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 「アクト・オブ・キリング」(その1)
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 できるだけ先入観なしにこの作品を見てもらいたいという願いと、いまから作
品について書こうとする行為は明らかに矛盾しています。しかし、この「アクト・
オブ・キリング」という映画に限っては、そんな気遣いなど無用であるようです。
というのも、この作品を2度見たにもかかわらず、いったい自分が何を見たのか、
そこからどのように考えを整理したらよいのか、いまだに深い霧の中をさまよっ
ている気がするからです。それほどに衝撃は強く、心が揺さぶられ続けています。

 60年代ポップスに詳しい人なら誰でも知っている「Born Free(自由に生まれて)」という曲があります。母親を失った雌ライオンを引き取って育てたケニアの狩猟監視官夫妻の物語『野生のエルザ』が映画化された際(1966年)のテーマソングです。イギリス人歌手マット・モンローが歌い、アンディ・ウィリアムズも好んで歌った、美しく懐かしいメロディーです。それがこの「アクト・オブ・キリング」でも、主人公たちの格別の思いをこめて使われています。

 Born free, as free as the wind blows As free as the grass grows Born free to follow your heart(「Born Free」、作詞:ドン・ブラック、作曲:ジョン・バリー)

 テーマには、およそ似つかわしくない夢のような歌詞と旋律。ちょうどヤコペッティの「世界残酷物語」(1962年)に「More(モア)」の流麗な主題曲が流れていたように、両者がかけ離れているからこそ鮮烈な印象がもたらされます。

 舞台はインドネシア。1965年ですから、東京オリンピックが開かれた次の年の9月30日の深夜、その事件は起きました。スカルノ大統領の親衛隊の一派が、国軍のトップ6人を誘拐・殺害するという「9・30事件」――いまだに真相が謎に包まれた軍事クーデター未遂事件です。そして、この事態の収拾にあたったスハルト少将(やがて第2代大統領に就任)らの右派軍人勢力によって、その後に引き起こされた大量虐殺事件を描いたのが、このドキュメンタリー映画です。

 それまで“独立の父”スカルノに率いられてきたインドネシアは、この「9・30事件」を機に、大きく勢力地図を書き換えます。スカルノの求心力は失われ、彼の親共路線は粉砕されます。代わって軍を背景としたスハルト少将らが、このクーデターの糸を引いたのは共産党だと非難し、それからわずか1、2年のうちに100万人を超す“共産主義者”が告発、処刑されることになりました。労働組合員、小作農、知識人、学生、華僑……。少しでも共産主義に共鳴していると思われる人間は、根こそぎ標的とされました。家族全員が殺されたり、非協力的な村は焼き討ちに遭うなど、一網打尽の弾圧が行われたのです。それに対して、冷戦下の西側諸国は沈黙し、“人権”を問うて非難することはありませんでした。

 もっとも、当時インドネシア共産党は合法政党でしたので、虐殺の執行者として国軍が直接手を下すことはありませんでした。“プレマン”と呼ばれるやくざや反共の民兵組織、あるいはイスラム勢力などがリクルートされ、殺し屋、死刑執行人に仕立てられたのです。

 さて、驚くべきはこの映画です。ジョシュア・オッペンハイマー監督が2005年に企画したといいますが、それまでの3年間は、この「9・30事件」後の大虐殺の生存者たちを取材していました。ところが、当局などから再三にわたって圧力や妨害を加えられ、撮影をこれ以上続けていては自分たちばかりか、生存者たちの身にも危険が及ぶと察知しました。

 一方、取材中にスタッフらは奇妙な現象に気がつきました。虐殺の影にいまだに怯えている生存者たちに対して、殺人の実行者たちは取材にきわめて協力的なばかりか、「あらゆることがオープン」だったというのです。殺人者たちは進んでその時のありさまを語り、地元警察は大量虐殺の行われた場所に案内し、殺人者とも親密な様子を隠しません。なぜ彼らは過去の犯罪に少しも悪びれることがないのか? なぜこんなにも嬉々として、誇らしげに語るのか? 

 そこで、監督の考えついたアイディアが斬新です。被害者の取材が難しいならば、逆にこの殺人者たちに虐殺の再現ドラマ化を持ちかけてみたらどうなるのか――。「あなたが行った殺人を、もう一度カメラの前で、あなた自身で演じてみませんか?」と。

 すると、もともとハリウッド映画が大好きだった彼らは、喜び勇んでこの話に乗ってきました。自分たちの“輝ける過去”を正しく知らしめるチャンスだとばかりに、のめり込んできたのです。「これが歴史だ」、「これが我々だ」、「未来に記憶を残すんだ」と。

「MGMやパラマウントのような大作でなくていい。ただシンプルなやり方で一歩一歩物語を伝えていけばいい。俺たちが若い頃、何をしたのか」

 上映に夢を膨らませる彼らの熱狂を、監督は脇から記録していきます。

 主人公はアンワル・コンゴ。殺人部隊のリーダーとして誰からも恐れられる存在でした。もともとはメダン(北スマトラ州の州都。インドネシア第4の都市)の映画館前でチケットを売りさばいていたダフ屋です。親共路線にシフトしたスカルノ政権の下で、アメリカ映画の上映が制限されました。稼ぎが減り、「おまんまの食い上げ」になりかねないと、鬱憤がたまっていました。アメリカ映画ボイコット運動を展開していた共産主義者たちは目の敵でした。その憎しみと、軍の野望が結合したのです。一人で1000人近くを殺害したと言われる、虐殺者アンワルの誕生です。

 ところが、その“プレマン”がいまも堂々と町の中を闊歩しています。それどころか、“国民的英雄”まがいの楽しげな生活を送り、二人の孫の好々爺でもあります。虐殺の再現フィルムが製作されると知ったインドネシア国営放送のトーク番組に出演した彼が、得意げに語っている場面が登場します。女性アナウンサーが「ギャングが作る共産主義撲滅の映画。実行者であり、今回の主演アンワル・コンゴさんです」と紹介します。以下がそのやりとりです。

問:「当時、映画館のプレマンは有名でした。“プレマン”という言葉の起源は?」アンワル:「“自由な男たち(free man)”から来ています。だから『Born Free』という特別な歌を作品の中でも使うことにしました」問:「共産主義者は事務所で(殺害したのか)?」アンワル:「そうです。そこで尋問して、生かすべきでないとなれば殺さなくてはなりません」問:「ギャング映画にヒントを得た殺し方を?」アンワル:「時にはね。……映画のジャンルによって殺し方もいろいろです。マフィア映画では車内で絞め殺し、死体を捨てる。それもやりました」

 これを聞いたアナウンサーが「つまり共産主義者を撲滅する効率的な方法を編み出したわけです。苦しみの少ない方法を取り、過剰な暴力は避けました。それでいて彼らを一掃したわけです」と受けます。このやりとりを、調整室のモニターで眺めていたスタッフたちは、冷ややかな反応を示します。それにしても、これが国営放送でオンエアされている、という驚きは禁じえません。

 さらに、「若者にとってこの映画の持つ意味とは何でしょう」と問われて、出演者の一人である民兵組織のリーダーが、「若者は歴史に心を留めておかなくてはいけない。忘れちゃダメです。その上、神は反共に違いない」と述べます。

「(一説には)250万人が殺されたと言われますが、その被害者はなぜ仕返しをしないのでしょう」という質問には、「しないのではありません。できないんだ」とアンワルは答えます。すると、スタジオ内の民兵組織リーダーが、「したら皆殺しだ」と言って、取り巻き連中の拍手喝采を浴びるのです。

 あり得ない想定ですが、もし日本でこの手合いのアウトローの面々が、NHKの番組に出演して、「言いたい放題」のまま放送されたとしたら、いったいどういう反応が巻き起こるでしょうか。

 アンワルたちと関わりの深かった人々も、似たような調子で、世間話のごとくサラリと回顧談をしゃべります。事件当時からアンワルとは長い付き合いだったという北スマトラ州知事(当時)や、「共産主義シンパを悪人に仕立てるのが仕事だった」という地元新聞の発行人などが、カメラに向かって、平然と虐殺事件を口にします。「自分で人殺しはやらんが、私のウィンクひとつで彼らは死んだ」など。

 パンチャシラ青年団という民兵組織も登場してきます。300万人のメンバーがいるというインドネシア最大級の“プレマン”集団で、1965~66年の大量殺人を主導しました。ふだんはカツ上げ、賭博、密輸、密漁、違法伐採など裏街道の違法ビジネスをもっぱらにするグループですが、この集会に国の副大臣が出席して演説します。

〈プレマンは制度にとらわれない。プレマンは役人とは違う。自由人だ。この国には自由人が必要だ。誰もが役人だったら仕事が片付かなくなる。仕事を片付けるプレマン、自由な男たちが必要だ〉

 アンワルがかつての殺害場所に撮影スタッフを案内します。「初めは殴り殺していたが、流血がひどすぎた。そこら中、血だらけだった。掃除をする時においがひどくてね。流血を避けるためにこれを使った」と針金を示します。これを使って絞殺すれば、あまり流血を見ないですんだ、というのです。そして、仕事が終われば「酒を少々、大麻を少々……酔って飛べばハッピーになれる」と、踊りを披露して見せます。

 こうして撮影された素材を、アンワルたちは凝視します。その模様も記録されています。映像を真剣に見ながら、彼らは検討します。より迫真性を持たせるための脚本、メイク、衣装、キャスティング、そして演出を考えようと知恵を絞ります。拷問シーンにうってつけのロケ先も、自分たちで見つけてくるのです。

 しかし、この再現を重ねていくうちに、アンワルには微妙な変化が見え始めます。殺戮の演技(アクト)に興じるうちに、彼は自分の過去を追体験し、また俯瞰的に状況をとらえる視点を与えられます。おそらく生まれて初めて、自分たちのした殺戮の行為(アクト)を直視する機会を得るのです。その時、彼に何が見えてきたのか。何が感じられたのか。

 次第にそれがスリリングな形で迫ってくるのが後半です。(この項、続く)


「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)