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 17回忌に思うカツシン
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 1997年(平成9年)6月、下咽頭がんのために65歳で亡くなった俳優・勝新太郎
さんの、今年は17回忌にあたります。先日、妻である女優の中村玉緒さんが施主
を務めて「17回忌を偲ぶ会」が盛大に催されましたが、私にとっては意外なほど
に、メディアはひっそりとしています。名画座やCS局で特集上映は組まれていま
すが、没後16年ともなると、あの勝新太郎でさえすっかり過去の人になるのかと、
一抹の寂しさを感じざるを得ません。いまの10代、20代の人たちに勝新太郎(通
称カツシン)という名前がどのくらい浸透しているかといえば、心もとない限り
です。

 少し前の話になりますが、いまはなき浅草名画座に「博徒七人」という映画を見に行ったことがあります。1966年(昭和41年)の東映作品で、主演は当時人気俳優の鶴田浩二(この人もまた「知る人ぞ知る」かもしれませんが)で、公開時はヒットを飛ばしました。それを、いまわざわざ浅草まで見に行かなければならないのは、鶴田を使って黒澤明の「七人の侍」のような任侠映画を作れ、と言われた脚本家・笠原和夫氏が、主要な七人全員を、片目、片足、片腕、聾唖者などの身体障害者に設定したためでした。その結果、「いまのご時世では仕方ないかもしれない」が、「これは、わたしの書いたホンの中で唯一、ビデオ化やテレビ放映などの二次使用料が一度も振り込まれたことのない映画」になったのです(笠原和夫『映画はやくざなり』新潮社)。

 むろん差別を助長するような作品ではなく、笠原さんは日本の芸能にゆかりの「可咲(おかし)の芸(歌舞伎、狂言などの根源にある知的障害、身体障害を逆手にとった笑いの芸)」をやりたかったと語っていますが、言いたいのは、このホンと似たような不幸が、勝新太郎の場合にもあったということです。

 つまり、代表作「座頭市」シリーズは、差別語を極端に忌避するテレビ局にとって、いかにも再放映しにくい銘柄でした。いまCS局で流される場合には、最後に断り書きを入れて無削除版にしているようですが、それ以前は深夜枠がせいぜいで、それも盲人を表わす言葉が出る度に、そこだけ音が消されたり、場面が削除されたりという扱いでした。「座頭市」以外の勝新太郎のヒット作についても似たような状況がありました。

 歯切れのいい河内弁のテンポにのせて、田宮二郎との絶妙のコンビで、弱い者いじめをする悪徳ヤクザや権力者を痛快に叩きのめす「悪名(あくみょう)」シリーズ。暴れん坊で動物的な本能を全開にした初年兵の勝と、大学出のインテリ上官・田村高廣の二人が、満州を駆け回りながら軍隊のおろかしさを暴き、ろくでもない上官に牙をむくという「兵隊やくざ」シリーズ。いずれも、テレビ向きでない言葉遣い、素材が満載です。そもそも従軍慰安婦なる存在を教えられたのは、この映画に出てくる「ピー屋」が最初でした。

 要するに、勝新太郎の代表作は名画鑑賞の枠からも外れ、ほとんど若い世代は接する機会がないままでした。面白オバさん中村玉緒さんの思い出話に登場する、わがままでやんちゃな「お父ちゃん」や、生きながらにして伝説化した「豪放磊落で規格外れ」の人物像が、勝新太郎のすべてであるかのように思われていたのです。

 その紋切り型の認識に、ドカンと風穴を開けたのが『天才 勝新太郎』(春日太一、文春新書)でした。日本の時代劇を守り続けてきた京都太秦(うずまさ)の映画職人たちの現場を丹念に取材する中で、「世間で喧伝される姿とは異なる勝新太郎像」に触れ、「どこまでも自らの理想を……追い求めるあまりに『座頭市』にとり憑かれ、破滅へと向かっていった」勝の知られざる実像をいまに伝えようとした力作です。豪快さの裏に隠された、繊細で研ぎ澄まされた感覚の世界。俳優の域を超え映像製作の未踏の地に分け入り、命を削りながら自らの美学を貫いた愚直なまでに真摯な生き方です。

 一例を挙げれば、勝は哲学者・谷川徹三から「千里の道を行き、万巻の書を読む」という言葉を教えられます。その瞬間、「我が意、得たり!」と興奮した彼は、この言葉を次のように解釈しています。

〈心ある、本当の道をめざす人間は、自分だけの道を歩かなければならない。 あえて、今まで、誰もが歩かなかった道を歩かなければならない。 千里の道を歩いていくなかで、心に芽生えた疑問、芽生えた愛、芽生えた醜さ、芽生えた尊さ、いとおしさ、いつくしみ、すべてを、自分だけにしか表現できないやり方で、表現しなくてはならない。 それらを、心ゆくまで発酵させ、人々が長いこと見なれてきたものが、いかに退屈だったかを悟らせなければならない〉(勝新太郎『俺・勝新太郎』廣済堂文庫)

 どこかで聞いたことのある物語、どこかで見たことのある映像、誰かがやったことのある芸や芝居。そんなものには何の価値もない。「オレは常に新しい勝新太郎を見せたい」――それが、彼の行きついた表現の価値でした。

 高名な長唄・三味線の師匠・杵屋勝東治(きねや・かつとうじ)を父にもった勝新太郎は、幼い頃、2つ年上の兄(後の若山富三郎)とよく積み木遊びをしていました。

〈兄は緻密に積み木を重ね上げていく。そして、利夫少年(勝の本名・奥村利夫)はそれを壊して回るのが好きだった。兄はそれをまた、新たに積み上げていく。そして、利夫少年がまたそれを壊す。利夫少年が壊すたびに、兄はそれまでと全く違う積み方をしていった。この一連の流れが、利夫少年には楽しくてしかたなかった。新しいものは、古いものを壊すところから生まれる。出来上がったものに興味はない。今あるものを壊したい。いつも新しいものが見たい。そんな利夫少年の精神は、大人になっても変わらなかった〉(春日太一『天才 勝新太郎』)

 やがて、会社の意向に縛られずに自由に映画を作りたいと考え、自ら製作プロダクションを立ち上げます。さらに、自分の満足できる映像を実現するためには、人に委ねるのではなく、自分で撮るしかないと気づきます。そして、理想に忠実であろうとすれば現場のすべてを取り仕切り、製作・脚本・演出・主演・編集を一人でコントロールしなければ、さらなる高みに達することなど到底できないと悟ります。

 勝の現場に台本はなく、大まかな筋書きだけが用意され、あとは彼の「頭の中のデッサン」から即興で生み出されたアイディアに基づいて、芝居が組み立てられていくのが、演出スタイルとなりました。「神が天井から降りてくるんだよ」とは有名なひと言ですが、一切の妥協を許さずに「完全」な映像を追い求める、勝新太郎の修羅がこうして始まります。

 やがて、「座頭市はオレにしか分からない」という考えにとらわれるのも自然な流れでした。「オレにしか座頭市のことが分からないのは当然だ、なぜならオレが座頭市なんだから」――。そして、座頭市を演じ、座頭市と一体化することによって、自分もまた目に見えないものを見たい、あるいは座頭市がその見えない目で何を見ているのか、それを何としても映像化したいと願います。

〈座頭市は目が見えない。音、匂い、肌触りで全てを認識するより他になく、その勘はとてつもなく鋭い。そのため、見た目にだまされることなく、人間の微妙な心の機微を感じ取ることができる。それが勝にとっての座頭市だった。 座頭市と一体化することで、勝もまた同じ感覚を共有している気分になった。座頭市になれば、人の心の裏の「心相」がよく見える。目を閉じて、感覚を研ぎ澄ましていくと、見たくて仕方なかったものが見えているように思えた。座頭市の目は、勝の目そのものになっていった〉

 映画の座頭市シリーズを離れ、テレビ版の「座頭市物語」、「新・座頭市」を週に1本手がけていく過程で、勝は「座頭市」にすっかりとり憑かれ、自らと座頭市との間の境界線を見失う――その鬼気迫る足どりを、まるで本人に憑依したかのように描き出したところが『天才 勝新太郎』の凄さでした。以来、この著者の書くものはできるだけ読んできましたが、先週の週刊誌コラムで、次の記述を見た時はさすがに驚きました。勝自身が座頭市シリーズで初めて監督を務め、「座頭市の脳内のビジュアル化」をめざした作品に触れての文章です。

〈その過程(註・勝新太郎が自らと座頭市との間の境界線を見失っていく)については、拙著に詳しく述べた。そこには、本来なら分かるはずもない、当時の勝の心境がまるで我が事のように書かれている。実は執筆時の筆者もまた、勝の心の動きを探りながら、知らぬうちに勝に取り込まれ、自らと勝との境界を見失っていたのだ。そして、執筆を終えてから一年弱の間、筆者の体から勝が抜けなくなり、文章がほとんど書けなくなった。 この原稿を書くにあたって、手が震え続けた。あの狂気の世界に再び引き戻されるのが、怖かったのだ〉(「春日太一の木曜邦画劇場」、「週刊文春」7月18日号)

 これを読んでしまっては、3年半前に出たこの本を、もう一度読み返さないではいられなくなりました。異様な熱気の産物です。そして、改めて思ったのは、前衛家・勝新太郎の美学についてでした。「即興の緊張感の中から生まれた表現こそが完全なものだ」という「偶然の完全」をめざした勝は、元来、即興的な芸質の持ち主です。

「芸ごとの修業は、毛穴でおぼえ、耳でぬすむものなんだよ」――息子に厳しい稽古をつけた父の教えは、いみじくも座頭市の世界を予見していたかのようです。一方で、20歳にして「二代目杵屋勝丸」を襲名した勝は、場に応じた即興的な三味線の演奏で、坂口安吾、有吉佐和子ら当代の文学者たちの寵愛を受けました。

 幼時より舞台裏の「御簾(みす)」から見続けた名人たちの至芸の中でも、六代目尾上菊五郎の変幻自在な演技の妙をしっかり心に刻みつけたといいます。時代を下れば、華道草月流の御曹司で、前衛的な作風が高く評価されていた映画監督の勅使河原宏。その場のインスピレーションで段取りを次々に変えていくその演出法に、創作者としての勝新太郎が目覚めます、等々。

 読むほどに、反復、安定を嫌い、「作っては壊し」を繰り返す勝新太郎の栄光の道筋と、それがもたらす袋小路の苦しさが、ともに胸を締め付けるように迫ってきます。映像製作者として、自らの美学を貫こうとすれば、多くの人を巻き込む現場は混乱のきわみです。どんな撮影が始まるか先が読めない、いつ何が変更になるやら分からない。満足のいく結果を得るために、予算と日程は犠牲を強いられ、綱渡りの進行にスタッフの目は血走ります。

「まさに奇跡としか言いようがありませんでした」と「勝新太郎一家」の番頭格は証言していますが、不思議なのは彼らの結束がそれでも崩れなかったということです。ただし、その作品が人々に歓迎されたかどうかは別の問題です。はまり込んだ迷路の中で、勝は叫びました。「視聴者に言っておけ! オレの作品が始まったらテレビの前に正座して1カットも見逃さないようにとな!」

 肉体的にも精神的にも限界を感じた勝は、座頭市シリーズの最終回を「座頭市の目が開いた」という設定で撮ろうと決めていました。目が開いたら、座頭市はどうなるのか? 

〈「目が開いたら、音が消えるんだよ」 ……勝の発想はそこから始まった。 風を感じたから、音が聞こえたから、座頭市は相手を斬ることができた。目が開いたことで、その音や風が消えてしまい、間合いがつかめずに、斬れなくなってしまう。……目が開いたことで、全てが狂ってしまった。夢の中で、座頭市はひたすら何かから逃げ続けた。逃げては袋小路にはまり、また逃げては奈落に落ちる〉

「もう、目あきはごめんです……!! どうか、おてんとうさま、目を、目をつぶしてくださいまし……!!」――台本決定稿のラストシーンには、本篇ではカットされたこのセリフが書き込まれていたといいます。「それは、創作者として開眼してしまったために、逃れられない袋小路にはまり込み、疲れ果てた勝の、心からの悲鳴だった」とあります。

 実は、勝新太郎の人生はまだこの後も続きます。それも興味の尽きない物語です。ただ、ここでしきりと想像したのは、後に「座頭市」をリメイクすることになる北野武というもう一人の天才との「目に見えない」つながりの糸でした。

「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)