┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 272語の“魔術”
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

 以前、アメリカ思想史の本間長世さんから、「米国史上最も重要な大統領は誰
かといえば、国家の礎を築いたワシントンと、国家の分裂を救ったリンカーンだ
ろう」と伺ったことがあります。

 そのアメリカ合衆国第16代大統領を描いたスティーブン・スピルバーグ監督の映画「リンカーン」を観てきました。この作品は、丸太小屋に生まれ、苦難の道のりを経て、「奴隷解放の父」となったリンカーンの、生涯の最後の4ヵ月に焦点を絞った歴史大作です。

 南北戦争の帰趨がどうやら北軍の勝利に決しかけている中で、いつ、どのようなかたちで戦争を終結させるか――すでに3年半以上もの間、国が2つに分かれて戦ってきた、建国以来の最大の危機に臨んで、連邦共和国としての統合を守り抜き、また民主主義国家の未来に向かって奴隷制廃絶という理想をいかにして実現するか。この2つの難題に、大統領は全身全霊をかけて挑んでいました。そのためには、何としても憲法第13条の修正法案を議会で可決しなければなりません。仮に戦争を長引かせることになろうとも(そのためにより多くの犠牲者を生むことになろうとも)、奴隷制を容認している合衆国憲法は今こそ改めなければならない、という不退転の決意を固めていたのです。

 しかしながら、議案を成立させるためには、下院で3分の2の賛成を集めなくてはなりません。リンカーンの属する共和党には奴隷解放の急進派もいれば、穏健派――長引く戦争に嫌気を感じ、これ以上の犠牲を避けるためにも、奴隷制は認めても「まず南軍との和平を」と考える議員も少なくありませんでした。敵対する民主党は、もちろん奴隷制容認の、反対の立場を表明しています。

 可決するためには、まだ20票足りない! そこでロビイストたちを動員して、懐柔、恫喝など、なりふりかまわぬ多数派工作が始まります。勝たなければ意味がない。集票活動の陰の首謀者は大統領自身です。理想を実現するためには、あえて自らの手を汚すことも辞さない。現実主義者としてのリンカーンの壮絶な戦いが浮き彫りとなります。

 結末は、歴史的事実としてすでに知っての通りです。1865年1月31日、憲法修正第13条は下院で可決され、奴隷制は廃絶されます。4月9日、南軍のリー将軍が降伏し、南北戦争は事実上終結します。そして4月14日、リンカーンは「暴君の最期は常にかくのごとし!」と叫ぶ暗殺者の凶弾に倒れ、56歳の生涯を閉じます。映画に描かれる4ヵ月の流れは分かっているにもかかわらず、サスペンスドラマのような緊迫感を味わいながら、この濃密な政治劇にすっかり引き込まれてしまいます。物語の構成、演出の見事さ、名優たちの文句なしの巧演、2時間30分を少しも長いとは感じませんでした。

 中でも驚嘆したのは、大統領その人になりきって見せたダニエル・デイ=ルイスの役作りです(これで3度目のアカデミー賞主演男優賞に輝きました)。大統領のシンボルマークであるあの顎鬚、身長193センチと言われるひょろ長い外見はもとより、その長身を持て余すようなぎこちない仕草、疲労や老いが深く刻まれた皺、どこかメランコリックな表情の陰影。その一方で、親しみやすく気さくな面があり、ユーモアのセンスに恵まれ、またいかなる困難にも毅然として立ち向かう不屈の闘志の持ち主でもある――類型化を拒むような複雑な人物像を、俳優は存在感豊かに表現しています。なかんずくリンカーンその人はこうであったに違いないと思わせる語り口、声、そして言葉づかいに表われる知性のかたちを、見事に演じて見せました。

 冒頭の場面がきわめて象徴的な導入部になっています。北軍、南軍の兵士たちが雨中で肉弾戦を繰り広げる戦闘シーンに続けて、雨夜に駐留地で兵士を迎えるリンカーンが登場します。兵士の話に耳を傾けている大統領の前に、ひとりの白人兵士が進み出て、ゲティスバーグのあの有名な演説を暗唱し始めます。ところが、この兵士は途中で出立を余儀なくされ、肝心の、それに続くもっとも感動的なフレーズは、別の黒人兵士が引き取って唱えます。

〈これら死者たちの死を無駄にしないように、 ここにいるわれわれは決意を高く掲げる。 神のもとで、この国に 自由の新たな誕生をもたらそう―― そして、人民の、人民による、人民のための 政治は、地上から決して滅びない〉(北沢栄訳)*

 このスピーチが行われたのは1863年11月19日です。リンカーンが2期目の大統領選に当選する約1年前。したがって、演説場面がスクリーンに直接登場することはありません。触れられているのは、わずかにこの部分だけです。しかしながら、作品の焦点となる憲法修正第13条のドラマは、すべてこの演説がお膳立てしたといっても過言ではありません。

 全部で272語。わずか3分たらずのスピーチが、今日にいたるまで、これほど世界的な影響を与えるとは、当時は誰ひとり予想だにしませんでした。その演説がどのようにして生まれ、いかなる舞台で語られ、そしてどういう“魔術”によって一大「知的革命」を引き起こしたのか。ゲリー・ウィルズ『リンカーンの三分間 ゲティズバーグ演説の謎』(共同通信社)でかつて読んだエピソードを反芻しながら、画面のリンカーンを見つめていました。

 ペンシルヴァニア州ゲティスバーグの地で、3日間にわたる激しい戦闘が繰り広げられたのは1863年7月のことです。人口2500人の町に8000人もの遺体が残され、死臭が満ち、「町全体が間に合わせの埋葬所」のようなおぞましい光景につつまれました。見かねた有力者たちによって、ここに戦没者のための国有墓地の設立が起案され、ただちにその準備が始まります。そしてその奉献式典においては、この激戦の地の「毒された空気を清める」にふさわしい、格調高い基調講演が必要だと考えられました。

 ただし、その役割がリンカーンに期待されたわけではありません。白羽の矢を立てられたのは、ハーバード大学学長、連邦議会上院議員、国務長官などを歴任したエドワード・エヴェレット。当時、無類の雄弁家として名高く、この役柄にはうってつけの人物でした。エヴェレットは調査・執筆に約7週間の時間を費やして、11月19日の式典に向けて渾身のスピーチを用意します。

 一方、リンカーン大統領には、式典の3週間前くらいに招待状が届き、「その場にふさわしいひと言を」という来賓の辞が依頼されたのでした。しかし、リンカーン自身はこれを「絶好の機会」として活用することを考えます。「通常の声明や議会への報告の枠を超えたところで、自らの言葉を使う機会を求めていた」のです。

〈戦争が始まった時には誰も予想もしなかったようなおびただしい死傷者が出てしまった以上、これらの人びとの犠牲はいかなる大義のために払われたかを定義し直す必要が生まれたことを、リンカンは痛切に感じており、ゲティズバーグの奉献式はそのために最も適した機会であると判断したのであろう」〉(本間長世『正義のリーダーシップ リンカンと南北戦争の時代』NTT出版)

 大統領は、墓地の造園技師をホワイトハウスに招き、設計図を前にしながら彼から説明を受けます。そして各州、各人の埋葬位置が相対的に同じ重みを持つように配置されたことを聞き、これを称賛しています。独立宣言に謳われた「すべての人間は平等につくられた」という理念に符合していたからです。

 式典は、秋日和の明るい11月の空の下で行われました。エヴェレットの追悼演説は、2時間におよぶ堂々たるものでした。3日間にわたる激戦の経過を詳しく描写し、現代の「ドキュメンタリー・ドラマ」にも似た手法で聴衆の心を見事に捉えたといいます。

 リンカーンは、1、2枚の紙切れを手にして、立ち上がりました。272語、3分間のスピーチでした。これでおしまいか? 「気の毒にもあるカメラマンは、リンカーンがしばらくの間演壇に立っていると思って、悠長に構えていた」(『リンカーンの三分間』)という逸話も残っています。また、リンカーンの声が「金切り声に近く、そのケンタッキー訛が癇(かん)に障った」という証言もあれば、沈痛な小声でよく聞き取れなかったという説もあるようです。しかし、「自身が役者であり、講話や人真似の大家であって……シェイクスピアの一節を何時間も朗読する」リンカーンですから、効果的な語り口、メリハリのある抑揚のつけ方を心得ており、力のこもったスピーチは、五度拍手で中断されたともいいます。

 ともあれ、彼のスピーチは主催者の期待をはるかに超え、ゲティスバーグの空気を浄化したばかりか、目の前の重苦しい現実を超えて、民主主義を希求する人々への道しるべの言葉となりました。この演説にはゲティスバーグを含めて人名、地名の固有名詞はなく、「北軍の勝利だとか兵士への激励はおろか奴隷制そのものや戦況」に関する言及も一切ありません。抽象度の高い内容が、磨きぬかれた言葉で簡潔に述べられているだけです。

『リンカーンの三分間』では、この演説の時代的な背景を詳述しています。また、それをふまえたリンカーンの文体開発と表現努力を解き明かしています。批評家のエドマンド・ウィルソンが、リンカーンの文体は「リズムにおいて巧みであり、言葉の選択において正確でありながら、それでいて本能的で自然でもあった」(『愛国の血糊 南北戦争の記録とアメリカの精神』研究社出版)と指摘するように、聖書やシェイクスピアなどの文学的素養、ギリシャ以来の修辞学的技巧の駆使、詩作と雄弁術の修練、そして口語体の活用――。これらの結果として、歴史を変える名演説が誕生したのです。

〈群集は各自の思想の鞄の中に、新しい何かを詰めて去った。それはリンカーンが、彼らがそこに携えてきたものとすり替えてしまった新しい憲法であった。群集は丘陵の斜面に並ぶ墓地を出て、新しい空の下、今までとは違うアメリカに向かって踏み出した。リンカーンは独立革命を再び活性化し、人々に新しい過去を提供した。この過去を抱えることで、人々の未来は果てしなく変化していくことだろう〉(『リンカーンの三分間』)

 演説は、建国の父祖たちが作った独立宣言の高邁な理念の実現のために、むしろ身を捧げるべきは生きているわれわれ自身であること、そして民主主義政治を決して地上から絶滅させてはならないという決意の表明で結ばれています。死者たちの死を無駄にしないために、自分たちはその大義を受け継いで、新しい自由の誕生をめざさなければならない、と、アメリカ合衆国の再生への誓いを新たにしています。

「言葉の威力がこれほど発揮された例はまずほかにない」「悪夢のような現実は、彼の言葉のるつぼの中で霊妙化される」「あらゆる現代の政治演説はゲティズバーグから始まると言っても過言ではない」

 ダニエル・デイ=ルイスの名演の向こうに、リンカーンの武器となった言葉の鮮やかな一撃を思い描かずにはいられませんでした。

「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)