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 「ハンナ・アーレント」その1
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 昨秋から評判になっていた映画を年末にようやく見ることができました。「ハ
ンナ・アーレント」――20世紀を代表する思想家、政治哲学者の生涯と仕事を、
彼女の人生の岐路となった「アイヒマン裁判」をめぐる4年間に凝縮した作品で
す。

 アーレントの名前が日本の読書界で一般的になったのは、学生運動はなやかなりし60年代後半でした。国際政治学者の永井陽之助氏が編んだアンソロジー『政治的人間』(「現代人の思想」シリーズ第16巻、平凡社)に、彼女の『革命について』が抄録され、前後して『人間の条件』(中央公論社)、『暴力について』、『全体主義の起原』(いずれもみすず書房)などが次々に翻訳されました。この映画の焦点である『イェルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告』(みすず書房)が刊行されたのも1969年のことです。

 難解さも手伝って、多くの読者を獲得したとはいえない彼女の著作でしたが、『イェルサレムのアイヒマン』は、ジャーナリスティックな関心からも話題となりました。丸山眞男の『現代政治の思想と行動』(未来社)と併せて読みながら、戦前の日本の指導者とナチ高官を対比し、戦争責任について熱く語る人たちの表情と口吻が懐かしく思い出されます。

 ナチについては、600万という数字が何度も登場しました。アイヒマンが言ったとも、独裁者スターリンが言ったとも伝えられる、「一人の死は悲劇だが、数万人が死ねば統計上の数字に過ぎない」という警句。ナチス政権による「ユダヤ人問題の最終的解決」(組織的なユダヤ人絶滅計画)に従って、全ヨーロッパから罪のない600万人のユダヤ人たちが捕らえられ、アウシュビッツをはじめとする絶滅収容所に送り込まれたという事実。

 全裸の男女を浴室に閉じ込め、上から殺人ガスを降らせるという非道な残虐行為を、何千回、何万回と繰り返した殺戮者たち。彼らは、何の心の痛みも感じなかったのか。血も涙もある人間に、はたしてそんなことができるのか――。

 カール・アドルフ・アイヒマン。ドイツ第三帝国親衛隊中佐。何百万人ものユダヤ人を強制収容所に移送し、「最終解決」の実行を担った責任者です。

 その彼の裁判をめぐって繰り広げられた世界的な「アイヒマン論争」は、いまなお私たちに重い問いを投げかけています。アイヒマンとは何者か。彼に良心というものはなかったのか。人間の犯す「悪」を、私たちはどう理解すればよいのか――。

 映画のポイントは、この名高い「アイヒマン論争」に火をつけたハンナ・アーレントという傑出した存在を、知性と感情にあふれた魅力的な女性として描き出したところです。強い意志を秘め孤立を恐れない魂とともに、夫を愛し、友情を大切にする愛情豊かな横顔が、巧みな構成で浮かび上がってくる展開です。

 ドイツ系ユダヤ人としてケーニヒスベルクの旧家に生まれた彼女は、学生時代に哲学と神学をヤスパース、ハイデガーといった知の巨人たちに学び、ハイデガーとは師弟の一線を越えた恋愛関係にあったことは周知の通りです。

 ナチス政権下のドイツを逃れ、1933年にフランスに亡命。そのフランスが第二次世界大戦中ドイツに降伏すると、連行された抑留収容所から5ヵ月で脱出。1941年、母を連れ、夫とともにアメリカへの亡命を果します。彼女の名を高からしめたのは、1951年、ナチズムとスターリニズムを批判しつつ展開した二十世紀文明論の『全体主義の起原』を英語で出版したことによってでした。論壇に確固とした地位を築き、全米の有名大学で教鞭を取るようになりました。

 さて、映画の冒頭は、帰宅の途中、バスから降りて人気のない夜道を歩き始めた男を、いきなりトラックで拉致するシーンから始まります。1960年に逃亡先のアルゼンチン、ブエノスアイレスで、イスラエルの諜報機関モサドによってアイヒマンが捕らえられた場面です。国際法を無視して行われたこの特殊作戦によって、アイヒマンはエルサレムに連行され、全世界が注視する中で、裁判にかけられます。

 アーレントはこの逮捕劇を知り、彼がエルサレムで裁かれるならば、それを是非傍聴したいと願います。600万人を死に追いやった人間の「生身の姿」をこの目で確かめたいと熱望するのです。そして、雑誌「ニューヨーカー」の特派員として赴いたエルサレムの地で、1961年4月、傍聴席からその姿に目を凝らします。

 ところが、「怪物」や「悪魔」のような存在を予想していたアイヒマンの実像に、アーレントは衝撃を受けます。「根源悪」をなしたはずの人間が「凶悪」の担い手とはかけ離れた、平凡な小役人としか映らなかったからです。「ガラスケースの中の幽霊みたい。風邪ひきのね。不気味とは程遠い。平凡な人よ」、「ひどい役所言葉でね」と。

 この様子は、日本人としてこの裁判を目撃していた作家のルポによっても鮮やかに描かれています。

〈彼は、毎朝、ひげをきれいに剃り、ネクタイを正しくつけ、黒の背広を着て、防弾ガラスの箱のなかに入って来た。おびただしい書類を小わきにかかえこみ、すこし猫背になって入ってきた。二十年前はキザなくらい美貌で傲慢で、ヨーロッパ全土の各首都をわたり歩いてテーブルのむこうから厖大な数の死をふりまいた親衛隊大佐は、もう五十四歳になり、あらかた頭が禿げていた。ユダヤ人の検事総長が激情で体や頭をぶるぶるふるわせながら肉薄してくるのを彼はガラス箱のなかから、ぼんやりした、つめたいまなざしで眺め、自分がネロやアッチラやジンギスカンなどの名をあげてその末裔に擬せられるのを顔面神経痛で蛸のようになった顔で聞いていた〉(開高健「裁きは終りぬ」、『声の狩人』光文社文庫、所収)

「怪物」でないことは誰の目にも明らかでした。そして、「官庁用語しか私は話せません」と自己弁護するように、紋切り型の文句を繰り返すばかりです。

「私は命令に従ったまでです」

「殺害するか否かはすべて命令次第です。事務的に処理したんです。私は一端を担ったにすぎません。ユダヤ人輸送に必要なその他の業務は、様々な部署が担当しました」

「今の私はジリジリと焼かれる肉の気分です。もどかしいからですよ。明らかに根拠のない件ばかりだからです」

「私は手を下してません」(以上、「採録シナリオ」より) 

〈来る日も来る日も、午前中も午後も、あらゆる糾弾と質問に対して彼はつねに一つのことしかくりかえさない。もう三ヵ月以上も毎日毎日その言葉をつぶやきつづけて来た彼は、しかし、まったく倦んで疲れたようなそぶりを見せなかった〉(開高健、同)

 アーレントも述べています。

〈彼の述べることは常に同じであり、しかも常に同じ言葉で表現した。彼の語るのを聞いていればいるほど、この話す能力の不足が考える能力――つまり誰か他の人の立場に立って考える能力――の不足と密接に結びついていることがますます明白になって来る。アイヒマンとは意志の疎通が不可能である。それは彼が嘘をつくからではない。言葉と他人の存在に対する、従って現実そのものに対する最も確実な防衛機構(すなわち想像力の完全な欠如という防衛機構)で身を鎧っているからである〉(『イェルサレムのアイヒマン』大久保和郎訳)

 そして1961年12月15日、死刑判決が下されます。アイヒマンは控訴しますが、翌年5月29日、再び死刑判決。31日、一切の恩赦請願が却下され、6月1日未明に刑が執行されます。遺体は火葬され、遺灰はイスラエル領海外の地中海に撒かれました。

 処刑の直前に「最後に何か望みはないか」と尋ねられ、「ユダヤ教徒になる」と答え、理由を聞かれると、「これでまた一人ユダヤ人を殺せる」と答えたという逸話が伝えられます。あるいは、最期の言葉が、暮らした国の名を順に挙げて、「ドイツ万歳、オーストリア万歳、アルゼンチン万歳!」であった、とも。

 アーレントが傍聴記の執筆にかかるのは、絞首刑が執行されたその夏からです。
煙草をくゆらしながら、想をめぐらせる彼女の緊張感は映画の中でもリアルに伝
わってきます。そもそも「ニューヨーカー」編集部に、エルサレム行きの企画を
持ち込んだのは彼女のほうでした。名物編集長であるウィリアム・ショーンは一
も二もなく承諾します。「今世紀もっとも重要な本」である『全体主義の起原』
を書いた“あのアーレント”が傍聴記録を書くというのに躊躇する理由などあり
ませんでした。

 掲載は1963年2月16日号から計5回に及びます。原稿を渡されたショーン編集長
は、後に有名となるフレーズを読み上げます。

 映画の中では、この箇所をめぐってショーン編集長とアーレントが真剣な表情
で対峙します。「憂慮」を口にするショーンに対して、アーレントは「事実よ」
と反論します。ショ-ンは沈黙します。

「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)