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 当用現代史のすすめ
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「八月や六日九日十五日」(荻原枯石)

 このところ歴史認識だ、憲法改正だという声が賑やかになっているせいか、今年はいつにもましてこの句が頭に浮かんできました。そして、例年にもまして“8月”銘柄の本が気になりました。最初に手にしたのは『立ち上がるヒロシマ1952』(岩波書店編集部編、岩波書店)という写真集でした。

 1952年(昭和27年)といえばサンフランシスコ講和条約が発効した年です。日本が主権を回復し、「占領下」の状態から脱したのはこの年の4月28日。その最初の原爆記念日にあたる8月6日に、2つの画期的な出版物が世に送り出されます。

 ひとつが、飯沢匡(いいざわただす・後に劇作家としても活躍)編集長の勇断
によって生まれた「アサヒグラフ」(朝日新聞社)の原爆特集号です。GHQか
ら焼却処分の指示があったにもかかわらず、社に秘蔵してあった原爆被害の生々
しい写真を、1冊丸ごと特集。定価40円、即日完売、4回増刷、計70万部出たとい
われます。原爆報道の制限が解かれたとはいえ、あまりに無残な写真を出すべき
か出さざるべきか。「頻(しきり)ニ無辜(むこ)ヲ殺傷シ……」と終戦の勅語
をつぶやきながら、室内を静かに歩いていた編集長が、くるりと振り向くなり、
「やりましょう!」と放ったひと言に、「私はかすかに身ぶるいをした」(扇谷
正造)という証言があります。この号の巻頭リード文を読むと、その時の緊迫感
が伝わってくるようです。

「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)