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 五輪に富士山
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「年がら年中長嶋茂雄」(ベースボール・マガジン社)という日めくりカレンダ
ーを、今年は愛用しました。会社のデスクに置いて、毎朝、長嶋語録に接すると
ころから始動です。曜日が入っていないので永久に使うことも可能なのですが、
今年は8月に60歳を迎える年まわりでしたので、1936年2月20日生まれの長嶋さん
が、1996年の誕生日に発した名ゼリフには格別の励ましを受けました。

「初めての還暦、ましてや今年は年男ということで……」

 例の「サバって漢字はどう書きましたっけ? そうでした、そうでした。魚ヘンにブルーでしたね」もありますし、「失敗は成功のマザー」、「ワーストはネクストのマザー」ももちろん入っています。

「オレの体は、どこを切っても“巨人”の金太郎飴だからな」とか、「うちとやるとき、みんなダブル・ハッスルしてくる」なども。

「7月はね、“スクランブル・プッシュ”です。いわゆる、イケイケです」「プライベートな時間は、リラックスするのが一番なんです。それが、ネクストに対するエネルギーになるんですね」

 そして、「勝負は家に帰って風呂に入るまでわかりません」にもシビレました。ゲームセットの声を聞いても、まだ燃え続けているミスターの雰囲気が伝わってきます。 

「おお、いまのはいい、打球に“品がある”だろっ?」「打つんじゃあない、しばくんだ。そうすりゃあ、打球は根性が出てヒットになるんだよ」「監督業というものは、毎年毎年厄を迎えているようなもんですよ」「僕の場合は、忘れるというよりは、切り換えですね」「本を読むときにはですね。ソファーにデーンと座って、あぐら姿で読むのが正しいんです」

 いずれも秀逸で、味があります。特集「人を動かすスピーチ」(「考える人」2013年秋号)で、向井万起男さんに「歴史に残る名スピーチ」を書いていただきましたが、チャーチル、ケネディなどをさしおいて、真っ先に挙がったのが、1974年10月14日、後楽園球場で行われた長嶋さんの引退セレモニーでのスピーチでした。

〈長嶋の熱狂的ファンの私が言うのだから間違いないと思うが、このスピーチの内容(言葉)は特に素晴らしいというものではない。ありふれた言葉の連続だと思う。有名な一節「我が巨人軍は永久に不滅です」に至っては論理を超えてしまっている。この世に永久に不滅なものなんてあるわきゃないんだから。でも、感動した。今でも感動する。……スピーチするカッコイイ姿にも独特な甲高い声にも……〉

 ところで、このあまりに有名な一節に、長嶋家の秘話があったことを知ったのは、松下茂典氏の「長嶋茂雄 語られざる兄弟の物語」(『文藝春秋』12月号)を読んでからです。七つ違いで“特攻がえり”の兄とは非常に仲がよく、野球もこの兄から手ほどきを受けたといいます。そして、早くして父親が亡くなり、長嶋家の家長となった兄は、1957年暮、長嶋さんのプロ入りに際して“矢面”に立ちます。南海入団の約束を反故にし、巨人入団を決めたことに対して、批判の矛先がすべて兄に向けられたのです。

 それから幾星霜。弟が千葉県佐倉市の生家にふらりと現れたのは、1974年8月15日のことでした。「おやじに線香をあげてくる」と言って、長嶋さんは菩提寺に向かいます。弟を送り出しながら、兄には予感があったといいます。「もしかすると、おやじに現役引退の報告をするのかもしれない」――。

〈いつもより時間が長かっただけに、予感が確信に変わったが、疑問をストレートにぶつけたりはしなかった。それがスーパースターを弟に持つ兄の節度だった〉

 代わりに、少年航空兵時代の思い出話をし、特攻隊について語りました。

〈「彼らは『わが神州日本は永久に不滅です』と叫び、飛び立っていったんだよ」 遠回しながら、弟に華々しく散ってくれることを願い、茂雄を鼓舞したのである〉

 この時の会話が引退セレモニーの名セリフの伏線になった、というのは今回初めて聞く話でした。「おれは日本一の茂雄ファンだ」というのが口癖だったお兄さんは、2年前に亡くなっていたそうです。通夜に長嶋さんは駆けつけましたが、遺族の意向で「長嶋茂雄の兄」の死としてではなく、身内でしめやかに見送ったのだといいます。

 さて、今年もあと僅かになりました。この時期になると、2013年の10大ニュースが話題となりますが、国内ニュースでいえば、「2020年夏季五輪・パラリンピックの開催地東京に決定」と、「富士山が世界遺産に決定」はほぼ当確でしょう。前回の1964年東京オリンピックで、大会のコンパニオンを務めていた女性を「ひと目みた時にもう夢中だった」と、伴侶に射止めたのが、時のスーパースター長嶋茂雄でした。

 また、富士山が大好きで、毎年1月は富士山のよく見える伊豆の大仁(おおひと)温泉でミニ・キャンプを張り、シーズンに備えるのが恒例でした。日めくりカレンダーの1月1日にはこうあります。

「富士山をみているといつまでもあきない。本当にあの山はオレをすがすがしい気分にしてくれる」

「考える人」最新号は明後日(28日)発売です。今回の特集は「日本の『はたらく』」――。五輪招致のニュースを聞いて、自分の年に7を足し、「その頃の自分は何をしているのだろう」と考えた人は少なくないはずです。7年後も同じように働いているのか、それともまったく違う仕事をしているのか、あるいはリタイアして新たな道を歩んでいるのか……。

 今号では、老若男女とりまぜ、「いい仕事、いい生き方」をしている人たちを全国各地に訪ねました。特集の最初の見開きページは、銭湯の壁面に向かって筆を運んでいる女性の姿です。銭湯ペンキ絵師が描いているのは、もちろん真白き富士の嶺。

 この一年も変わらずご愛読ありがとうございました。 皆様、どうぞ良いお年をお迎えください。

「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)