。

 新宿、池袋にも似たような要素はありますが、ともかくJR山の手線、東急東横線、東急田園都市線、京王井の頭線、地下鉄銀座線、半蔵門線がビルの地下、2階、3階にそれぞれ乗り入れていて、すべての改札口から溢れ出るように人が湧いてきます。それが手狭なスペースに向かって一気に押し出され、ラッシュアワーはもちろんのこと、昼下がりの時間であっても、さまざまな流れが交錯し、波頭がぶつかり合うのが常態です。

 さらに、「渋谷」という地名のごとく、駅は谷地形の底の部分にあたるので、駅周辺の空間も絶対的に不足しています。ハチ公前はいつも黒山の人だかりがして、待ち合わせをするには不便この上ないのですが、他の選択肢が乏しいので、結局あきらめざるを得ないということになります。また駅のすぐ脇を国道246号線が貫通しているために、そこで街が完全に分断されます。そして富ヶ谷、代々木、青山方面に向かっては、谷底から何本かの坂が伸びていて、その坂と坂の間には毛細血管のような道が発達し、それぞれにこの街の深い陰影を刻んでいます。

 ともかく駅の利用法に習熟するまでがひと仕事。さらにこの街の事情に通じるまでに、かなりの時間を要する場所です。歴史的には関東大震災、戦災、そして東京オリンピックによる区画整理、さらには70年代に、パルコの出現で渋谷はめざましく変化したと言われています。いま始まった本格的な再開発は、それに続く“第5の波”と位置づけられることになるのでしょう。そして、いずれ実現されるであろう快適な移動空間は、おそらく未来人にとってはよきものとなるはずです(そうあってほしいと願います)。ただ、40年近く否応なしに慣れ親しんだ「記憶の中の渋谷」が消滅することは、大切な「自我」の一部が奪われるような出来事だとも思えるのです。たとえ好きではなくても、そういう場所が渋谷だったからです。

 そんなことを考えながら、先週末、異様な混雑を見せる渋谷駅の構内を歩いていました。すると、いつにもまして、乗降客の流れに乗り切れない人たちと出くわします。明らかにこの春、上京してきたばかりだと分かる若者たち。友達と会話している言葉にまだ“お国訛り”が残っていたり、不安そうに案内表示を探している様子でそれと知れます。すると、はるか昔、この駅を利用し始めたばかりの頃の、自分の姿がよみがえります。

 昨年のちょうど今頃、『TOKYO初夜ものがたり』(角川書店)という本を読みました。ノンフィクション作家の梯久美子さんによるインタビュー集です。登場するのは、リリー・フランキー、鴻上尚史、佐々木常夫、みうらじゅん、小山薫堂、速水奨、楳図かずお、しりあがり寿、中村うさぎ、楊逸、ゆでたまご――という、ジャンルも個性もまちまちの11人です。地方出身者ということを除けば、「どういうつながりだろう?」と不思議な顔ぶれです。その彼らに「あなたの東京での最初の夜のことを聞かせてください」と尋ねているのです。

〈「上京」という言葉には、いまではちょっと古くさい響きがある。野心とか夢とか憧れとか、そういうものを持って若者が地方から東京へとやってくる時代ではもうないのかもしれない。けれども、はじめて都会で一人で暮らすときの、とまどいと希望、さびしさと解放感が入り交じった気持ちは、いまも変わらないのではないだろうか〉(あとがきにかえて)

 確かに両親や郷土の期待を一身に背負い、栄達の道を求めて東京へ、という構図は廃れたかもしれません。しかし、お江戸に剣術修行にやってきたNHK「龍馬伝」の龍馬のように、自分の可能性を求めて、とにかく何者かになりたくて、ここにやってくる人たちが大半だということに変わりはないはずです。

〈本書で話を聞いたのは、地方で生まれ育ち、東京で才能を開花させた人たちだ。どの人にとっても上京は分岐点だったはずで、そのころの物語を語ってもらうことは、かれらがどうやっていまの自分になったかを語ってもらうことだった。 どのインタビューも笑いに満ちていた。どこかとんちんかんで、空回りして、でも一生懸命な日々。馬鹿馬鹿しいからこそ、思い出すとほろっとする。目の前で語ってくれている人の向こうに、若かったころの姿が見えるようだった〉(同)

 実はこの11人、本書を読むまではさほど関心のない人たちがいたことも確かです。ところが、この本ですっかり印象が変わりました。知っているつもりだった人についても、ずいぶん見方が変わりました。

 上京してくる理由、東京に来て実感したこと、そしていま東京に対して抱いている思い。当然、人によって、世代によって微妙な差異はありますが、そこに共通して感じられることのひとつは、著者がいうような若き日の懸命さです。

〈受験のために上京したとき、いまの有楽町のマリオンのあたりかな、人がものすごくたくさんいて、ちょっと行くと歩行者天国になっていて。あの風景を見て、そうか、オレはここで戦うんだ、と実感したんです〉(鴻上尚史)

〈何がすごいのかよくわかっていなかったと思うんですけど(笑)、とにかく憧れたんですね。それで、この人たちの舞台を観るためには、あるいはこの写真の中に自分が入るには、東京に行くしかないと思ったんです〉(速水奨)

〈美大に来るやつなんて、だいたい性格も変わってるから、すごく変で、しかもセンスがあるやつがいっぱい集まってるわけ。で、自分よりもっと変でセンスのいいやつに出会う。 授業にはあまり出なかったです。せっかく美大に入ったのにおとなしく授業に出るなんて、反美大的だ、って思って(笑)〉(しりあがり寿)

 そして何人かの人はこれから先の自分と東京の関係をこう語ります。

〈で、この四、五年は、どこかほかのところに住みたいと本気で思ってるんです。じゃあどこに住むかっていうと、東京よりもっと都会に住みたいんですね。…… 東京には長くいすぎました。パン一個買うにも緊張した、上京直後のころの感覚に、近いうちにもう一回戻したいと思っているんです〉(リリー・フランキー)

〈私、何が一番怖いかって、いままで生きてきた自分は正しかった、って自分を肯定してしまうことが怖いんですよ。これまでアナーキーに生きてきたし、やっぱりこれからもそうでなきゃいけない気がしてる。このへんでいいか、っていう落としどころを求めずに、死ぬまでアナーキーなまま行けるかという、ある種の実験みたいなものですね、私の人生(笑)〉(中村うさぎ)

〈いま思い返すと、私の人生、日本に来たときから結婚するまでがいちばん楽しかった。貧乏だったし、いつも睡眠不足だったけど、生きているという実感がすごくありました。あのころに戻りたいくらいです。…… 毎日が落ち着きすぎると、私、死んでいるような気がしてしまうんです。知らない場所にどんどん行って、もっともっと世界を知りたいですね〉(楊逸)

 渋谷駅で見かけた若者たちは、大なり小なり、知らない東京の地図を広げて、これから「冒険に出かけるような、いそいそとした気持ち」(梯)を抱いているはずです。これは地方出身者でなければ味わえない、上京組の特権です。そして、幾星霜も経た後に、初めて東京に来た夜の不安とわくわくするような高揚感とが入り交じったあの感覚が、いまの自分をつくっていることに、やがて気がつく日が訪れるのです。

「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)